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旧い恨みや新しい愁いが次々湧き嘆くばかり=杜甫を敬慕した義堂周信

室町時代に花が開いた五山文学の代表的な僧侶と言えば、義堂周信と絶海中津の二人。明治書院の「新書漢文大系7 日本漢詩」によれば、義堂については「夢窓疎石を師とし、禅を学ぶ。同門の絶海が中国に渡り学んでいるのに対し、義堂は留学僧とならず、国内で修業している。これは義堂の体が弱かったせいであるが、留学する時期がちょうど元末の大動乱期に重なり、とても留学どころではなかったことにもよる」(P21)といい、絶海については「1368年に中国に渡る。元末の乱がいちおうの終息を遂げ、朱元璋が明朝を建てたその年であった。例によって滞在は8年。杭州の中竺寺に入り全室和尚に師事、全室門下からは明初を代表する詩人高青邱が出ている」(P25)とあります。二人ともに夢窓一門で修業し、義堂が絶海の兄弟子に当たります。

本日は兄弟子・義堂の二首を取り上げます。

ますは「竹雀」。スズメとは誰のことでしょう。

風枝栖不穏    風枝穏やかならず
露葉夢応寒    露葉夢応に寒かるべし
莫近高堂宿    高堂に近づいて宿する莫かれ
■■挟弾丸    コウソン弾丸を挟むに




コウソン=公孫。君主の孫、公爵の諸侯の孫、諸侯の孫。ここでは位の高い若者、若い人を尊んでいうことば。貴公子とでも訳すのがいいのでしょう。「公孫樹」(コウソンジュ)は「いちょう」。

栖=すみか。巣、ねぐら。「棲」とも書く。音読みは「セイ」。棲遅(セイチ=隠退する)、棲鴉(セイア=ねぐらに宿るカラス)、棲隠(セイイン=隠居する)、棲烏(セイウ=ねぐらに宿るカラス)、棲遁(セイトン=隠居する)、棲宿(セイシュク=鳥などが木に宿る)、棲屑(セイセツ=落ち着かず忙しいさま)、棲遑(セイコウ=落ち着かず忙しいさま)、棲鳥(セイチョウ=ねぐらに宿る鳥、ねぐらに帰る鳥)はいずれも「栖」でも書き換え可です。「すみか」は「住処」と書くのが一般的です。



【解釈】 風に揺れるねぐらは不安定であろうし、露にぬれた葉に結ぶ夢も寒かろう。同情はするが、さればといって高壮な家の近くに宿るでないぞ。情け容赦ない貴公子どもが、弾丸をもって狙い撃ちにするであろうから。

庭にある竹にとまっている雀が無邪気に餌を求めてチュンチュンと鳴くさまは一見微笑ましい風景です。ところが義堂の真意はそんなものを詠じようというものではありません。明治書院のP21の「背景」によると、「雀は人家に棲宿するので、一名『佳賓』(よい客)と言われる。雀よ、よい客だなどと言われて油断してはいかん。貴公子には気をつけよ。さもないと撃ち落とされるぞ」と義堂の狙いを示しています。室町幕府の中枢、あるいは地方を牛耳る時の権力者たち。有能な人材を甘い言葉で「高堂」に誘い、囲い込んでは、用が済んだら使い捨て。雀は自分も含めた禅僧、あるいは知識人たちを指すのであろうといいます。雀を観察していた義堂が礑と自分の姿と重ね合わせたのは自然のことかもしれません。利用されるだけ利用されては適わんぞい。周りがどう持ち上げようとも己の進むべき道を見失うではないぞ――。そんな厳しく律する可しという戒めが犇と感じとれる作品です。

続けて「対花懐旧」(花に対して旧を懐う)。

紛紛■■乱如麻    紛紛たるセイジ乱れて麻の如し
旧恨新愁只自嗟    旧恨新愁只自ら
春夢■来人不見    春夢め来って人見えず
■■雨洒紫荊花    ボエン雨はぐ紫荊の花






セイジ=世事。「セジ」とも読む。世の中の営み。俗事。「セイ」は漢音、「セ」は呉音。漢文の世界では「セイ」と読んだ方が無難のようです。でも「世説新語」は「セセツシンゴ」ですよね。う~ん、難しい。

サめ=醒め。「醒める」は「さめる」。眠りからめざめて頭がすっきりすること。音読みは「セイ」。醒悟(セイゴ=迷いが解けてはたと悟る)、醒寤(セイゴ=眠りからさめる)、醒然(セイゼン=夢からはっとさめるさま、悪い状態から抜け出して、すっきりするさま)。

ボエン=暮檐・暮簷。夕暮れ時の軒。「檐」「簷」は「のき」。「暮煙」もあるが、これだと「夕暮れに立ち上る煙、夕暮れのもや」。義堂の気持ちに立てば「暮檐」と「暮煙」のどちらがふさわしいでしょうかね。

嗟く=なげく。感嘆する。音読みは「サ」。嗟咨(サシ=ああといってなげく)、嗟称(サショウ=感心してほめる、嗟賞=サショウ=)、嗟嘆(サタン=舌打ちしてなげく、感心してほめる)、嗟悼(サトウ=なげきいたむ、なげき悲しむ)、嗟伏(サフク=感服する、感心して人に従う、嗟服=サフク=)。

