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荒れ果てているのは田畑だけでなく心も…=陶淵明「帰去来兮辞」2

陶淵明の「帰去来兮辞」の本篇です。正直、「序」はいささか、言い訳じみていたように思います。真情を吐露したものでしょうが、要は「現実」を受け入れることができなかった「落伍者」なんじゃないかと。自分の「本意」って何なんでしょうね。世の中が自分を受け入れてくれないとか、世間の人は自分を分かってくれないなんて当たり前なんじゃないでしょうかね。体のいい「現実逃避」。。。と言ったら言いすぎでしょうかね。半分は当たっているんじゃないでしょうか。

ただし淵明の場合は詩才に溢れていたのが救い。いや、それだからこそ、自分の「本懐」が実行できたんでしょうね。迂生のような凡人には迚も迚も真似できません。いやいや、だからこそ、渠の詩は古来1600年以上にわたって語り継がれているのでしょう。いわば「憬れ」の存在として。。。淵明のような「永続的」な逃避はできなくても、「刹那的」な逃避ならできるのではないかと。。。迂生の場合は、その逃避がこの漢字学習だと言い切ってしまったら少し寂しいかなぁ。ここでも半分は本音なんですけど。。。

ん、まぁ、それは扨置き、流石に淵明の詩は迫力ありますなぁ。というか、言葉がいちいち心に沁みますよ。第4段まであります。出典は岩波文庫「陶淵明全集・下」。

 【1段】

 帰去来兮

 田園将にれなんとす ぞ帰らざる。

 既に自ら心を以て形の役と為す、

 ぞ惆悵として独り悲しむや。

 已往の諫むまじきを悟り、

 来者の追う可きを知る。

 実に途に迷うこと其れ未だ遠からず、

 今の是にして昨の非なるを覚りぬ。

 舟はヨウヨウとして以て軽く颺(★)り、

 風はヒョウヒョウとして衣を吹く。

 セイフに問うに前路を以てし、

 シンコウ熹微なるを恨む。

 注:(★)は「風」扁+「昜」。配当外。「あが・る」と訓む。音読みは「よう」。「不颺」(あがらず=容貌が醜くぱっとしない)、「颺言」(ヨウゲン=揚言、声を張り上げる)。

 ■蕪れる=あ・れる。

雑草が生い茂る、草が生えてはびこる。「蕪」は「かぶ」とも訓み、音読みで「ブ」。「蕪菁」(かぶ)、「蕪無し」(かぶらなし)、「蕪径」(ブケイ)、「蕪荒」(ブコウ)、「蕪廃」(ブハイ)、「蕪穢」(ブアイ、ブワイ)、「蕪雑」(ブザツ)、「蕪辞」(ブジ)、「蕪言」(ブゲン)、「蕪浅」(ブセン)、「蕪没」(ブボツ)、「蕪昧」(ブマイ)、「蕪蔓」(ブマン)、「蕪漫」(ブマン)、「荒蕪」(コウブ)、「青蕪」(セイブ)、「蕃蕪」(ハンブ)、「繁蕪」(ハンブ)。結構なボリュームの熟語ですね。狙いどころは、「蕪穢」「蕪蔓」あたりか。

 ■胡ぞ=なん・ぞ。

相手に催促を促す反語の副詞です。「なんぞ」にはいろんな言い方があり、いろんな漢字が宛てられる。書けなくてもいいから、訓めるようにしないといけません。「胡」はその一つ。「胡不…」で「なんぞ~せざる」と読み、「どうして~しないのか(いや、した方がよい)と訳す」。「胡」はこのほかに、「ひげ」「えびす」との訓みもある。音読みでは「コ」「ウ」。注意すべき熟語は「胡笳」(コカ)、「吞胡羯」(コカツをのむ=意気盛んなこと)、「胡漢陵轢」(コカンリョウレキ)、「胡姫」(コキ)、「胡考」(ココウ)、「胡思乱量」(コシランリョウ=あれこれつまらないことに思い囚われること)、「胡髯」(コゼン)、「胡孫」(コソン=猿)、「胡蝶之夢」(コチョウノゆめ)、「胡狄」(コテキ)、「胡馬朔風」(コバサクフウ=望郷の念)、(ゴフン→「ゴ」に注意、胡麻があるよね)、「胡盧」(コロ)、「胡蘆」(コロ)、「胡籙、胡禄」(コロク、やなぐい)、「胡為」(なんすれぞ)。

 ■奚ぞ=なん・ぞ。

反語副詞の第二弾。漢字源では、かなりの語法が紹介されており、漢文訓読の重要語ということでしょう。「奚若」(いかん)、「奚以」(なにをもって)、「奚而」(なんぞ)、「奚為」(なんすれぞ)、「奚其」(なんぞそれ)など目白押しです。さらに、音読み「ケイ」もあり、これは音符(谿、蹊など)で読めると思う。「しもべ、女の奴隷」という意味も載っており、「奚奴」(ケイド=女の奴隷)の熟語があるがこれは難問だろう。「奚童」(ケイドウ=子供の奴隷)もある。

