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安い濁酒も高級酒も飲んで酔えば優劣はないさ!=陶淵明「飲酒」20

陶淵明の「飲酒」シリーズの20回目。岩波文庫の「陶淵明全集(上)」から。青年時代、別れ道に佇む淵明がいます。「志意=こころざし」、孔子が学問を志した十五歳」のころ。前途遼遠のはずが、思わぬ「躓き」から立ちゆかなくなった。そして、孔子が立った「三十歳」には一度、郷里に帰った。

「其十九」

1)チュウセキ 長なる飢えに苦しみ

ア)を投じて去きて学仕するも

将養 節を得ず

凍えとイ)えとは固より己に纏る

是の時 2)リツネンに向んとするも

志意 恥ずる所多し

遂に3)カイゼンたる分を尽くして

衣を払って田里に帰る

4)ゼンゼンとして星気流れ

5)テイテイとして復た一紀なり

6)セロは廓として悠悠たり

楊朱の止まりし所以なり

金を揮うの事無しと雖も

濁酒 聊かウ)む可し


1)チュウセキ=疇昔。

昨日、過日、昔。比較的近いむかしを指します。「疇」は「さきに」とも訓み、疇日(チュウジツ=先日過日)、疇咨(チュウシ=だれかいるか、転じて、だれかすぐれた人材がいるかね、疇諮=チュウシ=、出典は「書経」)、疇人(チュウジン=代々の家業をつぐ人、のち天文学者・数学者をいう)、疇生(チュウセイ=同種類のものが集まって生える)、疇輩(チュウハイ=仲間、同輩、疇匹=チュウヒツ=)、疇隴(チュウロウ=畑のうね、田畑)。

2)リツネン=立年。

三十歳。「而立」ともいう。言うまでもなく論語・為政篇の「三十而立」による。淵明は二十九歳の時に、江州の祭酒(学校行政をつかさどった長官、いまでいう教育委員会教育長か?ちょっと若すぎるか、指導課長ぐらいかな)となった。

3)カイゼン=介然。

心などがしっかり独立したさま。介は「おおきい」とも訓み、「両脇のものとけじめをつけて孤立するさま、転じて、目だって大きいさま」。「特」と同義。また、「両側から挟んで身を守るよろい、殻、貝殻」「よろいや殻のように固い」の意もあります。熟語は意外に多く、介立(カイリツ=一人ぼっちでほかからのたすけがないこと、操を固く守ってやたらに人と調子を合わせない様子)、介鳥(カイチョウ=鶴)、介介(カイカイ=心が清らかで俗世間と気持ちが合わないこと)、介居(カイキョ=他と交際せずひとりでいること)、介士(カイシ=心のしっかりした節操の固い人物)、介心(カイシン=おおきなこころ)、介石(カイセキ=節義を守ることが石のようにかたいこと)、介虫(カイチュウ=貝や亀など、かたい殻で身を守っている生物)、介特(カイトク=ひとりぼっちでほかからのたすけがないこと、介独=カイドク=)、介福(カイフク=大きな幸福)、介鱗(カイリン=こうらとうろこ、貝類と魚類)、耿介(コウカイ=節操が固い)、介冑(カイチュウ=よろいとかぶと、甲冑=カッチュウ=)。

4)ゼンゼン=冉冉。

じわじわとすすむさま、年月がゆっくりと経過することをいう。「冉」は「ひげのように、じわじわと伸びて進むさま」。荏苒(ジンゼン=じわじわとのびるさま)。

5)テイテイ=亭亭。

はるかに遠いさま。時間の経過をいう。ここでいう「一紀」とは「十二年」。

6)セロ=世路。

世の中を生きていく方法。世渡りの道。「セイロ」とも読む。世途(セイト、セト)ともいう。世塵(セジン=世の中の煩わしい事柄、俗事)、世故(セコ=世俗の事柄)、世才(セサイ=世間の物事に通じていること、世知=セチ=)、世人(セジン=世間一般の人)、世態(セタイ=世の中の有様、世相=セソウ=)、世道(世の中の道徳、社会道徳のこと)。

