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自分には詩がある、いや詩しかないのだ=陶淵明「擬古」6

陶淵明の「擬古」九首シリーズの六回目です。岩波文庫「陶淵明全集(下)」から。

「其六」

1)ソウソウたり 谷中の樹

冬夏 常にア)茲くの如し

年年 霜雪を見る

誰か言う 時を知らずと

世上の語を聞くを厭い

友を結ばんと臨淄に到らんとす

2)ショッカ 談士多し

彼を指して吾が疑いを決せん


1)ソウソウ=蒼蒼。

草木がこんもりと茂っているさま。「蒼」は「草木の青々と生い茂る様」の意で「蒼い」とも訓む。蒼顔(ソウガン=年とってつやのない顔)、蒼庚(ソウコウ=ウグイス、黄鳥)、蒼山(ソウザン=木の茂った青黒い山)、蒼生(ソウセイ=多くの人民、蒼民=ソウミン=、蒼氓=ソウボウ=、あおあおと茂った木がたくさんある意から)、蒼天(ソウテン=あおぞら、蒼昊=ソウコウ=、蒼空=ソウクウ=、蒼穹=ソウキュウ=、蒼玄=ソウゲン=)、蒼頭(ソウトウ=兵士、兵卒、昔、青黒い頭巾で頭を包んだことから)、蒼旻(ソウビン=あおぞら)、蒼蕪(ソウブ=あおあおと茂った草むら)、蒼茫(ソウボウ=空・海・平原などがあおあおとして広がっているさま)、蒼莽(ソウボウ=草木のあおあおと茂っているさま、空があおあおとしているさま)、蒼蠅(ソウヨウ=ハエ)、蒼鷹(ソウヨウ=あお白い羽をしたタカ、猛鳥、厳しい役人のたとえ)、蒼竜(ソウリュウ=青黒い毛並みの巨大な馬)、蒼老(ソウロウ=年老いて古びたさま)、蒼浪(ソウロウ=あおあおとした海、海や空などがあおく広がっているさま)。

2)ショッカ=稷下。

戦国時代、斉の宣王のとき、学者優遇策がとられ、臨淄(今の山東省内)稷門一帯には多くの学者が集まり住んで活発な議論をたたかわした。所謂「稷下の学」。ここでは当時、廬山の東林寺に集まった名士グループを指すのだろう。岩波文庫の解説(P19)によれば、「かれらは白蓮社という宗教結社を作り、淵明にも参加をよびかけたが、淵明は結局断ったという話が、『蓮社高賢伝』に伝わる」とあります。ちなみに「稷」は「きび」「五穀の神」。稷黍(ショクショ=コーリャンとキビ、転じて五穀)、稷正(ショクセイ=穀物の神)、稷雪(ショクセツ=霰の別名)、稷狐(ショッコ=五穀の神を祭った社に住みつくキツネ、君王の近くにはびこる悪臣、社鼠=シャソ=)。

ア)如茲=かくのごとし。

漢文訓読語法で「このようである」と訳す。「茲」は「しげる」「ますます」の訓みもあります。

蒼蒼谷中樹、 冬夏常如茲
年年見霜雪、 誰謂不知時
厭聞世上語、 結友到臨淄
稷下多談士、 指彼決吾疑



青々と生い茂る谷間の松や柏。それらは冬も夏も常に変わらぬ姿を保っている。毎年、霜や雪に見舞われるというのに、だれが時節を知らないなどというのか。わたしは俗世間の噂話など聞くのも汚らわしく、斉の都・臨淄へ行って友人を見つけようと思い立った。稷下には議論好きの学者が多いので、その人たちに聞けば、わたしのかねて抱く疑問点を解決できるのではないかと考えたのだ。

永遠に変わらないものなどあるのでしょうか?この疑問の答えを議論好きの集団に尋ねに行く淵明。果たして……。

3)ソウゾク 既に日有り

已に家人と辞す

行く行く門を出でんとして停り

還り坐して更に自ら思う

怨みず 4)ドウリの長きを

但だ畏る 人の我れを欺かんことを

万一 意に合わずんば

永く世の5)ショウシするところとならん

イ)の懐い ウ)さには道い難し

君の為に此の詩を作る

3)ソウゾク=装束。

みじたくすること、また、みじたく。「ショウゾク」とも読む。日本では「衣冠・束帯・直衣などの服装の総称や、室内・庭園などの飾り付け」の意もある。倉粟、僧俗、相続ではない。

4)ドウリ=道里。

みちのり、物事がある状態に達する途中のこと。ここは文意から「道理」ではないので注意しましょう。

5)ショウシ=笑嗤。

あざわらうこと、人を馬鹿にして笑うこと。「嗤」は「わらう」「あざわらう」とも訓む。嗤笑(シショウ=あざわらう)、嗤誚(シショウ=あざけりなじる)、嗤詆(シテイ=わらいそしる)、嗤鄙(シヒ=あざわらって卑しむ)。笑止、嘗試、小疵、小祠、摺子、簫史、楫師ではないので。

イ)伊の=こ・の

かれ、かの、これ、この。

ウ)具に=つぶさ・に。

具体的に、こまごまと、欠け目なくひとそろい。表外訓みですが基本ですね。このほかに「備に、悉に、曲さに」もあります。具饌(グセン=料理を供える)、具爾(グジ=そばに顔をそろえて親しむ意から、)兄弟をいう)、具臣(グシン=有能ではない、員数に入るだけの家来)、具文(グブン=空理空論)、具論(グロン=十分に議論を尽くすこと)。

裝束既有日、 已與家人辭
行行停出門、 還坐更自思
不怨道裏長、 但畏人我欺
萬一不合意、 永為世笑嗤
伊懷難具道、 為君作此詩



何日かのうちに身じたくもととのい、家人とも別れを告げた。ところが、門を出たところで足を止め、戻って腰をおろしてよくよく考えてみた。道の遠さに恐れをなしたわけではない。だがまたペテンにかけらるのではあるまいか。いや、恐らく意にみたないことになれば、それこそ世間の物笑いの種となろう。この気持ちは詳しく説明できそうにもない。あなたのためにこの詩を作った。そうかお許しのほどを。

淵明の気持ちにある蟠り。齢五十も半ばになろうというのに、友人から裏切られたことを終ぞ忘れることができませんでした。結局は議論好き集団の下へ行くことを逡巡します。彼らからも裏切られたらどうしよう?疑心暗鬼です。人を信じることができなくなり萎縮する。まだ騙される。もういやだ。世間の笑い者にはなりたくない。見栄もある。でも人には伝えられない。この擬古をつくったのも自信がないからだ。言葉はいらない。わたしには詩がある。詩を詠んで人を感動させられたらどんなにか素晴らしいだろう。
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Author:char
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言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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