洒ぐ=そそぐ。水をさらさらとかけて清める。洗と同義語。音読みは「シャ、サイ」。洒心(サイシン=心をあらい清める)、洒掃(サイソウ=水をまき、ほうきではく)、洒濯(サイタク=あらいすすぐ)、洒脱(シャダツ=さっぱりして、俗気のないこと)、洒然(セイゼン=ぞっとするさま、サイゼン=水がさらさらとそそぐさま、シャゼン=心がさっぱりしてわだかまりのないさま)。



【解釈】 世の中はいよいよごたごた乱れて麻糸のもつれるがごとく、収拾の見込みもつかない。その間、権勢や欲望の争いの中に幾人の知人が亡くなったことか。それにつけても、古い恨みや新しい愁いが今さらのように湧き起こり、一人嘆くばかりである。今しも、春のうたたねの夢から覚めてみれば、誰一人いない。夕暮れの小雨が軒先から、しずかに紫荊の花にしたたり落ちているだけである。

「紫荊」は「蘇芳」です。辺りが暗くなる軒下に咲いている蘇芳。滴り落ちる雨垂れに濡れそぼる鮮やかな花の色だけが現実感を持っています。明治書院の「背景」(P23)によれば、「紛紛たる世事」とは、南朝方と北朝方の対立によって引き起こされた目を覆うばかりの混乱を指している。室町幕府三代将軍、足利義満のころに南北朝合流が図られますが、その間の戦乱や政治の駆け引きなどあらん限りの擾乱が義堂の心を抉ります。そうした中で死んでいった仲間たち。「旧恨」や「新愁」はそうした悲しい別れを指しており、新旧が次から次と交替するように悲しみが続いて止まないさまを表しています。同書は続けて、「この語は杜甫の『兵車行』の『新鬼は煩冤し旧鬼は哭す』(新しく死んだ人の幽霊はもだえ恨み、昔死んだ人の幽霊は大声で泣いている)を連想させる。義堂の詩では『恨』や『愁』の主体は義堂自身であるが、亡くなった人の『恨愁』が響いているのは言うまでもない」とあります。

「こういった詩を読むと詩人としても豊かな情感を持っていたことがわかる。作者名を伏せて詩を読めば、まったく僧であることを感じさせない」(P22)作品であると、明治書院では賞賛しています。

おそらく義堂の詩情に影響を与えたであろう杜甫の「兵車行」を全文掲載しておきます。漸長いですが、「出征兵士との問答形式で、玄宗皇帝の拡張政策を非難している。751年、40歳のときの作品」(岩波文庫「杜甫詩選」黒川洋一編 P41~)です。

「兵車行」 杜甫

車轔轔 馬■■      車は轔轔 馬はショウショウ
行人■■各在腰      行人のキュウセンは各々腰に在り
耶嬢妻子走相送      耶嬢妻子 走りて相い送り
■■不見咸陽橋      ジンアイに見えず 咸陽橋
牽衣頓足攔道哭      衣を牽き足を頓し道をって哭す
哭声直上干■■      哭声は直ぐに上りてウンショウを干す
道傍過者問行人      道傍を過ぐる者の行人に問うに
行人但云点行頻      行人は但だ云う 「点行頻りなり」と
或従十五北防河      或は十五従り北のかた河を防ぎ
便至四十西営田      便ち四十に至るも西のかた田を営む
去時里正與裹頭      去きし時には里正の与に頭をみしに
帰来頭白還戍辺      帰り来りて頭白きに還お辺を戍る
辺庭流血成海水      辺庭の流血は海水を成せど
武皇開辺意未已      武皇 辺を開く 意は未だ已まず
君不聞漢家山東二百州   君聞かずや 漢家山東の二百州
千村萬落生■■      千村万落 ケイキを生ずるを
縦有健婦把■■      縦い健婦のジョリを把る有るも
禾生■■無西東      ロウホに生じて西東無し
況復秦兵耐苦戦      況んや復た秦兵は苦戦に耐うるとて
被驅不異犬與鶏      駆らるることは犬と鶏とに異ならず
長者雖有問        「長者の問う有りと雖も
役夫敢申恨        役夫は敢て恨みを申べんや」
且如今年冬        「且つ今年の冬の如きは
未休関西卒        未だ関西の卒を休めず
県官急索租        県官は急に租を索む
租税従何出        租税は何く従り出でんや」
信知生男悪        信に知りぬ 男を生むは悪しく
反是生女好        反って是れ女を生むは好しと
生女猶是嫁比鄰      女を生めば猶お是れ比隣に嫁せしむるも
生男埋没随百草      男を生めば埋没して百草に随う
君不見青海頭       君見ずや 青海の
古来白骨無人収      古来 白骨 人の収むる無く
新鬼煩冤旧鬼哭      新鬼は煩冤し旧鬼は哭し
天陰雨湿声■■      天陰り雨湿るとき声のシュウシュウたるを



詩聖には申し訳ないですが一部を漢字問題にしてしまいました。邪道ですけど。問題を解き終わったらちゃんと漢字を入れてもう一度味わっておいてくださいね。この詩は現代の日本社会でも当て嵌まる風刺の利いた作品です。蒼民の魂の叫びです。室町初期の時代の禅僧もこれに触発されたのです。古来、千何百年がたとうが世の中は進歩していないということなのでしょうか。



各正答は次の通り。


蕭蕭、弓箭、塵埃、雲霄、荊杞、鋤犂、隴畝(壟畝)、啾啾、さえぎって、つつみ、いね、ほとり。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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