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朝の花はもう古い 常にオリジナルを目指せ=陸機「文賦」4

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の4回目です。ここのくだりは序盤のヤマ場の一つと言っていいでしょう。文章を書く際には、むかしから言い尽くされたものではなく、オリジナルな斬新なものを求めなさいという。上海万博のテーマ曲の盗作問題然り、海賊版が横行する「パクリ」文化に抵抗のない中国ですが、そこは古の大文章家です。さすがに、パクリは厳に戒めています。古今東西を瞬時に見渡して、誰もまだ書いていないものを書かなければならないのだというのです。まさにおっしゃる通りですわ。

是に於て沈辞は1)フツエツとして、遊魚のア)を銜みて重淵の深きより出ずるが若く、浮藻は2)レンペンとして、3)カンチョウのイ)にウ)りて4)ソウウンのエ)きより墜つるが若し。百世の5)ケツブンを収め、千載の遺韻を採る。6)チョウカを已に披けるに謝し、7)セキシュウを未だ振るわざるに啓く。古今を8)シュユに観、四海を一瞬に撫す。

1)フツエツ=怫悦。怒ったり喜んだりするさま、喜怒哀楽を織り交ぜながら。「怫」は「いかる」とも訓み、「むっと腹を立てる、ぷりっと怒り出す」の意。怫異(フツイ=気持ちがくいちがう)、怫鬱(フツウツ=気がふさいで、むかむかする)、怫然(フツゼン=むっとするさま、ぷりぷりおこるさま)。「悦」は「よろこぶ」。

2)レンペン=聯翩。物事が続いて絶えないさま、続々と、鳥が連なって飛ぶさま。「連翩」とも。

3)カンチョウ=翰鳥。高く飛ぶ鳥。「翰」は「高く飛ぶ」の意。翰音(カンオン=上空まで響く、鳥の鳴き声)、翰海(カンカイ=貝加爾湖)、翰札(カンサツ=手紙、翰牘=カントク=)、翰藻(カンソウ=詩・文章のこと、「藻」はことばのあや)、翰池(カンチ=すみつぼ)、翰飛(カンピ=鳥が高く飛ぶ、高飛)、翰墨(カンボク=筆と墨、転じて、文学、文章)、翰林(カンリン=文人・学者の仲間、翰苑=カンエン=)、染翰(カンをそむ=筆を墨で染める、絵や文字を書くこと)、投翰(カンをとうず=筆を投げる、文章を中断する)。

4)ソウウン=曾雲。重なっている雲、層雲とも。「曾」は「かさなる」とも訓む。曾益(ソウエキ=上に重ねて増しふやす)。

5)ケツブン=闕文。あるべき字句が抜け落ちている文章。「闕」は「かける」とも訓み、「完全に備わっているべきものが足りない」。闕画(ケッカク=文章で天子や身分の高い人の名と同じ字を使うことをおそれおおいとして、その字の一部を省略して書くこと、闕筆=ケッピツ=)、闕疑(ケツギ=疑わしきは罰せず)、闕字(ケツジ=文章の中で抜けている字)、闕失(ケッシツ=あやまち、かけてなくなる)、闕如(ケツジョ=かけて不完全なさま、闕焉=ケツエン=、闕然=ケツゼン=)、闕殆(ケッタイ、あやうきをかく=危険・不安に思うことはやらないで取り除いておく)、闕本(ケッポン=そろっているべき巻数の一部がかけて、完全にそろっていない書物、端本=はホン=)、闕漏(ケツロウ=かけて不足している部分、ておち)。

6)チョウカ=朝華。朝咲く花。

7)セキシュウ=夕秀。夕方に芽が出る。この「秀」は「すらりと高く穂や花になる芽が出る」の意。朝に花が咲く前の状態をいう。夕吹(セキスイ=夕方に吹く風)、夕嵐(セキラン=夕方のもや、夕靄=セキアイ=)、夕暉(セッキ=夕日のこと)。