 ■已往=イオウ。

すぎさったこと。つまり、過去のこと。「已」は古文の動詞の活用の「已然形」の「イ」で「すでに、もはや」という意味。訓読みでは「や・む」「すで・に」「のみ」と訓む、漢文訓読でも必須でしょう。「業已」「已業」「既已」はいずれも「すでに」と訓読。「而已」は「のみ」。熟語には「已下」(イカ)、「已還」(イカン)、「已降」(イコウ)、「已来」(イライ)、「已業」(イギョウ)、「已後」(イゴ)、「已上」(イジョウ)、「已甚」(イジン)、「已矣」(やみなん、やんぬるかな)。ユニーク四字熟語の「已己巳己」(イコミキ)はご存知ですよね。

 ■ヨウヨウ=遥遥、ヒョウヒョウ=飄飄。

 舟がゆらゆら波に揺れるさま(揺揺でもOKか)と、風がそよそよと吹き衣を揺らすさまを対比させ、韻も踏んでいる。書き問題で出ても書けるよなぁ?「ヨウヨウ」というのは「杳杳」「雍容」「雍雍」「耀耀」「窈窈」「燿燿」「漾漾」「溶漾」「揺漾」「鷹揚」「夭夭」「揚揚」などいわば硬軟織り交ぜてあるので留意しよう。

 ■セイフ=征夫。

 遠くに行く旅人。船頭と訳している解説もある。「征」は4級配当の漢字だが、「いく、ゆく」と表外訓みがあり、この意味では「征旅」(セイリョ)、「征衣」(セイイ)、「征塵」(セイジン=旅でつもった塵)、「征途」(セイト=旅路)、「征路」(セイロ)、「征帆」(セイハン)、「征蓬」(セイホウ)など意外な熟語は多い。侮っていると書き問題で出されて書けないぞ。

 ■シンコウ=晨光。

 早朝に輝く太陽、朝日のことだ。「晨」は「あした」とも訓み、熟語には「晨起」(シンキ=夙起)、「晨星」(シンセイ)、「晨装」「晨粧」(以上シンソウ)、「晨旦」(シンタン)、「晨明」(シンメイ)、ここまでが見出し語。漢字源では「晨鶏」(シンケイ)、「晨暉」(シンキ)、「晨鐘」(シンショウ)、「晨昏」(シンコン)、「晨炊」(シンスイ)、「晨征」(シンセイ)、「晨往」(シンオウ)、「晨行」(シンコウ)、「晨省」(シンセイ)、「晨風」(シンプウ)、「晨門」(シンモン)、「晨夜」(シンヤ)など数多い熟語が掲載されている。四字熟語では「昏定晨省」(コンテイシンセイ)、「牝鶏之晨」(ヒンケイのシン=女性が権力を濫用すること)、「牝鶏司晨」(ヒンケイシシン)、「晨去暮来」(シンキョボライ)、「晨星落落」(シンセイラクラク)、「落落晨星」(ラクラクシンセイ)がある。注意すべきは「晨星」か。明け方の空に残る星のことだが、転じて、物の数が少ないことの譬えも表わす。「晨星のごとき才能の持ち主」などと用いるようだ。「晨暉」も結構ムズイ。

 ■熹微=キビ。

太陽の光がほのぼのとさすこと。また、光のかすかなこと。見出し語にはないが小文字にはある。「熹」は1級配当で「かすかな光」。意外に盲点かも。読むことはできるわなぁ、書きは難しいなぁ。ところが、完全征服を参照すると、訓読みに「あぶ・る」「さか・ん」「かす・か」「よろこ・ぶ」と四つもある。これは覚えられんわ。「キビ」は「羈縻」「綺靡」「綺美」「旗靡」「機微」「驥尾」「吉備」「粢」「稷」「黍」がある。お尻の三つも使い分けは重要だぞ。


故郷の田園が蕪れていることを帰る理由にこじつけていますね。己の心が蕪れていることを重ね合わせているのでしょう。そして、苦痛に苛まれた役人生活を振り返り、自ら望んで精神を肉体の奴隷にしていたのだと言い切ります。既往不咎。過去を咎めても仕方がない。未来を見ようではないか。ここはgood-thinkingだと思います。理由は「不純」だが。。。「確かに乃公は途を踏み誤ったが、これからの心がけ次第でどうとでも挽回は可能だぜ。人生はまだまだこれからが本番さ」。。。。。。ふと、内面の述懐から現実に戻されると、舟に載っている自分。居合わせた旅人に「前路」を問う。「この旅の前途は吉祥でしょうかね」と尋ねてみても、薄暗く射しかかった朝の光では先を見通せるはずもないのが恨めしい。。。不安げな描写で締め括られますが…、第2段は次回にて。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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