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会いたい、会いたい、「私」に会いた~い=陶淵明「擬古」5

陶淵明の「擬古」九首シリーズの五回目です。岩波文庫「陶淵明全集(下)」から。いつも襤褸を着て食事も満足にとれない冴えない男。孔子の孫である子思は衛にいたとき、「三十日間で九度しか食べ物が手に入らない」くらいにひもじい思いをしたといいます。これって淵明のこと……?それとも。。。。

「其五」

東方に一士有り

1)ヒフク 常に完からず

三旬に九たび食に遇い

十年に一冠をア)くるのみ

2)シンキン 此れに比する無きも


常に好き3)ヨウガン有り

我れ其の人を観んと欲し

イ)に去って4)カカンを越ゆ


1)ヒフク=被服。

衣類、衣服。被衣(ヒイ)ともいう。被覆とは異なるので要注意です。被衾(ヒキン=夜着)。

2)シンキン=辛勤。

苦労して勤めること、精を出すこと、つらいつとめ。辛艱(シンカン=つらいめにあってなやむ、難儀をする、艱難辛苦)、辛気(シンキ=気持ちがふさがってはればれしない)、辛苦(シンク=つらいくるしみ、辛労=シンロウ=)、辛酸(シンサン=つらく苦しいこと)、辛楚(シンソ=つらさ、つらい苦しみ)、辛辣(シンラツ=ひりひりからい、非常に手厳しい、辛烈=シンレツ=)。

3)ヨウガン=容顔。

顔かたち、また、その美しさを言う。「容」は「かたち」の訓みもある。容華(ヨウカ=顔かたちがはなやかで美しいこと)、容儀(ヨウギ=立ち居振る舞いと姿かたち)、容光(ヨウコウ=面影、風采)、容止(ヨウシ=立ち居振る舞い)、容臭(ヨウシュウ=身だしなみと身につける匂い袋)、容範(ヨウハン=外にあらわれる姿かたち・ふるまい、容貌・態度・立ち居振る舞いなど)。

4)カカン=河関。

川と関所。旅の難所を指す。

ア)著くる=つ・くる。

衣類などを身につける。表外訓み。「着」と同義で音読みは「チャク」。

イ)晨=あした。

あさ。太陽がふるいたってのぼるあさ。生気に満ちた早朝のニュアンスが強い。早朝、ニワトリがときを告げる意もあり「とき」とも訓む。晨夜(シンヤ=早朝と夜、朝早くから夜遅くまで)。


東方有一士、 被服常不完
三旬九遇食、 十年著一冠
辛勤無此比、 常有好容顏
我欲觀其人、 晨去越河關



東方に住む男、着るものはいつもボロで、食事すら満足にありつけず、十年の間一つの冠で通している。その貧苦な暮らしぶりは比べようもないほどだが、顔つきを見るといつも平然としている。わたしはその人に会いたくて朝早く出立し、山河の難所を越えたのだった。

最後にその人に逢いたくて云云とありますから、ひもじい男は淵明ではないようです。それでは一体誰なのでしょうか?


青松 路をウ)んで生じ

白雲 5)ノキバに宿る

我れのエ)に来たれる意を知り

琴を取って我が為に弾ず

上絃 別鶴もて驚かせ

下絃 オ)孤鸞を操る

願わくは留まりて君に就きて住み

今より6)サイカンに至らん


5)ノキバ=簷端。

軒端。音読みで「エンタン」もありです。簷楹(エンエイ=のきの柱)、簷滴(エンテキ=のきばからたれる雨垂れ、簷溜=エンリュウ=)。

6)サイカン=歳寒。

寒い季節になる、転じて、老年を指す。また、逆境や乱世にもたとえる。歳寒三友(サイカンサンユウ=冬、友として賞すべき三つの物、松・竹・梅、衰えた世に友とすべき三つの物、山水・松竹・琴酒)、歳寒松柏(サイカンショウハク=りっぱな人物が逆境にあっても節操を変えないことのたとえ)。

ウ)夾んで=はさ・んで。

「夾む」は「はさむ」。両脇からはさむ、わきばさむ。音読みは「キョウ」。夾撃(キョウゲキ=両側から敵をはさんで攻撃する、はさみうち、挟撃)、夾纈(キョウケチ=二枚の板に同形の花紋を彫刻し、これに折り重ねた絹布をはさんでかたくしめつけ、板に当っている部分が染まらないようにして染める方法、いたじめ)、夾雑(キョウザツ=いろいろな物がまじる)、夾侍(キョウジ=左右に付き従う)、夾帯(キョウタイ=わきに挟んで持つ、科挙の試験で持ち込み禁止の物をわきに隠して持ち込む、カンニング)、夾輔(キョウホ=君主のそばにいて補佐する)。

エ)故に=ことさら・に。

わざと、わけあった。漢文訓読語法。ここでは「ゆえに」とは訓まない。

オ)孤鸞=コラン。

琴の曲の名。双鳳離鸞(想像上の鳥の名、鳳凰の一種、形は鶏に似て、羽は赤色に五色をまじえ、鳴く声は五音にあうという、鳳凰のあとにペアをなしてつらなり、太平の世にあらわれるという)。鸞翔鳳集(ランショウホウシュウ=すぐれた人物が多く集まっていることのたとえ)。

青松夾路生、 白雲宿簷端
知我故來意、 取琴為我彈
上絃驚別鶴、 下絃操孤鸞
願留就君住、 從令至歲寒



青々とした松が道の両側に生え、白い雲が軒端にかかっていた。主人は、わたしの来意を知って、琴をとりあげ弾奏してくれた。はじめは「別鶴」のしらべに驚き、結びに「双鳳離鸞」の曲を弾じてくれた。どうかご主人、わたしをここに置いてくだされ。今からあなとのもとで、厳しい冬をいっしょに過ごし、わたしという人間が最期まで本物であるかどうかを示したいと思うのです。

やっとのことで逢えた男は淵明のために琴を奏でます。「上絃」「下絃」はそれぞれ「初曲、終曲」の意。その名前から、いずれも哀しい別れの曲であることがうかがわれます。淵明はそれを奏でてくれた男の意を汲んで、自分の隠棲の気持ちが本物であることを訴えています。この首は、晩節を堅持する気持ちを表現しています。ある意味、仙人の心境でしょうか。弟子入りを申し出ます。御年、50を越えているはずですが、まさに琴線に触れたのでしょう。積極果敢に攻めます。やはり、このひもじい男は淵明なのでしょう。彼はその分身を見たのです。自分の孤独さを幽体離脱で表出した。残り少ない人生を悟りながらも、自分の思いがどんなに寒い季節であろうと色褪せること無いものであることを証明しようと決めたのです。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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