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ソウチに邂逅できず田園に帰ることを決意=陶淵明「擬古」8

陶淵明の「擬古」九首シリーズの八回目です。岩波文庫「陶淵明全集(下)」から。今回は淵明が信奉する古の聖人たちが登場します。伯夷と叔斉、荊軻、伯牙、荘子。いずれも淵明が理想とした古の士君子たち。自分と重ね合わせてはこの世を儚みます。

「其八」

少き時 壮んにして且つア)

剣を1)して独り行遊す

誰か言う「行遊すること近し」と

張掖より幽州に至る

飢えては食う 首陽のイ)

渇しては飲む 易水の流れ

2)ソウチの人に見わずして

惟だ見る 3)コジの丘

路辺にウ)つの高墳あり

伯牙と荘周と

此の士 再びは得難し

吾が行 何をか求めんと欲せし


1)ブして=撫して。

手を当てて押さえる。ここでは「撫剣」とあって、「剣をさする、つまり、剣術・武力によって頭角を現し、出世しようと意気がるさま」。「なでる」の訓みもあり。撫慰(ブイ=安んじ慰める、いつくしみいたわる)、撫御(ブギョ=いつくしんで統率する、撫馭)、撫軍(ブグン=太子が君主に従って従軍すること)、撫事(ブジ=昔のことを考えて思いにふける、ことをブす)、撫恤(ブジュツ=物を恵み与え、あわれみをかける、撫卹)、撫循(ブジュン=いたわって服従させる、てなずける、拊循=フジュン=、撫順=ブジュン=)、撫掌(ブショウ=手のひらをうる、我が意を得たりと喜ぶさま、たなごころをブす、拊掌=フショウ=)、撫心(ブシン=むねをなず→胸をなでる、心を安んじる、むねをブす→悲しんだり憤ったりして手で胸を叩く、拊心=フシン=)、撫綏(ブスイ=民を、不安の無いようにしてやること、撫寧=ブネイ=、撫安=ブアン=)、撫世(ブセイ=世の中を治め天下の人々が安心して生活できるようにしてやる、天下全体を覆い尽くす、蓋世=ガイセイ=)、撫存(ブソン=まあまあと慰める)、撫髀(ブヒ=ヒをブす、ももをたたく、興奮したり喜び勇んだりするさま、拊髀=フヒ=)、撫民(ブミン=たみをブす、人民を安んじる)、撫有(ブユウ=かわいがって服従させ自分のものとする)、撫養(ブヨウ=いつくしみ養う、撫育=ブイク=、撫字=ブジ=)、撫臨(ブリン=安んじおさめる)、撫弄(ブロウ=なぐさみもてあそぶ)、撫和(ブワ=なだめ柔らげる、撫輯=ブシュウ=、撫緝=ブシュウ=、撫柔=ブジュウ=)。盛り沢山です。

2)ソウチ=相知。

知り合い、知人、友人。相識(ソウシキ)ともいう。「相~」の熟語では、相軋(ソウアツ=互いに争う)、相剋(ソウコク=相手に打ち勝つ、相勝=ソウショウ=)、相推(ソウスイ=交替する)、相藉(ソウセキ=重なり合う、きわめて多いこと)、相存(ソウソン=安否をたずねあう)、相忘(ソウボウ=我と物と一体となり、真に自由な境地になること)。

3)コジ=古時。

昔。古寺は「ふるでら」、古事は「いにしえのこと」、古辞は「むかしのことば・詩」。巾子、怙恃、胡児、虎児、固辞、誇示、固持ではないので要注意。

ア)し=はげし。

「しい」は「はげしい」。きついさま、きびしいさま。「はげむ」「はげます」「とぐ」「ハンセン病」とも訓む。音読みは「レイ」「ライ」。人(ライジン=ハンセン病患者、癩人)、疫(レイエキ=たちの悪い病気、疫病)、階(レイカイ=災いの元)、鬼(レイキ=病気を持ってくるという鬼、疫病神、人に祟りを落とす死人の霊・悪魔)、疾(レイシツ=はげしくてはやい、急性の病気)、色(レイショク=怒りで顔つきをきびしくする、厳しい顔つきをすること、いろをはげます)、風(レイフウ=はげしい風、烈風)、民(レイミン=人民を苦しめる)。

