スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

唐王朝に名を馳せた一流のグローバル日本人=故国を二つ持つ阿倍仲麻呂

6世紀末から7世紀にかけて聖徳太子が隋の煬帝に使いを派遣しました。中国文化の摂取が目的である遣隋使の始まりです。以後、300年間にわたり遣隋・遣唐船が十数回往来し、中国のさまざまな文化・思想・制度・宝物を急速に吸収するプロセスを辿ります。日本人にとって、漢詩の伝来、模倣もこのころが最も盛んだったのではないでしょうか。日本最初の漢詩集「懐風藻」が編まれたのは751年、まさに天平文化全盛期のことでした。儀礼の場で詠まれた模倣が中心で独創的な着想に基づく作品はまだ見られないものの、異国の文化を何とかものにしようという意気込みが感じられました。(明治書院「新書漢文大系 7 日本漢詩」(猪口篤志著、菊地隆雄編)から)

「懐風藻」の劈頭の作品が大友皇子(648~672)の「侍宴」(宴に侍す)。

皇明光日月      
帝徳載天地      
三才並泰昌
万国表臣義



天智天皇の子である大友皇子は、叔父の大海人皇子と争い(壬申の乱)、一敗地に塗れて24歳の若さでこの世を去ります。この作品は「天智天皇の即位礼(668)の後の饗宴で詠まれたものか。現存する最古の日本漢詩」(P5)とあります。続けて「典雅な詠いぶりではあるが類型的であることも否めない。経書『中庸』の語を多く用いる」(同)とやや辛口の評も見えます。しかし、日本人が中国の文化を摂取しようと苦労する姿の一過程であると見れば、なんとも微笑ましい詩ではありませんか(皇子には失礼ですが)。特に難解な言葉も無く、漢字の問題にする必要は無いでしょう。ただ、日本人が詠んだ最古の漢詩として記録にとどめておきます。

さて、本日の本題。阿倍仲麻呂はご存知でしょうか。717年、第八次の遣唐使節団のメンバーに留学生として加わりました。16歳の初な青年です。吉備真備も同乗しています。彼は唐代の科挙に合格するほどの秀才でした。時の皇帝玄宗も彼の才を惜しんで手放すことをしませんでした。帰国を臨みましたが許されず、第十次の遣唐使節団の帰国のメンバーに入りましたが、辞職ではなくあくまで唐王朝からの派遣という捩れた形でした。ときに51歳。その際の経緯を記した詩が「銜命使本国」(命を銜んで本国に使いす)です。


銜命将辞国    命を銜んで将に国を辞せんとするに
菲才恭侍臣    菲才侍臣を恭うす
天中恋明主    天中に明主を恋い
海外懐慈親    海外に慈親を懐う
伏奏違■■    伏奏してキンケツ
騑驂去玉津    騑驂もて玉津に去る
蓬萊■■遠    蓬萊のキョウロ遠く
若木故園隣    若木は故園の隣
西望懐恩日    西望して恩を懐うの日
東帰感義辰    東帰して義に感ずるの
平生一宝剣    平生の一宝剣
留贈結交人    留贈す交わりを結ぶの人に





キンケツ=金闕。天子の宮殿。宮城。宮闕(キュウケツ)とも。この「闕」は「天子のいる所、宮城」の意。禁闕もあり。

キョウロ=郷路。郷里に伝わる道。匡廬ではない。
違り=さ・り。「違る」は「さる」。離れさる、あわない、仲たがいする。表外訓みとして覚えておきましょう。

辰=とき。時刻や日のこと。音読みは「シン」。辰極(シンキョク=北斗星)、辰刻(シンコク=とき、時刻、「たつのこく」と訓めば、今の午前8時および前後2時間)、辰巳(シンシ=南東の方向、たつみ)、辰砂(シンシャ=鉱石の名、赤い絵の具の原料)、辰宿(シンシュク=星のやどる所、星座)、辰星(シンセイ=水星の別名)、辰良(シンリョウ=物事を行うのによいとされる日、吉日)。



