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Twitterも文体?でも所詮「つぶやき」は独りごとさ…=陸機「文賦」9

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の9回目です。本日は聊か趣向を変えてみます。漢字問題ばかりじゃ詰まらんでしょ。今回ご紹介するくだりではさまざまな「文体」の特徴が述べられています。恐らく陸機の個人的な見解ではなく、当時の中国の文章家たちの間にあった「共通の認識」と推察されます。それぞれの説明に当て嵌まる文体を答えていただきましょう。ノーヒントでは難しいですので、選択肢を列挙します。「説」「奏」「論」「賦」「奏」「銘」「箴」「詩」「誄」「頌」「碑」の10の文体です。本文中は白文、解釈も含めて空欄にします。ヒントは解釈を読んでみてください。

(本文)
「①」は情に縁りて綺靡たり、「②」は物を体して瀏亮たり。「③」は文を披きて以て質を相け、「④」は纏綿として悽愴たり。「⑤」は博約にして温潤、「⑥」は頓挫して清壮なり。「⑦」は優遊として以て彬蔚、「⑧」は精微にして朗暢たり。「⑨」は平徹にして以て閑雅、「⑩」は煒曄にして譎誑たり。区分の茲に在りと雖も、亦邪を禁じて放を制す。辞達して理挙らんことを要す。故に冗長を取る無し。

(白文)
「①」緣情而綺靡,「②」體物而瀏亮。「③」披文以相質,「④」纏綿而悽愴。「⑤」博約而溫潤,「⑥」頓挫而清壯。「⑦」優遊以彬蔚,「⑧」論精微而朗暢。「⑨」平徹以閑雅,「⑩」煒曄而譎誑。雖區分之在茲,亦禁邪而制放。要辭達而理舉,故無取乎冗長。

【解釈】さて、「①」という文体の特徴は、感情に沿って華やかに美しく、「②」の文体は、対象を分析的に描写して明確である。「③」の文体は、修辞を多用して内容を支え、「④」の文体は、死者への思いを綿々と述べて悲しげである。「⑤」の文体は、博い教訓を簡潔に穏やかにまとめ、「⑥」の文体は、抑揚に富んで新鮮な勢いがある。「⑦」の文体は、ゆったりとして華やかであり、「⑧」の文体は、精密にして明快である。「⑨」の文体は、平易で典雅、「⑩」の文体は、きらびやかで人の眼を惑わす。以上の如き区別が存在するが、どの場合にしても、逸脱や放縦は厳禁である。言葉が十分に理解され、論旨が相手に伝わることが重要なのであり、冗漫に長々と書くことは、もとより意味がない。

それでは、正解と、迂生の独断と偏見の解説です。

①=「詩」。

情緒纏綿として「綺靡」(キビ=あでやかで美しい、綺美とも)という。感情を表現するのがすべてで、彩りも美しくしつらえるのが詩の最大の特徴です。見た目に美しい。

②=「賦」。

「体物」(タイブツ=そのものの特性や心情などをよく理解すること)であり、「瀏亮」(リュウリョウ=きよく明らかなさま、音が冴えてほがらかなさま)という。やや抽象的ですが、詩と比べ賦は客観性がより高いのが特徴。音を引き合いに出すのは対句が多いからでしょう。音読すれば、意味はともかくその流れには引き込まれます。

③=「碑」。

「披文」(ヒブン)とは修辞を多用すること。「質を相く」は「シツをたすく」と読み、その内容を補うこと。「相く」は「たすける」。つまり、碑文は内容そのものよりも修辞を凝らすのが特徴だというのです。ある人の功績などを高らかに褒めあげるのが目的だからでしょう。

④=「誄」。

「纏綿」(テンメン=感情がまとわりついて離れないさま)であり、「悽愴」(セイソウ=かなしさが止まらず心が痛む様子、悽惻=セイソク=、悽傷=セイショウ=、悽楚=セイソ=、悽悼=セイトウ=)であるという。「誄」は死者の生前の功績・徳行を整理してほめたたえることば・文章です。死者を弔う詞のことを「誄詞」(ルイシ)といいます。死者に鞭打つことはあり得ませんのでとにかくじっとりと哀しさが前面にでるのです。

⑤=「銘」。

博約(ハクヤク=広い教訓を簡潔にまとめる)にして温潤(オンジュン=あたたかくうるおいのあるさま)。「銘」とは「金属器や石碑にしるした、人名や製作の謂われを述べた文句」。つまり、短く簡潔さが求められると同時に、あたたかみも必要。「碑」と似てはいますが、こちらの方がより情緒的な表現か。墓誌銘(ボシメイ=墓の碑文)。

