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たとえ「缶」でも鳴らし続ければ「玉」の音を奏でられようぞ=陸機「文賦」20

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の20回目です。長かったシリーズも後数回です。ここにきてテクニカルな内容は有りません。精神論が中心です。いい文章を追い求める陸機の厳しい姿勢が続きます。

此の世に1)フンアイすと雖も、ア)予が2)キクに盈たず。イ)挈缾の屢々空しきを患い、3)ショウゲンの属り難きを病む。故にウ)短垣にエ)踸踔し、庸音を放ちて以て曲を足らす。恒に恨みを遺して以て篇を終う、豈盈を懐いて自ら足れりとせんや。塵をオ)に叩くに蒙るをカ)れ、顧て笑いを4)メイギョクに取る。


1)フンアイ=紛藹。みだれるばかりに盛んなさま。ここでは、名分がたくさんあるさま。「藹」は「樹木がこんもりとふさがって茂るさま」。蔭藹(インアイ=)、藹藹(アイアイ=元気いっぱい、草木がこんもりと茂るさま)、藹蔚(アイイ=樹木がしげるさま)、藹然(アイゼン=気持ちがやわらいで穏やかなさま、雲の集まるさま)。

2)キク=掬。両手いっぱいほどの量。春秋・戦国時代の一掬(イッキク)は約0・2リットル。「すくう」の訓みもあり、「片手または両手をまるくして、その中へ水をすくいとる、また、手のひらをまるめて、その中にのせる」の意。掬水(キクスイ=両手で水をすくうこと、両手ですくった水)。

3)ショウゲン=昌言。りっぱなことば、公明正大なことば、美言。≠証言。「昌」は「さかん」「あきらか」とも訓む。堂々として包み隠さない、公明正大なさまをいう。昌運(ショウウン=物事がさかんになる回りあわせ)、昌昌(ショウショウ=物事がさかんなさま)、昌盛(ショウセイ=さかんなこと)、昌平(ショウヘイ=国が栄えて世が静かにおさまること)、昌黎(ショウレイ=中唐の詩人・韓愈の号)。

4)メイギョク=鳴玉。玉が鳴るよい音。よい音を鳴らす玉。「鳴」は「楽器などを鳴らす」。鳴神(なるかみ=かみなり)、鳴珂(メイカ=珂を鳴らす、また、音をたてる珂、「珂」は貴人の馬のくつわにつける、玉や貝などでつくられた飾り)、鳴禽(メイキン=よい声でさえずる鳥)、鳴琴(メイキン=琴をひくこと、また、鳴っている琴のこと)、鳴弦(メイゲン=弓づるを鳴らす、また、鳴る弓づる)、鳴絃(メイゲン=琴を鳴らすこと、弦楽器)、鳴号(メイゴウ=泣き叫ぶ)、鳴糸(メイシ=琴のこと)、鳴条(メイジョウ=風に吹かれて音を立てる枝)、鳴鏑(メイテキ=射たときに、うなりをたてるかぶらや、なりかぶら、鳴箭=メイセン=)、鳴吠(メイハイ=鶏が鳴き、犬が吠える、鶏鳴狗盗=ケイメイクトウ=、反乱のたとえ)、鳴鑾(メイラン=天子の車につける鈴、転じて、天子の乗り物、天子が車に乗って出かけること)。

ア)嗟=ああ。感嘆語。感動した時に舌打ちのちぇっという音をあらわす。音読みは「サ」。嗟哉(ああ・あなや=なげく声をあらわすことば)、嗟嗟(ああ=感嘆する声をあらわすことば、舌打ちするさま)、嗟吁(サウ・ああ=なげいて発する声、嗟乎=ああ=、嗟呼=ああ=、嗟夫=ああ=)、嗟咨(サシ=ああといってなげく)、嗟称(サショウ=感心してほめる、ほめたたえる、嗟賞=サショウ=)、嗟嘆(嗟歎=サタン、舌打ちしてなげく、感心してほめる)、嗟悼(サトウ=なげきいたむ、なげき悲しむ)、嗟服(サフク=感服する、感心して人に従う、嗟伏=サフク=)、嗟来(サライ=さあ、そら、ああ=なげく声をあらわすことば)、嗟来之食(サライのシ=「さあ食らえ」と無礼な態度で与える食べ物のこと)、嗟惋(サワン=舌打ちして残念がる)。

