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心中に浮かびし思いは「来不可遏 去不可止」書くべし!書くべし!!=陸機「文賦」21

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の21回目です。

夫の1)オウカンの会、2)ツウソクの紀の若きは、来れどもア)む可からず、去れども止む可からず。蔵るること景の滅ゆるが若く、行くこと猶お響きの起こるがごとし。3)テンキの4)シュンリなるに方たりては、夫れ何の紛たるとして理まらざる。思いは風のごとくに5)キョウオクに発し、言は泉のごとくに6)シンシに流る。紛としてイ)威蕤として以てウ)馺遝たり、唯6)ゴウソの擬する所なり。文は徽徽として以て目に溢れ、音は泠泠として耳に盈つ。

1)オウカン=応感。心が物事に接して反応し、何かを感じること。感応(カンノウ)の方が一般的ですがこれもありです。≠皇侃、王冠、王翰。

2)ツウソク=通塞。物事が思うように運ぶことと、行き詰まって思うように運ばないこと。通窮(ツウウキュウ)ともいう。この「通」は「すらすらと事が運ぶ、さわりなく出世する、つかえることがないさま」の意。亨通(コウツウ=運がよい)。「塞」は「ふさぐ」と訓み、「すきまなく詰めて通れなくする」の意。この意味で音読みは「サイ」ではなく「ソク」。厄塞(ヤクソク=運勢がふさがって悪い、≠約束)、塞源(ソクゲン=害を防ぐためその物事の根源をふさぐこと、抜本塞源=バッポンソクゲン=、塞原とも)、塞責(ソクセキ=責任を果たすこと)。≠通則。

3)テンキ=天機。自然のからくり、万物を作る、目に見えない自然のはたらき。天から与えられた機能、自然に備わっているはたらき。「機」は「からくり、はたらき」の意。≠天気、天機、転機、転記。

4)シュンリ=駿利。すぐれていてするどいさま。「駿」は「すぐれる」とも訓む。駿雄(シュンユウ=才知が優れている人)、駿逸(シュンイツ=他の人より才能などがすぐれていること、飛び抜けてすぐれた人)、駿敏(シュンビン=すぐれてさとい、頭がよくすばしこいこと)、駿蒙(シュンボウ=たよりにできる、徳の高いすぐれた人、駿厖=シュンボウ=)、駿良(シュンリョウ=すぐれた人材)。

5)キョウオク=胸臆。むねの中の思い、自分の考え。胸奥は「キョウオウ」(=心中)。「胸」も「臆」も「むね」。重ねることで「こころの奥」といったニュアンスを強める。「臆」は「おしはかる」とも訓み、臆出(オクシュツ=かってにおしはかり説を立てる)、臆度(オクタク=自分の考えだけでおしはかる、臆測=オクソク=)、臆断(オクダン=自分だけの推量で決断する、臆決=オッケツ=)、臆見(オッケン=自分ひとりのかってな考え)。

6)シンシ=脣歯。くちびると歯。非常に密接な関係にある二つのものに喩える言葉。脣歯輔車(シンシホシャ=互いに密接な関係にあり、助け合うこと)から来ている。「脣」は「くちびる」。脣亡歯寒(くちびるほろびてはさむし=利害関係を同じくする密接な者同士は、一方が滅びると、他の一方がじかに脅威にさらされるたとえ)、脣舌(シンゼツ=くちびると舌、弁舌の上手なこと)、脣吻(シンプン=口先、「吻」→「くちさき」)。≠真摯、襯紙、参差。

7)ゴウソ=毫素。筆と紙。紙筆。毫楮(ゴウチョ)ともいい、「楮」は「紙の原料となるコウゾ」。「毫」は「ふで」。「素」は「しろ」から「紙」を意味する。≠嗷訴、強訴。

ア)遏む=とどむ。「遏める」は「とどめる」。「さえぎる」とも訓み、「おしとどめる、おさえて防ぐ」の意。音読みは「アツ」。遏止(アッシ=一族を残らず滅ぼす、おしとどめて物事をさせない、遏絶=アツゼツ=とも)、遏密(アツミツ=鳴り物をやめて静かにする)、遏雲(アツウン=空を流れゆく雲までもおしとどめる、すぐれた音楽や歌声を形容する、列子・湯問篇の「振林木、響遏行雲」が出典)。

イ)威蕤=イズイ。草木などがおごそかにむれ垂れ下がっているさま、ここでは文章が立派なさまを譬えています。「蕤」は既出です。

ウ)馺遝=ソウトウ。これは難読漢字。馬がさっと素早く駆けるさま。ここでは、文章があとからあとからどんどん生まれてくるさまをたとえている。「馺」は「おう」「はやい」とも訓み、「馬がさっと走る、さっとかけるさま」。馺娑(ソウサ・ソウシャ=馬がはやくはしるさま)。「遝」は「およぶ、あとからあとから追いかけ、追いつく」。


若夫應感之會,通塞之紀。來不可遏,去不可止。藏若景滅,行猶響起。方天機之駿利,夫何紛而不理。思風發於胸臆,言泉流於脣齒。紛威蕤以馺遝,唯毫素之所擬。文徽徽以溢目,音泠泠而盈耳。



【解釈】 物と心が感応して創造力が生れる法則や、その創造力の淵源が開閉する原理についていえば、それが現れる時に抑えることはできず、消え去る時に引き留めることはできない。火が消えるように去り、響きが起こるように現れてくる。心の中に創造の力が働く場合は、いかに複雑なものでも、秩序づけることができる。思いは風のように、胸中に生じ、言葉は泉となって、口から流れ出す。そうなれば、次々に勢い良く溢れてくる文章を、筆と紙とを用いて書き記すばかりである。こうして書かれた文は、華やかさで目を眩ませ、読み上げれば、音は清らかに耳に響くのである。

陸機の思いは突然にやってきます。不意を突く。来た時が書き時。それは、いつ消え失せるともしれないはかない、切ない「迸り」でもあるので、思いが沸いた時は一気に書き上げるのです。そのパワーたるや、「思風發於胸臆,言泉流於脣齒」だという。言葉の泉が溢れ出る。あとは「紛威蕤以馺遝,唯毫素之所擬」するのみ。筆を紙に走らせるだけ。陸機の書いた文章は「文徽徽以溢目,音泠泠而盈耳」だという。「徽徽」(キキ)は、「目をくらませるほど細やかで美しいさま」。「徽」は「よい」とも訓む。「泠泠」(レイレイ)は「清らかな音の鳴るさま、琴や風などの音のさわやかな形容」。「泠」は「きよい」とも訓む。泠人(レイジン=楽官、音楽を演奏する官人)、泠然(レイゼン=ひややかで清らかなさま、行動がかろやかなさま)、泠風(レイフウ=さわやかなそよ風)。

彼が縷縷述べてきた「文章論」ですが、内なる自分の思いの発露がすべてだというのがどうやら結論のようです。そして、何度も書いては失敗して、失敗してはまた書き続ける。そうした中で記録に残して読み手に伝えていく。それが文章の役割であり価値である。それを紡ぐためには古の人の文章を味わい、言葉を習得する。一見、同じように見えても己のオリジナルをとことん追求する。古の思いを自分の思いへと昇華させるのです。そうやって人類は歴史を築き、未来への存在を確かなものにするのです。聊か、哲学チックではありますが、人間が人間である以上、言葉から逃れる術は無く、言葉とともに歩むのです。……「文賦」はまだクライマックスではありません。陸機の文章への思いはもう少しだけ続きます。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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