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高節・忠節の士、田子泰に遇いに往きます=陶淵明「擬古」2

陶淵明の「擬古」九首シリーズの二回目です。岩波文庫「陶淵明全集(下)」から。ここで淵明は「田子泰」なる人物に会いに行くことを決意します。「遇う」と言っても彼はすでにこの世の人ではありません。鬼籍に入っています。その亡霊を追い回そうというのではないのですが……。


「其二」

家を辞して1)ツトに駕をア)

当に往きて無終に至るべし

君に問う「今何すれぞ行くや」

「商に非ず 復た2)ジュウに非ず

聞く 田子泰なるもの有り

節義 士の雄イ)

斯の人久しく已に死せるも

郷里 其の風に習う」と


1)ツトに=夙に。

さっさと、急いで、朝早く。音読みは「シュク」。夙怨(シュクエン=以前から持っていた怨み)、夙懐(シュクカイ=昔の思いで、早くから持っていた志、夙意=シュクイ=)、夙悟(シュクゴ=幼少のころから賢いこと、夙慧=シュクケイ=、夙敏=シュクビン=、夙興夜寐(シュクコウヤビ=朝早く起き、夜は遅く寝る、日夜政務に励むこと)、夙儒(シュクジュ=深い学問のある年老いた学者)、夙心(シュクシン=以前から持っていた考え、夙志=シュクシ=)、夙成(シュクセイ=はやくに完成する、早くから大人びる)、夙昔(シュクセキ=ずっと昔、以前)、夙賊(シュクゾク=昔からの悪人)、夙茂(シュクボウ=幼少からすぐれた才能を持っていること)、夙夜(シュクヤ=朝早くから夜遅くまで、早朝)、夙齢(シュクレイ=若い年齢、少年時代)。

2)ジュウ=戎。

いくさ、戦争。音読みは「ジュウ」。戎事(ジュウジ=軍事)、戎衣(ジュウイ=軍服、武装すること)、戎器(ジュウキ=兵器、武器)、戎機(ジュウキ=戦争、戦争における指揮権)、戎軒(ジュウケン=戦争に使う車、戎路=ジュウロ=、戎車=ジュウシャ=)、戎行(ジュウコウ=軍隊の行列、進軍)、戎馬(ジュウバ=軍馬、戦争)、戎備(ジュウビ=戦争の準備、軍備)。

ア)厳え=ととの・え。

「厳える」は「ととのえる」。やや特殊な訓み。宛字でしょうか。「おごそか」「きびしい」「きびしくする」のほかに訓みはない。「手ぬかりなくする」という意味があるので、これからの連想でしょうか。厳具(ゲング=化粧箱)、厳妝(ゲンショウ=手ぬかりなく化粧すること)。

イ)為り=た・り。

「~である」と訳す漢文訓読語法。断定の意味。

辭家夙嚴駕、 當往至無終
問君今何行、 非商復非戎
聞有田子泰、 節義為士雄
斯人久已死、 鄉裏習其風



朝早く馬車の支度をととのえ、家をあとにした。これから無終(今の河北省薊県の地)に行こうというのだ。「何でまたそんなところに」と聞かれれば、こう答えよう。「商用でもないし、戦でもない。あそこには田子泰という男がいてね、節義に厚く、男児のなかの男児といっていい。この人はとっくに死んでしまったが、郷里の人は今なおその気風を伝えているというので、それで行く気になったのですよ」と。


生きては世に高き名有り

既に没しては3)ムキュウに伝わる

学ばざるかな 4)キョウチ

直だ百年の中に在るのみなるを



3)ムキュウ=無窮。

無限・永遠であること。きわまりなし。無疆(ムキョウ)という。無休、無給ではないので注意しましょう。

4)キョウチ=狂馳。

狂ったように走り回る、追い求める。「狂」は「あることに夢中になって常軌を外れること、また、その人」の意。狂飲(キョウイン=むやみに飲む)、狂狷(キョウケン=いちずに理想に走って常識にはずれているが、信ずるところを断固としてまげないこと)、狂狡(キョウコウ=くるいみだれること)、狂奔(キョウホン=ある目的のために熱心に走り回って努力する)。「馳」は「はせる」「はしる」。

生有高世名、 既沒傳無窮
不學狂馳子、 直在百年中



田子泰は生前すでに高節の士と仰がれ、死後もその名は無窮に伝えられている。狂ったように名利を追い回す連中は、自分たちの追い掛けているものが、たかだか人間一生の間にすぎないことを知らないのだなあ。



「君に問う」とありますが、自問自答の言葉です。淵明が遇いに行くという「田子泰」とは、「三国志・魏志の田疇伝」によると、「名は疇、字は子泰、漢末、董卓の乱が起きたとき、幽州の牧(長官)劉虞の代理として長安にかけつけ、幽閉されていた献帝に忠節を披瀝した。功績により騎都尉に拝されたが固辞して報告に帰った。ところが劉虞はすでに殺されていた。田疇はその墓にもうでて哭泣し、その後、徐無山(ジョムサン)中に入って躬耕生活を送る。彼に従うもの五千余家だったという」。忠義を尽くした人物で、「其一」で出てきた裏切られた友人とは対照的な存在とも言えるでしょう。

もうとうに亡くなっているのですが彼の生きたむらざとではその遺風が伝わっていると聞いて、具に村人に会いたくなったというのです。ちっぽけな出世などには目もくれずに人と人との信頼を大切にした。あまりにもせこすぎる友人が惨めにも見えたのでしょう。たかだか百年も生きられないというのになんとせせこましいことか。目先の利益に囚われて見失ってはいけないものがある。一歩一歩前に進むこと。そして、人と人の信頼。それを犠牲にして得られるものなど在りはしない。あったとしても、それは自分を殺すこと。自分の存在を失って何があるというのでしょう。いったん壊れた信頼は二度とは取り戻せない。だから、安易な関係の構築はやめるべきですね。人と人が結びつくのはそれほど大変なことなんです。上っ面の交際は見苦しすぎる。しかし、ネットではそれができてしまうから恐ろしい。昔を生きた高節の士こそ範とするべきです。ネットなどなくても人を信頼し、人に忠義を尽くすことができたことをもう一度拳拳服膺したいところです。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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