スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

心の感動が出発点 そして古人糟魄を嘗めよ=陸機「文賦」3

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の3回目です。鮮やかな対句の連続を味わってみてください。

其の始めたるや、皆視を収め聴をア)し、思いに耽りイ)傍々訊う。精は八極にウ)せ、心は1)バンジンに遊ぶ。其の致れるや、情エ)曈曨として、オ)鮮やかにして、物カ)昭晣として互いに進む。群言の2)レキエキを傾け、六芸の3)ホウジュンにキ)ぐ。天淵に浮かびて以て安流し、下泉にク)ぎて4)センシンす。

1)バンジン=万仞。山などが非常に高いこと、谷などが非常に深いこと。「仞」は「深さや高さの単位。一仞は、周代の七尺(一尺は22・5センチメートル)にあたる」。千仞(センジン)もあります。千仞之谿(センジンのたに=非常に深い谷)。

2)レキエキ=瀝液。しずく。「瀝」は「したたる」「しずく」「したたり」。点々と続いてたれるしずく。瀝青(レキセイ=ピッチ)、瀝胆(レキタン=忠誠を尽くす、胆を絞り出す意から)、瀝滴(レキテキ=したたる、したたり、しずく)、瀝瀝(レキレキ=たらたらとしずくのたれるさま、川の水のさらさら流れるさま)、瀝血(レッケツ=したたる血)。

3)ホウジュン=芳潤。酒などの香りがよくてうまいこと。芳醇の方が一般的。

4)センシン=潜浸。じわじわとしみだしてくるさま。「潜」は「ひそむ」「ひそかに」。潜晦(センカイ=才能がありながら世の中からのがれかくれている、潜逸=センイツ=、潜虚=センキョ=)、潜翳(センエイ=ひそみかくれる、才能がありながら官に仕えないで隠遁する、潜隠=センイン=)、潜蛟(センコウ=水中にかくれているみずち)、潜竄(センザン=もぐりこむ、ゆくえを知られないようにする)、潜匿(セントク=かくれて表面にあらわれない)、潜竜(センリョウ=水中にひそんでいて天に昇らない竜、即位前の天子や、世に知られない英雄・豪桀・有徳者のたとえ)。

ア)反し=かえし。「反す」は「かえす」。表外訓み。くつがえす。裏返しにする。反脣(ハンシン=口をとがらす、不満なときの口つき)、反噬(ハンゼイ=恩を受けた人が、かえって恩人に害を与えること)、反舌(ハンゼツ=百舌、こびへつらう者)、反哺(ハンポ=育ててくれた者が年をとったとき、育てられた者がそれを養うこと、親の恩に報いること)、反躬(ハンキュウ=自分の身をふりかえる、反省する)。

イ)傍々=かたがた。~する一方で。通常は「かたわら」なので宛字っぽい訓み方。わき、そば。

ウ)騖せ=はせ。「騖す」は「はす」。力をこめて思いのままにはしり回る。音読みは「ブ」。

エ)曈曨=トウロウ。光がさし渡るさま。これは超ウルトラ難読漢字。漢検には必要ないが、中国古典を玩わうには覚えておいて損なし。

オ)弥=いよいよ。遠くのびても、いつまでも程度が衰えない意。表外訓み。ますます。愈も同義です。

カ)昭晣=ショウセツ。あかるくてさわやかなさま。「晢」は異体字。「あきらか」とも訓む。「晣」は「晰」(セキ、しろい)とは別字です。間違いやすいので要注意。

キ)漱ぐ=すすぐ。せかせかと動かして、さっと洗う。音読みは「ソウ」。漱浣(ソウカン=すすぎあらう)、漱玉(ソウギョク=玉をすすぎあらう、滝などのしぶきの飛び散るさまの形容)、漱石枕流(ソウセキチンリュウ=負け惜しみの強いこと)、漱滌(ソウデキ=すすぎあらう、洗滌=センデキ=、漱濯=ソウタク=、漱澣=ソウカン=)、漱流(ソウリュウ=水の流れで口をすすぐ)。

ク)濯ぎ=そそぎ。「濯ぐ」は「そそぐ」。「すすぐ」「あらう」の訓みもあり。これは常用漢字ですね。音読みは「タク」。濯纓(タクエイ=冠の紐をあらう、世俗を超脱することを喩える)、濯枝雨(タクシウ=陰暦六月ごろに降る大雨)、濯足(タクソク=世俗を超脱すること、あしをあらう)、濯濯(タクタク=あらいさらしたさま、光り輝くさま、太っているさま)。


其始也,皆收視反聽,耽思傍訊,精騖八極,心遊萬仞。其致也,情曈曨而彌鮮,物昭晣而互進。傾群言之瀝液,漱六藝之芳潤。浮天淵以安流,濯下泉而潛浸。


【解釈】 文章を作る初期の段階では、目も耳も下界から遠ざけ、心の内で深く広く思いを回らさなければならない。魂は地の果てまで馳せ届き、無限の高みに飛びあがる。それで満足すると、外物の姿が、次第に鮮明に現れてくる。と同時に、多くの著述の精髄を飲み干し、六経の潤いを口に含む。それはあたかも、天の川の流れに身をゆだね、地下の泉に深く浸っているかのようである。

非常に抽象的ですが、何となく言いたいことは分かります。目も耳もふさいでじっと心の中で考える。すると心の感動が止まらなくなるのだ。それが文章を書く上でのすべての出発点であるというのでしょう。「六芸」とは「君子の教養とされた六つの技芸、すなわち、礼・楽・射・御(馬術)・書・数」ですが、ここでは「六学、六経。易経、詩経、書経、春秋、礼記、楽記」を指しています。心の震えに、古人が残した名著や名文のエキスが加われば、いやでも筆が動くという。天地の流れに乗ればすらすらと文章が書き始められるというのです。文章のマグマが今にも噴出することを余儀なくされるであろう。やはり、物を書きたいという気持ちが何より大切です。まさに「古人之糟魄」にすぎないものが人々に書きたいという気持ちを呼び起こすのです。糟は糟であっても、何物にも替えがたい貴重な「糟」なのです。それを嘗めることによって、古人の思いに思いを馳せ、その思いを受け継ぎ、そして、自分の糟魄としてまた後世に残すべく、文として著すのです。こうして人々は思想を伝えてきたし、これからも伝えてくのです。物を書きたいという気持ちが無くなった時点で人類は滅びると言っても過言ではないでしょう。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

profile

char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

calendar
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
recent entry
recent comment
category
monthly archive
search form
RSS links
links
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。