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酒、酒、酒 夜は長いぞさぁ飲み続けよう=陶淵明「飲酒」14

陶淵明の「飲酒」シリーズの14回目。岩波文庫の「陶淵明全集(上)」から。漢代の「古詩十九首」の第十五首「生年不満未」に「昼は短くして夜の長きに苦しむ 何ぞ燭を秉って遊ばざる」のくだりがあります。これは「文選」に採録され、李白の詩にも影響を与えており、李白は「秉燭夜遊」の言葉を残しています。収穫の喜びを表現し、昼も夜も楽しもうと人生を謳歌することを歌っています。迂生のblogでも昨年9月に取り上げています(ここ)。淵明もこの詩にインスパイアされたのでしょう、この首の最後で「日没せば燭当に炳すべし」と蠟燭の灯で夜通し、酒を煽って楽しむことを推奨しています。一日は日が暮れてからが長いのさ。酒こそ友よ。古詩十九首とは異なり、「酒」をアイテムにしている所が淵明らしいです。

「其十三」

客有り 常に止を同じくするも

1)シュシャ ア)として境を異にす。

一士は長に独り酔い

一夫は終年醒めたり

醒と酔と還た相笑い

発言 各々領せず

規規たるは一に何ぞ愚かなる

2)ゴツゴウなるはイ)々ウ)れるが若し

言を寄す 3)カンチュウの客

日没せば燭当にエ)すべし

1)シュシャ=取舎。

とることと捨てること、いるものといらないものとを分けること。ここでは出処進退をいう。もちろん「取捨」でもOK。「舎」は「おく、すてる」。

2)ゴツゴウ=兀傲。

自分勝手でいばったさま。「コツゴウ」とも読む。「兀」(ゴツ、コツ)は「高く突き出たさま」。兀兀(ゴツゴツ、コツコツ=他を抜いてただひとり、ただ一つ頑張るさま)、兀坐(コツザ=からだを動かさずじっとすわっている)、兀者(ゴツシャ=足を切る刑を受けて一本足になった者)、兀然(コツゼン=無知であるさま、自分勝手でおごるさま、孤立して動かないさま)、兀立(コツリツ=一つだけ高く突き出て立っている)。

3)カンチュウ=酣中。

酒に酔っているさま。あるいは「酣中客」(カンチュウのカク)で「富貴におぼれている人をたとえる」との説もあります。「酣」は「たけなわ」とも訓む。酣宴(カンエン=盛んな酒宴)、酣歌(カンカ=心ゆくまで酒を飲んで快い気分で歌うこと)、酣酣(カンカン=酒を飲んできげんのよいさま、春たけなわ)、酣豢(カンカン=酒やうまいものを飲み食いして、ぜいたくに暮らすこと)、酣興(カンキョウ=酒を飲んで快い気分になって楽しむ)、酣娯(カンゴ=じゅうぶんに楽しむ、酣嬉=カンキ=)、酣賞(カンショウ=すぐれた景色や絵などをじゅうぶんにあじわい楽しむ)、酣春(カンシュン=たけなわの春、春まっさかり)、酣觴(カンショウ=心ゆくまで酒を飲む、酣飲=カンイン=)、酣酔(カンスイ=快く酔う、ひどく酔う)、酣戦(カンセン=戦闘が盛んに行われているさま、激戦のさなか)、酣暢(カンチョウ=酒を飲んでのんびりした気分になる)、酣適(カンテキ=心ゆくまで酒に酔って快い気分になること)、酣放(カンホウ=ほしいままに酒を飲んでしまりがないこと、酣縦=カンショウ=、文章が自由自在に書きこなされていること)、酣眠(カンミン=いい気持ちでぐっすり眠ること、酣睡=カンスイ=、酣臥=カンガ=)。とにかく酒に酔ってへべれけ、いい~気持ちになった状態を表す漢字ですね。これが類義語である「闌」(たけなわ、ラン)との一番の違いでしょうな。

ア)邈として=バクとして。

遠くにぼんやりかすむさま、ほのかにかすんださま。「邈」は「とおい」「はるか」とも訓む。邈焉(バクエン=とおくはるかなさま、ほのかにかすんださま、漠然としてまとまりのないさま)、邈乎(バクコ=とおくはるかなさま、人を軽んずるさま)、邈然(バクゼン=ぼんやりかすんださま、とおくてとりとめのないさま)、邈邈(バクバク=はるかにとおいさま、かすかで目にもとまらないさま)、邈視(バクシ=軽視する)。念のためですが、漢検の配当外ではあります。しかし、頻出する言葉ですのでできれば覚えてほしい。