【解釈】 天子の命令を受けて唐を出て故国日本に帰ろうとしている。それにしても、これまでも才能に欠けていたこの身をもってかしこくも天子の傍に仕える役をこなすことができたものだ。唐王朝にあって絶大英明なる天子をお慕いする心は格別だが、海外に在す慈悲深き両親を思う心もまた切なるものがある。そこでこの天子に伏してお願いして懐かしい宮城を出て四頭立ての馬車にのって立派な港・蘇州に赴くことができた。故郷日本へ帰る路は遠く、かの太陽が昇るという神木若木、日本は故郷の隣にある。いつか西のかた長安の都を望んでは永年唐で受けた恩を思う日があろうし、東のかた故国日本に帰っては唐で受けた諸君らの義を感ずる時もあろう。そこで私が平素から宝として佩びていた剣を親しく交わった友に贈り、記念として欲しいと思うのである。

この中で「騑驂」は「ヒサン」と読み、「四頭立ての馬車で、外側の二頭の馬のこと」。「そえうま」とも読む。転じて、馬車を牽く馬全般をいう。「玉津」は「りっぱな港」、つまり日本へ向けた舟が出発する蘇州を譬えています。「蓬萊」は中国から見て東にある日本をいう言葉。いつの間にか中国の方を「故園」と称しています。このように仲麻呂にとって故郷、故国は一つではありませんでした。生れてから16年しか住まなかった日本に対して、その後の70年の人生の大半を唐で過ごしたわけで、どちらかというと唐の方が思い入れは大きいでしょう。結局仲麻呂は船が難破して今のベトナムの辺りに遭難。結局、唐王朝に再び使え、日本に足を踏み入れることはありませんでした。


玄宗皇帝の時代は詩の世界で言う「盛唐」です。仲麻呂は王維や李白らとも親交がありました。この作品は唐詩を網羅した「全唐詩」にも採録され、その才たるや世界に誇るべき日本人の一人と言っても言い過ぎではないでしょう。最後の「結交人」とは恐らく王維を指すものと思われます。王維は仲麻呂の送別会で次のような詩を詠んでいます。

「送秘書晁監還日本国」(秘書晁監の日本国に還るを送る)

積水不可極   積水 極むべからず
安知■■東   安んぞ知らん ソウカイの東
九州何処遠   九州 何れの処か遠からん
万里若乗空   万里 空に乗ずるが若し
向国惟看日   国に向かって惟だ日を看
帰帆但信風   帰帆 但だ風に信すのみ
鰲身映天黒   鰲身 天に映じて黒く
魚眼射波紅   魚眼 波を射て紅なり
郷樹■■外   郷樹 フソウの外
主人孤島中   主人 孤島の中
別離方異域   別離 方に異域
音信若為通   音信 若為でか通ぜん





ソウカイ=滄海。
フソウ=扶桑。
若為か=いかでか。



【解釈】 ひろびろとした海はきわめようもない。東の海のさらに東、君の故国のあたりのことなどそうして分かろうか。中国の外の九大州のうちでどこが一番遠いのだろう。君の故国への万里はるかな旅路は、空中を飛んで行くように心細いものだ。故国へ向かってただ太陽を目印として見るばかり。帰途につく船は、ただ風に任せて進むだけ。途中、波間にオオウミガメの甲羅が大空を背景に黒々と見え、大魚の眼の光は波頭を射指すように輝いて紅に光る。君の故郷の木々は扶桑の国のかなたにしげり、その故郷の家のあるじである君は孤島の中に住むことになる。これからお別れしてしまえば、まさしく別々の世界の住人となるのだ。便りもどうして通わせることができようぞ。(以上、石川忠久氏編の「漢詩をよむ 王維一〇〇選」(NHKライブラリー))

秘書監(宮中の蔵書を管理する役所の長官)は仲麻呂のことです。「晁」とは「晁衡」の略で仲麻呂の中国名です。王維は日本のことをかなりおどろおどろしいものとして描写しています。これは当時の中国人の日本観だったのでしょう。黒々とした得体のしれない海のさらに東にある国。途中にはオオウミガメや奇怪な魚がいる。蔑みすら感じられます。おい友よ、そんな不気味なところに帰るなんてバカなことはおよしよ。とでも茶化し気味に別れを惜しんでいる。それほど気心の知れた異国の友だったのでしょう。グローバル時代のいまでこそ当たり前の交流かも知れませんが、1200年以上も前の渡航技術もままならない日本では稀有なる人でした。いまでいう国際人の「魁」とも言えましょう。こうした人材こそどんどんと育て世界に送り出していかなければいけないと思います。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

profile

char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

calendar
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
recent entry
recent comment
category
monthly archive
search form
RSS links
links
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。