イ)挈缾=ケッペイ。手でさげる小さなかめ。ちっぽけなもののたとえ。「挈」は「ひっさげる」「たずさえる」とも訓む。挈瓶とも書く。挈缾之知(ケッペイのチ=わずかな才知、小智)。「缾」(ヘイ)は「水を汲むための器、また、水がめ、小型の酒器」。面白い成句に「缾之罄罍之恥」(ヘイのつくるはライのはじ)があり、「小さい缾の酒がつきると、大きい罍から補給する。だから、缾の酒がなくなることは罍からの供給が無いからで、罍にとって恥である、富者が貧者に財を分けないことなどを風刺したことば、罄はからになること、罍は大きい酒器」。

ウ)短垣=タンエン。背の低いかきねのこと。「垣」は「エン」と読む。垣牆(エンショウ=かきね、かこい)、垣籬(エンリ=まがき、かきね、籬垣=リエン=、籬藩=リハン=、籬牆=リショウ=)、牆垣(ショウエン=かきね、牆籬=ショウリ=)、省垣(ショウエン=省城のこと、省城は城壁でとり巻いてあるのでいう)。

エ)踸踔=チンタク。片足でぴょんぴょんと飛ぶようにして行くこと。また、そのさま。「踸」は「足でささえて、からだを低く下げる」、「踔」は「足でささえてからだを高くあげる」で、両語は対義語の関係に在ります。踔風発(タクレイフウハツ=ひとりだちして他人をおそれず、盛んに議論する、文章や話の勢いが激しく雄弁なこと、韓愈の「柳子厚墓誌銘」に出典あり)、踔遠(タクエン=はるかに隔たっていて遠い)、踔絶(タクゼツ=ずばぬけてすぐれている、卓絶)、踔然(タクゼン=ぬきんでているさま、卓然)。

オ)缶=フ。ここは「カン」ではなく呉音で「フ」と読むべき。「ほとぎ」とも訓み、「楽器の名称、まるくふくれた形をした瓦製の打楽器、趙の藺相如が、趙の恵文王のために、秦の昭王に缶を打たせた物語は有名」。

カ)懼れ=おそれ。「懼れる」は「おそれる」。びくびくする、目をオドオドと動かす。音読みは「ク」。懼然(クゼン=おどおどするさま、意外な物を見てびっくりするさま)。危懼(キク)、愧懼(キク)、疑懼(ギク)、怖懼(フク)、畏懼(イク)、慴懼(ショウク)、竦懼(ショウク)、聳懼(ショウク)、悚懼(ショウク)など下付き熟語が多いです。

雖紛藹於此世,嗟不盈於予掬。患挈缾之屢空,病昌言之難屬。故踸踔於短垣,放庸音以足曲。恆遺恨以終篇,豈懷盈而自足。懼蒙塵於叩缶,顧取笑乎鳴玉。



【解釈】 しかし、この世にいくらでもあるはずの、その名文が、私の手には入らない。私の才能は、小さな水瓶のように、すぐに空になり、立派な文章が作り難いことを嘆くばかりだ。そこで結局は、ひくい垣根を乗り越えることもできず、平凡な音を奏でるだけで、一つの曲を終えてしまう。文章を書き終えても、不満が残る。意に叶って満足することなどありはしない。素焼きの壺を叩きつつ、ほこりをかぶるのを恐れるばかりで、玉を打ち鳴らす人からは笑われてしまう。

書きたい気持ちが空回りしてもどかしいさまを、「患挈缾之屢空,病昌言之難屬」と言っています。ちっぽけな才能しかないこの私だが、すぐに言葉が出尽くしてしまう。言葉が継げないのである。なんと菲才であることか。音楽の演奏に喩えて、「故踸踔於短垣,放庸音以足曲」という。大してハードルが高くはないのに、自分の出した音は平凡の一語。あっさり終わってしまう。物足りない。自分が本当に言いたかったことはこの程度のことなのか?己の文才の無さに愕然とし失望します。自分の叩く楽器は「缶」でしかない。「玉」を鳴らし、爽やかな響きを奏でる名人の域には到底達しないのだ。それでも、たとえ「缶」であっても己の思いを世に問いたい。その渇望がある限り、再び楽器を演奏しなければなりません。才能のある無しではない。諦めること無く続けること。それしかありません。文章を書くということは斯くも辛く、厳しい道なのです。その先にある世界は果たして天国なのでしょうか。地獄なのでしょうか。それは誰にも知り得ない。ほかならぬ自分以外は到達できない世界なのです。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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