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文と文を繋ぐ「衡」を古の文章で磨くべし!=陸機「文賦」11

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の11回目です。文章というものは思いを伝えることが第一義ですが、折角の思いを誤らずに表現することが肝要です。基本的な構成や配列を間違えたがためにグレードが落ちることは亟あります。ここからしばらくは文章を書いていて陥りがちな誤り、失敗の例を示し、その解決方法が述べられます。まさに「文章読本」らしいくだりが続きます。非常にテクニカルな内容で現代文章術でも立派に通用すると思います。

或いは仰ぎて先条に逼り、或いは1)して後章を侵す。或いは辞害ありて理ア)び、或いは言順にして義妨ぐ。之を離せば則ちイ)びに美しく、之を合わすれば則ち両つながらウ)る。殿最を2)シシュに考え、去留を3)ゴウボウに定む。苟くも4)センコウの裁する所ならば、固より縄に応じて其れ必ず当たる。


1)フ=俯。ふせる。からだをかがめてうつむく。「俛」が同義語で、その前段にある「仰」が対義語。和訓では「うつぶし・うつぶす・うつぶせ・うつぶせる・うつむき・うつむく・うつむける」があります。俯角(フカク=仰角に対して目の高さより下にある物を見る時、その物を見る視線と水平線とがなす角度)、俯瞰(フカン=高い所から下を見下ろすこと、鳥瞰=チョウカン=)、俯仰不愧天地(フギョウテンチにはじず=仰いで天に対しても、ふして地に対しても、心にやましいことがないからはじるところがない。自分の心や行いに少しもやましいところがないこと、「孟子」尽上が出典)、俯就(フシュウ=自分の主義や主張などをむりにかえて他人に従うこと、自分より身分の低いものの意見に従うこと)、俯伏(フフク=うつむきふす、目上の人に遠慮して下を向くこと)。

2)シシュ=錙銖。ほんのわずかな目方。わずかなもの、つまらないもののたとえ。「錙」も「銖」も古代中国の重量単位でいずれも「わずかなも」のにたとえる。錙錘(シスイ=わずかな目方、すこしの量やささいなもののたとえ、「一錘」は「八銖」)。

3)ゴウボウ=毫芒。毛と、のぎ。微細なもののたとえ。「毫芒」と「錙銖」は広義の意味で類義語と言えるでしょう。

4)センコウ=詮衡。そろえたものの能力や性格などをよく調べて、その中から選ぶこと。「詮」は「とく」「えらぶ」で「ことばや物事をきれいにそろえて、よいもの、正しいものをえらびとる」の意。「衡」の「はかる」で「物事の善し悪しや成否を考える」の意。もともとは「銓衡」(センコウ=物の重さをはかる道具、はかり、選考)が正しいが、誤用された言い方が定着した。こうしたケースはよくありますな。いまや「憮然」(ブゼン=しょんぼりしたさま)も違う意味として固定化されつつありますが由々しき事態です。

ア)比び=ならび。「比ぶ」は「ならぶ」、「比べる」は「ならべる」。表外訓み。くっついて同列にならぶ、くっつけて同列にならべる。比況(ヒキョウ=くらべてほかのものにたとえる、比擬=ヒギ=)、比肩(ヒケン、かたをならぶ=程度や地位が同じで優劣がないこと)、比周(ヒシュウ=かたよった交わり(比)と、公平な交わり(周)、出典は「論語・為政篇」)、比方(ヒホウ=ならべてくらべる)、比倫(ヒリン=くらべる、同じ仲間)、比隣(ヒリン=隣近所)。

イ)双び=ならび。「双ぶ」は「ならぶ」。表外訓み。匹敵する。双栖(ソウセイ=ならびすむ、夫婦・雌雄が一緒にすむ)。

ウ)傷る=やぶる。「傷れる」は「やぶれる」。表外訓み。ぶちあたってきずをつける。傷目(ショウモク、めをいたましむ=目を傷つける、目をいたませる、見て悲しく思うことを言う)。中傷の「傷」もこの意味です。


或仰逼於先條,或俯侵於後章。或辭害而理比,或言順而義妨。離之則雙美,合之則兩傷。考殿最於錙銖,定去留於毫芒。苟銓衡之所裁,固應繩其必當。



(そこで、文章構成の欠陥と対応について、どのような場合があるか述べよう。)第一は、ある一つの文(句)が、上段で述べた文と觝触したり、下段で述べる文を侵害するような場合である。例えば、二つの文を並べると、表現は相容れないが、論旨は繋がりあうことがある。また逆に、表現はうまく対応するが、論旨がぶつかり合うこともある。二つの文を別々に見れば、それぞれ美しいが、一緒にすると、どちらも傷ついてしまう。そういった場合の対処としては、二つの文の善し悪しを、細かく比較して、ほんのわずかでも良い方を選ばなければならない。もしも正しい秤に掛けて判定した結果であるならば、当然基準に沿った正しい選択となっているはずである。

文章とは文と文の連続性において成り立ちます。お互いが主張しぶつかりあったり、一方が他方を浸食したり、その関係が崩れたとき、文章は人に内容を伝える力が失われます。表現だけが揃っていればいいのではない。論旨がつながってさえいればいいものでもない。まさに文質彬彬。外見と内面の一貫性が求められるのです。そこで陸機は言います。「殿最於錙銖,定去留於毫芒」。それぞれの文のいい点、悪い点を吟味しなさい。輝きを放つ表現や言辞を採用するべきだということでしょう。一方のいい点を主に考えて、他の文もその良さに合わすべきである。ほんの僅かな差異であろうとも言います。微妙な違うをどう汲み取れるかが勝負です。最初からばっちり決まることもあるでしょうがそれはラッキーにすぎない。常に言葉と言葉の葛藤がある。ここも推敲の大切さを説いていると言っていいでしょうね。推敲するためには語彙力が必要となる。したがって古の文章を渉猟して習得しなければならないのです。語彙は思い付きでは生れませんから。

「苟銓衡之所裁」と陸機は言いますが、「正しい衡」というのは古の文章を指すと思われます。この衡をきっちりと身につけていなければなりません。文と文の一貫した流れを形づくるためには欠かすことのできないものです。一生涯を掛けてでもこの「衡」を磨き続けたいものです。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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