イ)差=やや。

少しばかり、いくらか。珍しい副詞用法ですが偶に見かけます。「やや」はほかに、「漸、稍、良」がありますね。

ウ)穎れる=まさ・れる。

人並み以上にすぐれている。「すぐれる」とも訓める。これも正解か。音読みは「エイ」。穎異(エイイ=かしこくてすぐれる)、穎悟(エイゴ=才知がすぐれてかしこい、さとい、穎敏=エイビン=)、穎秀(エイシュウ=才知が鋭く秀でていること)、穎脱(エイダツ=袋に入れた錐の先が突き抜けて袋の外に抜け出るさま、才気が多くて多くの人に抜きん出て外に表れていることを譬える)、穎哲(エイテツ=すぐれてかしこい、また、そういう人)、穎抜(エイバツ=多くの人に抜きん出ていること)。「ほさき」の意味があり、「禾穎」(カエイ)は「穀物のほさき」。「頴」は異体字。聡穎(ソウエイ=かしこいさま)。

エ)炳す=とも・す。

ひをつけること。やや特殊な訓み。通常は「あきらか」と訓む。音読みは「ヘイ」。炳蔚(ヘイイ=はっきりとした濃い色彩、転じて文章が美しいこと)、炳煥(ヘイカン=明るく輝く、照り映えること)、炳燭(ヘイショク=ともし火、年老いてする学問、晩学)、炳然(ヘイゼン=あきらかなさま、炳乎=ヘイコ=、炳焉=ヘイエン=、炳炳=ヘイヘイ=)。「ともす」はほかに、「燈す、灯す、点す」が一般的です。


有 客 常 同 止
取 舍 邈 異 境
一 士 常 獨 醉
一 夫 終 年 醒
醒 醉 還 相 笑
發 言 各 不 領
規 規 一 何 愚
兀 傲 差 若 穎
寄 言 酣 中 客
日 沒 燭 當 炳



二人の男がいて、いつも同じところにいるが、やることなすこと正反対で、まるで別の所にいるようだ。ひとりはいつも酔っ払っているし、ひとりは年中素面である。素面と酔漢と、会えば軽蔑しあって相手の言い分がまるで分からない。小心翼翼であることの何とばからしいことか。それに比べれば傲然と酔い潰れている方がまだしも賢明なようだ。酒好きの男に一言申す。日が暮れたら、灯をともしてさらに歓を尽くすがいい。

「二人の男」とありますが、明らかに同一人物の表と裏の顔。一人は酒を飲まず、醒めている。もう一人は二六時中酒浸りで酔っている。どちらも陶淵明の分身であるのは論を待たないでしょう。どちらが表か裏かは言うだけ野暮ですな。「止を同じくす」は「住居が同じ」ということ。しかし、「取舎」=行動はいつも正反対。かたや、「規規」とは「杓子定規な生き方で、見識が狭いさま」を表し、ここでは「醒めた」淵明をいう。こなた、「兀傲」は「酔っ払った」淵明を指す。どちらが優れているのか?どちらが生きる上で楽しいのか?淵明は常に自問自答しながら、酒という結論に辿り着いたようです。世間体を気にして、人の意見ばかりに気を使いながら生きることはまさに小心翼翼という言葉がぴったり。せこせこと心苦しい生きざまであると嘲っています。「不領」とは「了解せず、理解できない」という意味。「領」にはこんな意味がある。人間は、相容れない二面性を持っているが、何物にも拘束されずに自由に生きられる方を発露したいものです。それなりの人生経験が必要かもしれませんが、どうせ一度きりの人生。百歳まで生きられるわけでなし。慌てることはない。己の進むべき道をじっくりと見定めながら生きて行くのがいいではないか。ただし、酒は欠かせないよ。ほろ酔い加減が羽目を外さず丁度いいではないか。夜は長いぞ。がっはっはっはっはあぁぁ~。陶淵明の豪快な笑い声が聞こえてきそうですな。
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言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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