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酒を飲むのに長老も若造もないぜ 無礼講だぁ=陶淵明「飲酒」15

陶淵明の「飲酒」シリーズの15回目。本日も岩波文庫の「陶淵明全集(上)」から。酒を飲んだら酔っ払うのは当たり前。そうなりゃ無礼講もOKって、でも本来は礼義正しい酔い方っていうのもあるんじゃないかい。この首では淵明が粋な酔い方を教えてくれます。う~む、ある意味、男のダンディズム。

「其十四」

1)コジン 我が趣を賞し

壺をア)えて相与に至る

荊をイ)きて松下に坐し

2)スウシンにして已に復た酔う

老父 雑乱して言い

3)ショウシャク 4)コウジを失す

我れ有るを知るを覚えず

ウ)くんぞ知らん 物を貴しと為すを

悠悠たるものは留まる所に迷うも

酒中に深き味わい有り


1)コジン=故人。

親友、古馴染み。これまでも何度も出てきていますが、「すでに亡くなった人、物故者」の意味で用いるのは本邦のみ。中国では「古くからの友人、知り合い」を指すのが一般的です。「故」は「ふるい」「もと」とも訓み、「ふるくからのなじみ」という意味があります。熟語で言えば、故処(コショ=もとの場所)、故習(コシュウ=昔からの習慣)、故土(コド=旧遊の地)、故侶(コリョ=昔馴染みの仲間)、故吾(コゴ=以前の自分)、故旧(コキュウ=以前からの知り合いの人)、故意(コイ=古い心、昔馴染みとしての友情)などがあります。

2)スウシン=数斟。

酒を何倍もつぐこと。「斟」は「くむ」とも訓む。酒盛りそのものを指す。浅斟(センシン=度を過ごさない程度に軽く酒を飲むこと、浅酌=センシャク=)、浅斟低唱(センシンテイショウ=軽く酒を飲み、小声で歌う)、斟酌(シンシャク=杯の大小をはかって酒をくむように、物事の状態を考えて手加減などを加えること)。

3)ショウシャク=觴酌。

さかずきと、酒を入れる銚子、酒を酌み交わすこと。觴勺とも書く。觴は「さかずき」とも訓むが、ここでは「さす」の意。「さしつさされつ」です。「酌」は「くむ」、和訓でも「しゃく」。酬酌(シュウシャク=酒盛り)、觴詠(ショウエイ=酒を飲み、詩歌をうたう)、觴酒(ショウシュ=さかずきの酒、杯酒)、觴政(ショウセイ=酒宴に興を添えるために設けた規則、觴令=ショウレイ=)、觴杯(ショウハイ=さかずき)、濫觴(ランショウ=さかずきからあふれたほどのわずかな液体、大水の源流となるものから転じて、物事の起こり、発端)。

3)コウジ=行次。

順序。酒席では酒をついでいく順番にもルールがあり、その順番を指している。頭から無礼講とはいかない。「次」は「順番」の意。席次、順次、序次、班次、次序なども類義語。「班」も「序」も「順番、並び」の意。班次(ハンジ=くらいの順序、席次、班列=ハンレツ=、班序=ハンジョ=)。垢膩、好餌、巷路、柑子、鉤餌、鏗爾、公示ではない。

ア)挈え=たずさ・え。

「挈える」は「たずさえる」。「携える」と同義です。「ひっさげる」の訓みもあります。音読みは「ケツ」。提挈(テイケツ=提げて持つ)、右挈(ユウケツ=右手にぶらさげる、右手で引き連れること)、左提右挈(サテイユウケツ=左右に子供・部下などを引き連れていくこと)、挈瓶(ケツベイ=手でさげるちいさなかめ、ちっぽけなもの)、挈瓶之知(ケツベイのチ=わずかな才知、小智)。