イ)薇=わらび(ぜんまい)。

「ビ」。草の名。マメ科ソラマメ属の二年草。山野に自生。種子は食用。カラスノエンドウ。別名、大巣菜(ダイソウサイ)。和名では「ゼンマイ」が一般的か。しかし、ここでは「ワラビ」の訳語が充てられています。似てるっちゃあ、似てますが…。薇蕨(ビケツ)という言葉もあって、これは「ゼンマイとワラビ」。やっぱ分けてますね。どっちだろ?一般に伯夷と叔斉が首陽山に籠って餓死寸前のときでも、周の粟を食べることを厭い、口にしたと淵明が詠んでいるのが「薇」。おそらく日本で言うところの「ワラビ」や「ゼンマイ」ではなくて野山に生える雑草なのだと思います。したがって「ビという名の草」とでも訳すのが正確なのでしょうね。

ウ)両つ=ふたつ。

二つ。表外訓み。「両~」の熟語では、両漢(リョウカン=前漢と後漢のこと、二漢ともいう)、両岐(リョウキ=ふたまたにわかれていること)、両京(リョウケイ=二つの都、長安と洛陽、両都=リョウト=)、両端を持す(リョウタンをジす=どちらにするか迷って決心がつかないこと)、叩両端(リョウタンをたたく=物事のはじめから終わりまでのすべての問題をじゅうぶんに導きだす)、両髦(リョウボウ=幼児の髪型名、左右に分けて両方に垂らす)。

少時壯且、 撫劍獨行遊
誰言行遊近、 張掖至幽州
饑食首陽薇、 渴飲易水流
不見相知人、 惟見古時丘
路邊兩高墳、 伯牙與莊周
此士難再得、 吾行欲何求



若い頃、わたしははげしく盛んな意気にもえ、剣をさすりつつ、ひとりで諸方を旅してまわった。それも近くを歩きまわったのではない。西の果て張掖から東の果て幽州までも行ったのである。ひもじくなったら伯夷と叔斉よろしく首陽山のわらびを食べ、のどがかわけば荊軻のように易水の水をのんだ。しかし結局は知己にはめぐりあえず、見たものと言えば古代の士が眠る墓丘だけである。道端に二つの塚を見かけたが、それは伯牙と荘周の墓だった。彼らが相手に不足したように、わたしも志を結ぶべき人物にめぐり遇えなかった。とすれば、わたしはこの遠遊でいったい何を求めようとしたのだろうか。

意気揚々として繰り出した若き日の淵明。東奔西走、歩き回った挙句にこれといった出会いが無く悶々と葛藤する淵明です。そして、挫折して途方に暮れる淵明。人間の一生を軽やかにリズムよく詠じています。張掖とは今の甘粛省西北部にある郡の名。幽州とは今の河北省北東部の地名。実際に赴いたかどうかは問題ではなく、気持ちの上ではこの世の果てまで知己を求めて歩きまわったというのです。易水とは河北省西部を流れる川の名。戦国時代末期、燕の太子丹から秦の始皇帝暗殺を仰せつかった荊軻がここで悲愴な決意をうたった故事は既に紹介しました。伯牙とは春秋時代の琴の名手。知音の友鍾子期が死ぬと、琴の絃を絶って二度と弾かなかったという。また、荘周とは戦国時代の思想家、荘子のこと。親友に恵施がいてよく議論をたたかわせたが、恵施の死後、荘周も深く考え込むばかりで二度と誰とも論諍することはなかったと「淮南子・脩務訓」に見えます。いずれも、心を許せる数少ない友の死を契機にこの世との関わりを絶ったのです。淵明にとってもそんな友と出会えず、むしろ約束を守らずに裏切られた思いを味わってしまった。一体、わたしは何のために出歩いたのだろう。仕官を求めたのだろう。やはり、田園に帰るしかないようだと悟るのです。
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2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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