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怨霊なのか?はたまた学問の神なのか?=無念と歴史を残した菅原道真

♪とおりゃんせ、とおりゃんせ~
ここはど~この細道じゃ~
天神さまの細道じゃ~♪

天神さまと言えば菅原道真。彼が11歳のときに詠んだという漢詩が大阪天満宮のHPに載っています。そのまま引用いたします。

月耀如晴雪   月の耀きは晴れたる雪の如し
梅花似照星   梅の花は照れる星に似たり
可燐金鏡轉   憐れむべし金鏡転じ
庭上玉房馨    庭上に玉房馨れるを


お月さまはきらきらかがやく雪みたい
梅の花はぴかぴか光る星みたい 
ああすてき空にはお月さまの光がきらめき 
庭には梅のいい匂いがただよっている(11歳らしい訳になっている)

五言絶句。11歳らしいと言えばらしいですが、その才能の片鱗は十分にうかがえる作品。月と梅を巧みに、雪と星とに置き換えて詠み込んでいます。


さて、次は一気に飛んで56歳のときに詠んだ「不出門」(門を出でず)。どんな状況でどんな心境を詠んだものかじっくりと味わってみてください。

一從■■在■■    一たびタクラクせられてサイケイに在りしより
萬死兢兢■■情    万死兢兢たりキョクセキの情
都府樓纔看瓦色    都府楼はかに瓦の色を看
観音寺只聽鐘聲    観音寺は只鐘の声を聴くのみ
中懐好逐孤雲去    中懐は好し逐わん孤雲の去るを
外物相逢満月迎    外物は相逢う満月の迎うるに
此地■身無■■    此の地身にケンケイ無しとイエド
何為寸歩出門行    何為れぞ寸歩も門を出でて行かん





タクラク=謫落。罰して辺境の地へ左遷すること。「謫」は「せめる」「つみする」。謫降(タクコウ)、流謫、配謫。謫徙(タクシ=とがめを受けて官位を落とされ、地方へ左遷されること、謫遷=タクセン=)、謫戍(タクジュ=罰せられて国境などの辺地の守備要員にさせられること)、謫所(タクショ=流罪されて住んでいる場所、配所)、謫仙(タクセン=天上界から人間界に流された仙人。すぐれた人を褒めていうことば、謫仙人)、謫堕(タクダ=退けられておちぶれる)、謫官(謫宦=タッカン=罪や過失のため、その罰として役人が地方へ左遷されること)、謫居(タッキョ=罪をおかし、その罰として遠方へ流されること、そこでの侘び住まい)。

サイケイ=柴荊。しばといばら、転じて、粗末な家、あばら家。柴扉(サイヒ=しばでつくった粗末な戸)、柴門(サイモン=小枝を編んでつくった門、粗末な家)、柴折戸(しおりど=しばや竹をたばねてつくった簡単な戸)。

キョクセキ=跼蹐。跼天蹐地・局天蹐地(キョクテンセキチ)の略。「テンにせぐくまりチにぬきあしす」。天に頭がつかえないかと身をかがめて歩き、地面がへこまないかとそっと歩く。非常におそれてびくついているさま。詩経・小雅・正月に「謂天蓋高 不敢不局、謂地蓋厚 不敢不蹐」がある)。「跼」は「せぐくまる」とも訓み、跼躅(キョクチョク=かがんだり、足がつかえたりして行き悩むさま)、跼足(キョクソク=足をかがめる)、跼頓(キョクトン=とんとつまずく、つんのめる)、跼歩(キョクホ=身をかがめてこそこそ歩く)。「蹐」は「ぬきあし」とも訓む。

ケンケイ=検繋。束縛すること。辞書に掲載無し。「検」は「とりしまる」、「繋」は「つなぐ」。

イエドも=雖も。たとえ~であっても、かりに~であっても。逆接の仮定条件の意。音読みは「スイ」ですが、幸いなる哉、熟語は見当たりません。

纔かに=わずかに。やっとのことで、はじめて。音読みは「サイ」。方纔(ホウサイ=はじめて、やっと)。旁の「ク・ロ・ヒ(比)・メン(免)・テン(、)」は「親兎の腹の下に子兎がもぐりこんで、やっと少し顔を出したさま、糸偏で、糸の端がやっと少しのぞいたことを示す」。




【解釈】 ひとたび左遷されて配所の門に入ってからは、罪万死にあたるを思い、戦々兢々と只管謹慎の日々を送っている。近所の都府楼は瓦の色が少し見えるだけで一度も登ったことはない。観音寺も鐘の音が聞こえるばかりで訪れたことはない。胸の内の切なる思いは孤雲の行方を追い都へと馳せるが、今、わたしを迎えるのは都の使者ではない。窓から見える満月なのである。この地は左遷と言っても束縛されることはない。だからといって、一歩たりともこの門を出て歩こうなどとは思いもしないのはなぜだろうか。

都府楼とは大宰府の楼を指しています。何とも悶々とした思いが滲み出ている詩です。大宰府に流された道真。菅原家は彼の祖父が空海と共に遣唐使として入唐するほどの名門として知られていました。33歳で博士となり、のち、宇多上皇に認められ、蔵人頭、右大臣にまで上り詰めます。出来る奴ほど睨まれるのは世の常。昌泰4年(901)、醍醐帝の退位を計画したとの廉で、時の権力者、藤原時平の讒言に遭います。無実の罪に遭った道真はただ罪を恐れ宿所となった浄妙院に謹慎する日々を送り、三年後に病没しました。

中唐の大詩人、白居易にも「不出門」という同じ詩題の作品があります。道真自身も白居易の影響を受けたことは間違いないところです。頷聯にある「都府樓纔看瓦色 観音寺只聽鐘聲」は同じく白居易の有名な「遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き 香鑪峰の雪は簾を撥げて看る」(枕草子で清少納言も影響を受けている)を換骨奪胎したものと思われます。かくも才ある人物が無実の罪で憐れな最期を遂げるとは世の無常もこの上ない。

ところが、道真が追われた後、都では異変が相次ぐ。まず藤原時平が延喜9年4月、39歳の若さで病歿、4年後には右大臣源光も亡くなります。また宇多上皇を皇居に入れなかった藤原菅根も変死。更に延喜23年3月には時平の妹穏子と醍醐天皇の間に生まれた皇太子保明親王が21歳で死去、追い討ちを掛けるように2年後にはその保明親王と時平の娘との間に生まれた幼い新皇太子慶頼王まで亡する。世の人々は道真公が自分を追いやった時平公の縁者に祟っているのだと噂します。醍醐天皇も恐くなって道真を右大臣に戻す詔を出したりしますが、怪異は収まる気配がありません。

そしてとうとう延長8年(930)の6月26日、内裏に落雷があって大納言藤原清貫と右中弁平希世をはじめ何人もの殿上人と女官が雷に撃たれて死亡するという事件が起きます。醍醐天皇はショックで病に倒れ、3ヶ月後この世を去ってしまいました。道真公が雷神と化した「怨霊」伝説のうわさが専らになります。しかし、道真が世に恨みを残したことは間違いないでしょうが、オカルト現象は後世の人の作り話にすぎないでしょう。権力闘争の陰には憑き物です。屹度、時平一族の栄転をねたんだ側の仕組んだことに違いありません。

そして、道真は京都・北野天満宮に祀られます。現代には「学問の神様」と言った方が通りがいいでしょう。なんか中国文学の先駆けとなった屈原と似ています。讒言に遭い失意のうちに自殺をした。思いが届かない。そんな恨みを残して姿は消してもその魂はこうして脈々と伝わっているのです。それが歴史です。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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