8)シュユ=須臾。ほんの短い間、ごくわずかの時間がたって。「須」は「細いひげ」、「臾」は「細く抜きだすこと」でいずれも細かく小さい物の意。


ア)鉤=はり。つりばり。音読みは「コウ」。「かぎ」の訓みもある。鉤曲(コウキョク=つりばりのように曲がること)、鉤矩(コウク=さしがね、法則)、鉤玄(コウゲン=物事の奥深い道理を引き出してさとること)、鉤校(コウコウ=さぐり出して照合する)、鉤索(コウサク=かぎにひっかけて探り出す、物事の道理を探り出す)、鉤止(コウシ=ひっかけてとめる)、鉤餌(コウジ=つりばりにかけたえさ)、鉤取(コウシュ=かぎに引っ掛けて手に取る)、鉤縄(コウジョウ=さしがねとすみなわ、大工道具)、鉤章棘句(コウショウキョクク=あちこち引っかかる文章、読みにくい文章のこと)、鉤梯(コウテイ=先端にかぎをとりつけたハシゴ、鉤援=コウエン=)、鉤芒(コウボウ=かぎの鋭い先端部)、鉤欄(コウラン=まがっている手すり)、鉤連(コウレン=まがって連なる)。

イ)繳=いぐるみ。ひもをつけて鳥を搦め取る道具。「弋」とも。音読みは「キョウ」。繳進(キョウシン=書類などを一括して官庁に提出すること、他人についての非難を目上の人に差し出す)。

ウ)纓り=かかり。「纓る」は「かかる」。「纓」は「冠のひもを結ぶ」の意で、ここは「投げた繳に鳥が引っかかること」。比喩的な表現の宛字訓みでしょう。音読みは「エイ」。纓冠(エイカン=冠のひもを結ぶ、冠をかぶること)、纓紳(エイシン=冠のひもと大帯、貴族や高官のこと)、纓絡(エイラク=珠玉をつないでつくった首飾り、世の中の煩わしいかかわりあいの喩え)。

エ)峻き=たかき。「峻し」は「たかし」。すっくりとそそりたつ、やまがすらりとたかくそびえたつさま。音読みは「シュン」。峻隘(シュンアイ=土地が切り立って狭い)、峻宇(シュンウ=高い軒、立派な邸)、峻峙(シュンジ=山や建物が高くそびえ向かい合っている)、峻峭(シュンショウ=高くそびえけわしい)、峻阻(シュンソ=山などがけわしい、峻険=シュンケン=、峻嶮=シュンケン=、峻秩(シュンチツ=高い官位)、峻徳(シュントク=すぐれた大きい徳、大徳)、峻壁(シュンペキ=非常に険しい崖)、峻嶺(シュンレイ=高くそそり立つ山)。


於是沈辭怫,若遊魚銜鉤,而出重淵之深、浮藻聯翩,若翰鳥纓繳,而墜曾雲之峻。收百世之闕文,採千載之遺韻。謝朝華於已披,啓夕秀於未振。觀古今於須臾,撫四海於一瞬。



【解釈】 かくして晦渋な表現が、魚が深い淵から、やっとのことで釣り上げられるように、ゆっくりと心に浮かんでくる。軽妙な言葉が、飛鳥が高い雲の頂から、いぐるみにかけられて落ちて来るように、速やかに手に入る。その際、何千年もの間、誰も用いなかったような、詩文の表現を手に入れるように努める。朝咲いた花は、目新しくないものとして捨て去り、夕べの蕾こそ、開かせようとしなければならない。そのためには、一瞬にして、古今東西を見渡す必要がある。

「收百世之闕文,採千載之遺韻」「謝朝華於已披,啓夕秀於未振」――。この二つの対句表現こそが陸機の気持ちであり、文章を書く上で常に戒めなければならないのです。朝に咲いてしまった花はもう過去のもの。つまり、言い古されてしまったことである。陳腐と置き換えていいでしょう。そうではなくて、夕方に芽が出てまだ蕾であるものを開かせることこそ、文章を書く醍醐味なのである。まだ誰も書き尽していないことを常に求める。オリジナルな斬新な言葉であり、表現であり、言い回し。文章の題材そのものとも言えるでしょうか。自分の心の発露を文に書き表すのですから、オリジナルであるのは論を待たない。であるなら、折角の文章、極めて自分本位の、自分しか書けない世界を描くべきである。陸機の思いは古の名文をベースとして常に我が世界を追い求めることにあるのです。人の書いたものは人のもの。インスパイアはされても安易にパクってしまうことの愚行は厳に慎むべきです。どうしたらそれが可能になるのか?これは古今東西、永遠のテーマでしょう。文章を書くということは苦しいことなのです。最後に陸機は古今東西のあらゆる文章を見較べてみよといいます。さて、陸機の文章読本は徐々に核心に入って行きます…。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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