ア)耒=すき。

はたけに筋目を入れる農具。音読みは「ライ」。耜(シ)、耡(ジョ)と同義。和訓では「らいすき」という言い方もある。耒耜(ライシ=すき、耒鍤=ライソウ=)、耒耨(ライドウ=すきとくわ、すきで耕し、草を刈る)。

イ)餒え=う・え。

「餒える」は「うえる」。うえてぐったりする、栄養が足りなくて体がつかれる。音読みは「ダイ」であることに注意。飢餒(キダイ=うえ、饑餒=キダイ=)、餒饉(ダイキン=うえてからだが衰える)、餒虎(ダイコ=うえたトラ、危険な物の喩え)、餒士(ダイシ=うえた人、民間で貧しい生活をしているが、すぐれた人物)、餒斃(ダイヘイ=うえて、行き倒れになって死ぬこと)。魚が腐って肉がただれることを「あざる」と言いますが、これもこの漢字を当てます。

ウ)恃む=たの・む。

何かをあてにする。「頼」「依」と同義。音読みは「ジ」。恃気(ジキ=勇気をたのむ、キをたのむ)、恃頼(ジライ=たのみとする、恃憑=ジヒョウ=)、恃力(ジリョク=勢力や権力をあてにする、ちからをたのむ)。「たのむ」はほかに、「倚む、嘱む、怙む、憑む、托む、負む、馮む」があります。

疇 昔 苦 長 饑
投 耒 去 學 仕
將 養 不 得 節
凍 餒 固 纏 己
是 時 向 立 年
誌 意 多 所 恥
遂 盡 介 然 分
拂 衣 歸 田 裏
冉 冉 星 氣 流
亭 亭 復 一 紀
世 路 廓 悠 悠
楊 朱 所 以 止
雖 無 揮 金 事
濁 酒 聊 可 恃



昔、わたしはいつも飢えに苦しみ、それでとうとう百姓仕事に見切りをつけて役人になったが、それでも家族を養うには十分ではなく、飢えと凍えにつきまとわれた。当時、わたしは三十歳になろうとしていたが、日ごろの思いに照らして恥かしいことが多く、そこで独立独歩の道を歩もうと決意して、いさぎよく役人生活の足を洗い、郷里に帰ってきた。その後幾星霜が移り、はやくも十二年が過ぎ去った。世渡りの道はだだっ広くて多岐多端である。楊朱が分かれ道に立ち止まって嘆いたのはそのゆえであった。漢代の疏広のように金をばらまいて客人たちと歓をつくすことはできないが、このどぶろくだけは、せめてもの頼りになるというものだ。

「学士」とあるのは「政治に携わる、役人になることの謙遜した言い方」。論語の子張篇に見える子夏の語に「仕えて優なれば則ち学ぶ、学んで優なれば則ち仕う」とあります。「将養」とは「家族を養うこと」。仕途に入ったものの、生活は苦しい。暮らしぶりは一向に良くならないのはどうしてだろう。こんなはずではなかった。焦り、苛立ち、絶望……。役人には向いていないことを悟り、郷里に帰った。世渡り上手な奴もいるが、私は苦手。

「楊朱」とあるのは、戦国時代の思想家のことで、亡った羊を追って分かれ道まで来た時、その南へも北へも行けることを歎いた「多岐亡羊」の故事(淮南子「説林訓」)の主人公です。左へ行っても右へ行っても用は同じことか……。「揮金事」というのは、漢の宣帝の時、疏広は太子の太傅として、甥の疏受は同じく少傅として仕え、任にあること五年で故郷に引退し、朝廷から贈られた黄金を散財して、日夜、旧友と酒宴を繰り返しては余生を楽しんだといいます。淵明と同じように引退して故郷で隠棲したものの、かたや有り余るほどの金で楽しく暮らし、こなた、相も変わらぬ貧乏暮らし。この違いはどこから来るのか。どうしてこの理不尽な「格差」が生まれるのか。持つ者と持たざる者の相克に合点のいかない淵明。最後は濁酒(どぶろく)という安酒を呷って憂さを晴らすしかなくなるいつものパターンで終わっています。高い酒も安い酒も酔えることに於いては同じこと、酔ってしまえば上下貴賤は関係ないぜ。そんな無理筋の負け惜しみの叫びも聞こえてきそうです。

いよいよ、次回は感動のフィナーレです。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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