イ)班き=し・き。

「班く」は「しく」。たいらにしきのべる、しいて広げる。ここは「班荊」=「荊を班く」(ケイをしく)と用いており、「友人とむつまじく並んで、いばらをしいてすわる」の意。班荊道故(ハンケイドウコ)、あるいは班荊道旧(ハンケイドウキュウ)という成句があり、春秋時代、楚の伍挙が晋に逃げようとした道中、友人の声子に出くわし、地面にいばらを布いて故郷の楚に帰ることを相談した故事が「左伝・襄二六」に見えます。ここでいう「荊」は「いばら」よりも「雑草や木の枝」といった意味の方が適切でしょう。だって、いばらじゃ痛いっすよ、座るには。。。荊薪(ケイシン=たきぎ)、荊榛(ケイシン=いばらと、ハシバミ。雑木のしげみのこと)、荊門(ケイモン=いばらの門)、荊布(ケイフ=いばらのかんざしと、もめんのもすそ、粗末な服装)、荊杞(ケイキ=いばらと、枸杞。ともに、荒れ地にはえる雑木)、荊棘(ケイキョク=とげが多く枝のはびこるいばらのこと、転じて、さまたげになるもの、紛糾した事態、人に対する悪意・敵意などのたとえともなる)、荊妻(ケイサイ=自分の妻の謙称、荊室=ケイシツ=、荊婦=ケイフ=)、荊扉(ケイヒ=いばらのとびら、粗末な家の形容)。

ウ)安んぞ=いずく・んぞ。

反語の副詞用法。頻出。「いずくんぞ」はほかに、「焉んぞ、寧んぞ、悪んぞ、曷んぞ、烏んぞ、胡んぞ」があります。いずれもよく見かけます、少なくとも瞬時に訓めるようにしておきましょう。

故 人 賞 我 趣
挈 壺 相 與 至
班 荊 坐 松 下
數 斟 已 復 醉
父 老 雜 亂 言
觴 酌 失 行 次
不 覺 知 有 我
安 知 物 為 貴
悠 悠 迷 所 留
酒 中 有 深 味



わたしの暮らしぶりが気に入ったらしく、友人たちが連れ立って酒つぼをぶらさげてたずねてくれた。落ち葉を敷きつめて松の木の下にすわり、昔を語りつつ、何度か酒を酌みかわすと、たちまち酔いが回った。年長者はもの言いが乱雑になるし、献酬の順番もおかしくなるありさま。酔いすぎて自分という存在さえ忘れるのだから、まして世俗の価値観など通用するはずもない。名利を追う人たちは自分の地位や財産を後生大事にしているが、酒にこそ人生の深い味わいがあるのではないか。

故郷に帰って田畑の仕事を始めて何年が経過しているのでしょう。桃李成蹊ではありませんが、淵明に周りに彼を慕って農夫たちが集まるようになっていたようです。しかし、ただ話に来るのではありません。当然のこと、酒盛りをしにやってくる。長老から壮年まで幅広い年齢層だったのでしょう。最初は畏まって昔話でもしていたのが、次第に酔っ払って昂じて来ると自然と無礼講になる。長老にもぞんざいな言葉遣いをする若者たち。取っ組み合いの喧嘩には至らないまでも口角泡を飛ばしながら荒唐無稽の議論は展開されていたでしょうね。ロジックなんてありはしない。思いついたままを口にする。酒をつぐ順番も無視。入り乱れてごちゃごちゃ……。

自分が誰だかもわからなくなる始末。酔っ払いに世間の価値観など通用しはしない。淵明にかかれば、「悠悠迷所留、酒中有深味」とばっさりです。人生、酒こそ命。生きていく甲斐は酒に有り。酒で酔うことを知らずして生きる意味などありゃせんわ。酔っぱらうが勝ち。旧交を温めて飲む酒の格別においしいこと。気の置けない仲間と馬鹿騒ぎしながら飲む酒も一段と美味い。淵明の索めた故郷の田園での生活はまさに理想郷でした。淵明にとっての桃花源がそこでは実際に存在したのです。役人生活に未練はない。このまま死んでも悔いはない。そんな淵明の息遣いがはっきりと読みとれる詩ですね。羨ましい限り。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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