⑥=「箴」。

「頓挫(トンザ)」とは「文章の調子が急に変わってゆるやかになること」、「清壮(セイソウ)」とは「はつらつと勢いがあるさま」。「箴」とは「いましめの文章、ちくりと人の心をさしていましめる」ですから、文章にも緩急を付けて一刺しするというのでしょうか。箴銘(シンメイ=いましめの文と、器や墓に書き記す文、いましめ、教訓)、箴言(シンゲン=いましめのことば、教訓)、箴誡(シンカイ=いましめ、箴誨=シンカイ=、箴訓=シンクン=)、箴諫(シンカン=悪い点をいましめていさめる)、箴規(シンキ=いましめただす)。

⑦=「頌」。

「優遊(ユウユウ)」とは「ゆったりとしているさま」、「彬蔚(ヒンウツ)」は「華やかである外見や内面が立ち並ぶさま」。「頌」とは「功績や人がらを賛美した教理を説く詩、あるいは先祖の徳をたたえる歌、詩経のジャンルの一つ」。徳を高らかに歌うわけですから、あまらい細かいことにはこだわらないと言えるでしょう。頌歌(ショウカ=ほめたたえて歌う)、頌繋(ショウケイ=かせをはめるべきところをゆるめて、罪人を牢獄に入れておく)、頌詞(ショウシ=ほめたたえる内容のことば・文章)、頌詩(ショウシ=ほめたたえる内容の詩)、頌辞(ショウジ=ほめことば)、頌述(ショウジュツ=ことばや文章でほめたたえる)、頌声(ショウセイ=人の徳や功績をほめたたえる声、また歌声)、頌歎(ショウタン=感心してほめたたえる)、頌徳(ショウトク=功徳をほめたたえる)、頌美(ショウビ=人の美徳をほめたたえる)、頌礼(ヨウレイ=顔つきや立ち居振る舞いに関する礼儀、この「頌」は「容(すがた、容姿)」にあてた用法で「ヨウ」と読むことに注意です)。

⑧=「論」。

「精微(セイビ)」とは「詳しく細かい」(精緻=セイチ)、「朗暢(ロウヨウ)」とは「ほがらかでゆったりしている、はっきりしているさま」。一見するとこの二つの特徴は相反する感じがしますが、「論」とは理屈を立てて筋道の通った文章です。論旨明快でなければなりません。

⑨=「奏」。

事柄の首尾をまとめて、君主に申し上げるのが「奏」ですから、その文体は、平徹(ヘイテツ=平易)かつ閑雅(カンガ=物静かで上品なこと)でなければなりません。

⑩=「説」。

いわれや理屈をときあかした意見・主張です。議論や解説などやや堅苦しい文章ですが、「煒曄(イヨウ=光り輝くこと)」にして、「譎誑(ケッキョウ=人の目を惑わす)」だという。譎(いつわる)というのは面白い考え方。人を説得するには一見、調子のよい言葉を列ねるものの、その実は別の「真」のことを盛り込んでいるのです。だとすれば、「説」の文章を見たら騙されないようにしないといけないかもしれません。



いかがでしたか、成る程と唸らされるものもあれば、あれ?ちょとちゃうんでは?というのもありましたね。いずれにせよ、文章は自分の思いを伝えるための道具です。その伝えたい内容によって書き分けねばならない。なぜなら、人に伝えるのが文章の役割だから。最近、政界を始め巷では「つぶやき(twitter)」なるものが流行っているようですが、迂生はこれには懐疑的というか否定的な見解を持っています。「つぶやき」はあくまで「独りごと」、自分に向かって言うものであって他人に伝えるべきものではないと思うからです。人に伝えるならば「つぶやき」ではなく正々堂々と文章にしましょうよ。。。んなこと言ってると、「だから、つぶやきも文体の一種なんだよ」と猛反論されてしまいそうですが。。。陸機も最後に「要辭達而理舉,故無取乎冗長」と言っている。冗長ではいけないと。。。そういう意味では四百何字の「つぶやき」は陸機の説く戒めには沿っていることとなりますなぁ。しっかし、迂生はつぶやきませんよ、blogに堂々と自分の主張なり思いを長くなっても何字であろうとも表現しますよ~。
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言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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