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酒持ってくりゃ何でも教えてやるよ~、言えんことは言えんけどね=陶淵明「飲酒」19

陶淵明の「飲酒」シリーズの19回目。岩波文庫の「陶淵明全集(上)」から。本日の“主役”は前漢の学者・文人である「楊雄(揚雄)」。字を「子雲」といい、漢書「楊雄伝」に「家素より貧しく、酒を嗜(この)む、人希にその門に至る。時に好事の者ありて、酒肴を載せ、従いて遊学す」とある人です。秀でた辞賦をつくり、代表的な著に「太玄経」「法言」「方言」などがあります。物知りだったが故に、酒を持って教えを請う人がいたため、貧乏だったけれど酒には事欠かなかった。淵明にとってはまさに理想形、お師匠様たる神様のような人ですな~。

「其十八」

子雲 性 酒を1)タシナむも

家貧にして得るに由無し

時にア)いに好事の人

イ)を載せきて惑う所を袪う

觴来たらば之れが為に尽くし

是れ諮りてウ)たさざる無し

時有りて肯て言わざるは

豈に国を伐つことに在らずや

仁者 其の心を用いなば

何ぞ嘗て2)ケンモクを失せん


1)タシナむ=嗜む。

すきこのみ、それに親しむことが長い間の習慣となること。音読みは「シ」。嗜玩(シガン=好みもてあそぶ、愛玩する)、嗜虐(シギャク=残虐なことをこのむ)、嗜好(シコウ=たしなむ、すき好む)、嗜僻(シヘキ=特に好む傾向、嗜癖)、嗜眠(シミン=眠りたがる、貪り眠る)、嗜慾(シヨク=見たい、聞きたい、食べたいといった欲望、嗜欲)。日本では「久しく好んで身につけている趣味やわざ、素養、好み」の意味が専らか。

2)ケンモク=顕黙。

発言することと、しないこと。語黙(ゴモク)ともいう。はっきり外に表れていること、表面に出ていないこと、また、世間に出ることと、隠居すること。「顕」は「あきらか」「あらわす」の訓みがあり、熟語では顕允(ケンイン=人格がすぐれ誠実であること)、顕晦(ケンカイ=あきらかなことと暗いこと、はっきりと表面にあらわれ出ることと隠れてよく知らないこと)、顕赫(ケンカク=きわだってあきらかである、輝かしい)、顕宦(ケンカン=人目に立つ高い地位の官職、高官、顕職=ケンショク=、顕官=ケンカン=)、顕諫(ケンカン=正面切ってはっきりいさめる)、顕考(ケンコウ=亡父をうやまって言う言葉)、顕迹(ケンセキ=はっきり残っている立派な行いのあと)、顕妣(ケンピ=亡母をうやまっていうことば、先妣=センピ=)、顕戮(ケンリク=罪人を死刑にして見せしめにする、罪人を殺して見せしめのために死体をさらす)。

ア)頼いに=さいわ・いに。

~のおかげで。漢文訓読の副詞語法。やや珍しい。

イ)醪=ロウ。

もろみ、醸造してまだ濾過していない、どろどろした酒。ここは「もろみ酒」。「もそろ」ともいう。濁醪(ダクロウ=にごりざけ)、醪醴(ロウレイ=にごりざけ、醴はあまざけ)。

ウ)塞たさざる=み・たさざる。

「塞たす」は「ふさぐ」から派生した訳語でしょう。すきまなくいっぱいにすること。充満させること。音読みは「ソク」と「サイ」の二通りある。「ふさぐ」では「ソク」、「とりで」の意では「サイ」であることに要注意。塞翁が馬(さいおうがうま=淮南子・人間訓に出てくる故事)、塞下(サイカ=とりでのあたり)、塞外(サイガイ=とりでの外、国境の外)、塞雁(サイガン=辺境の空を渡るカリ)、塞鴻(サイコウ=辺境の地の空を飛ぶ大きなカリ)、塞上(サイジョウ=とりでのほとり、国境付近)、塞北(サイホク=北方の国境付近の地)、塞虜(サイリョ=辺境の異民族)、塞淵(ソクエン=考えなどが充実して深遠なこと)、塞原(ソクゲン=害を防ぐためにその物事の根源をふさぐ、塞源)、抜本塞源(バッポンソクゲン=災いの原因を取り除くこと、但し、元々は根本を破壊する、根本を忘れ道理を乱すことを言ったが転用しています)、塞責(ソクセキ=責任を果たすこと、せめをふさぐ)。

子 雲 性 嗜 酒
家 貧 無 由 得
時  好 事 人
載 醪 袪 所 惑
觴 來 為 之 盡
是 諮 無 不 塞
有 時 不 肯 言
豈 不 在 伐 國
仁 者 用 其 心
何 嘗 失 顯 默



漢の揚子雲は生来、酒好きであったが、家が貧乏で手に入れる手立てがなかった。幸い時々もの好きなひとがどぶろくを持参して教えを受けにやってくる。その時は酒杯をぐいぐい飲み干しながら、どんな質問にも相手が納得するまで答えを与えてやった。しかし、口を閉じてあえて答えない時もある。それは他国を侵略するような事柄である。仁者はこのように用心深いので、発言するべき時と沈黙するべき時とを誤ることはないのである。

首中にある「袪」は配当外漢字で「解き除くこと」。疑問を解消することです。「国を伐つ」とありますが、これは春秋時代、魯の国王から斉を伐つ方策を問われた柳下恵(リュウカケイ)は「不可也」と答え、帰ってから「吾れ聞く、国を伐つに仁人には問わず、此の言何すれぞ我れに至るや」と嘆じたという故事が「漢書・董仲舒伝」に出てきます。仁者としては、他国との戦争の方策を尋ねられても答えることはできない。孔子一派の儒家が嫌う争いごと。信奉する淵明もこれは守り通しました。だから、そうした煩わしいことから逃れるためにも田園に帰りました。淵明が模範として見習った人々には必ず共通点があります。酒好きと儒教の教えです。酒で大いに釣られる部分と、肝心かなめの節度を守る部分。一見すると相矛盾する二つの資質を兼ね備えているのです。羽目を外しながらも、外してはいけない羽目は守る。二律背反ではありますが、絶妙にバランスのとれた人間を目指したのでしょう。そういう意味でやはり酒は必須アイテム。へべれけに酔わせてします魔力には勝てないのです。人間が人間たる「証」とも言えるでしょう。その一方で、冷徹に世の中を見る目。ある意味、醒めた目。淵明の詩を読んでいて時々垣間見せる鋭い視線にはどきりとさせられます。

(オマケ)最後の句の「何ぞ嘗て(何嘗)」は漢文訓読語法で是非とも覚えましょう。「どうして~か」と反語の意。「嘗て」には「かつて」と昔の意もありますが、ここはひとまとめにして見るべきですよ~。
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Author:char
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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