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「梅」と結婚したフェティシズムの極致=北宋の林逋

「梅妻鶴子」という言葉をご存じか?生涯妻を娶らず鶴を飼って、西湖畔に梅の木を植えて廬を構え、一生仕官しなかった詩人がいました。それが北宋の初期の時代の林逋(967~1028)です。宇野直人氏のNHKラジオテキスト「漢詩をよむ 漢詩の来た道(宋代前期)」(P51)には「梅を愛した隠逸詩人」と紹介されています。その代表作であり、梅の花を玩わうならこの一品というのが「山園小梅」(山園の小梅、七言律詩)。本日は梅のスペシャリスト、林逋を取り上げます。

衆芳 揺落して独り暄妍

風情を占め尽して小園に向ふ

ソエイ 横斜 水清浅

アンコウ 浮動 月黄昏

霜禽 下らんと欲して 先づ眼を偸み

粉蝶 如し知らば 合に魂を断つべし

幸ひにビギンの 相狎る可き有り

須ひず 檀板と金尊とを


●暄妍=ケンケン。

暖かで景色が美しい。「暄」は「あたたかい」、「妍」は「うつくしい」。「ケンケン」は「謇謇、拳拳、喧喧、娟娟、娟娟、慊慊、捲捲、涓涓、眷眷、虔虔」などの同音異義語があります。これらを区別するのは意外と難しい。暄和(ケンワ=あたたかくのどか)、暄寒(ケンカン=あたたかさと、寒さ。寒暄=カンケン=ともいい、時候の挨拶)、暄煦(ケンク=あたたかい、暄暖=ケンダン=)。

●ソエイ=疎影、アンコウ=暗香。

この二つの言葉はこの詩の「胆」です。ともに梅の木や花を形容する代名詞として現在も使われています。二つ合わせて「暗香疎影」という四字熟語にもなっています。「月光などに照らされて疎(まば)らに映る木々の影」と「暗闇に漂う花の香り」。

●ビギン=微吟。

小さな声でしんみりと歌うこと。小声で詩歌を口ずさむこと。低唱微吟でお馴染み。「Begin」。微躯(ビク=自分を遜る言葉、微躬=ビキュウ=)、微醺(ビクン=ほろ酔い)、微言(ビゲン=それとなくほのめかすこと)、微行(ビコウ=天子の御忍び)、微子(ビシ=養子)、微時(ビジ=地位や身分が低かった時、微賤の時)、微衷(ビチュウ=ささやかな真心)、微眇(ビビョウ=身分が卑しい、かすかで小さい)、微服(ビフク=身分の高い人が人目につかないように身を窶して出歩く際の服装、しのび姿)、微茫(ビボウ=ぼんやりとしてかすかなさま)、微恙(ビヨウ=軽い病気、微痾=ビア=)、微禄(ビロク=薄給、微俸=ビホウ=)。

●狎る=な・る。

「狎れる」は「なれる」。人と親しくする、近づきになって遠慮をしないようになる、なれなしくする、習慣となる。「したしむ」とも訓む。音読みは「コウ」。狎昵(コウジツ=馴れ親しむ、昵懇=ジッコン=)、狎愛(コウアイ=なれなれしく愛する、身近に置いて可愛がる)、狎客(コウカク=親しく付き合っている客)、狎玩(狎翫=コウガン、なれなれしくしてもてあそぶ)、狎近(コウキン=なれて近づく)、狎恰(コウコウ=遠慮もなしに、からだをくっつける、押し合いへしあいする)、狎邪(コウジャ=なれなれしくして、心のよこしまなこと)、狎臣(コウシン=気に入りの家臣)、狎猟(コウリョウ=さまざまに飾ったさま、花や雲などがつぎつぎに重なり接するさま)、狎弄(コウロウ=なれてあなどる、狎侮=コウブ=)。


衆 芳 揺 落 独 暄 妍
占 尽 風 情 向 小 園
疎 影 横 斜 水 清 浅
暗 香 浮 動 月 黄 昏
霜 禽 欲 下 先 偸 眼 
粉 蝶 如 知 合 断 魂
幸 有 微 吟 可 相 狎
不 須 檀 板 共 金 尊


多くの花が散った後、ひとり明るく美しく、みやびな趣を一身に担ってわが庭に咲いている。まばらな枝の影が斜めに映る池の水面が澄んで浅く、ひそやかな香りがただよう大気の中、月は黄金色にかすむ光をそそいでいる。寒い冬の鳥は地に降りようとしても気後れして、まずそっと目をやり、春の盛りに飛ぶ蝶が梅の花のことを知ったなら、いっしょには生きられない悲しみに打ち拉がれるだろう。幸いなことに、ここに、この梅の花によく似合うわたしの静かな吟咏の声がある。にぎやかな拍子木や豪勢な酒樽など必要無しだ。

最後の句の「檀板」(タンパン)は「まゆみの木の板で作った打楽器」、「金尊」(キンソン=金樽)は「美しい酒樽」の意で「酒」のことを指しています。要するに、花見の必需品である「どんちゃん騒ぎ」をいう。梅の花を愛でるのにそんなにぎやかしさは無粋であると断じているのです。

石川忠久氏の「漢詩鑑賞事典」(P585~587)によれば、「まずこの詩で注目に値するのは、梅を詠んだのにもかかわらず、梅という語を一つも使っていないことである。……見どころは、頷聯の三・四句である。さらさらと流れる川の浅瀬に映る影。淡い色をした月の出た夕もやの中に、ほのかに漂う香り。この二句は、後の明の詩人高啓の『寒に疎影に依るは蕭蕭たる竹、春に残香を掩うは漠漠たる苔』<梅花九首その一>などに影響を与えている。首聯、頸聯もなかなか味がある。とくに、うたい出しがうまい。清楚で気高いイメージが漂い、隠士として一生を過ごした作者の雰囲気をよく伝えている」と鑑賞しています。


宇野氏のNHKテキスト(P115)によれば、梅の花は南北朝ごろより詩に取り上げられ、唐末までの詩材としてのイメージは、大体次のようにまとめられるといいます。すなわち、

①雪や氷にとざされた冬の季節に耐え、春、他の花に先駆けて咲くところから、節操の固い花。転じて、高潔な心境のたとえ。

②遠く離れた親しい人に贈る花。

③旅人にとって、故郷への思いをかき立てる花。

宋代に至ると、更に、

④香りのよい花。

⑤品格が高く、超俗的雰囲気を帯びる花。

という二つの性格が加わり、④と⑤の世界は林逋の詩によって定着した、といいます。

漢詩鑑賞事典には林逋の「梅花」という七言律詩も紹介されています。

吟懐長に恨む芳時に負きしを

梅花を見しために輒ち詩に入る

雪後の園林纔かに半樹

水辺のリラク忽ち横枝

人のコウエンを憐れむ多く応に俗なるべし

天の清香を与えしは私有るに似たり

笑うに堪えたりコスウも亦風味ありて

声調を将って角中に吹くを解せんとは


●リラク=籬落。

いけがき、まがき。「籬」の一字で「まがき、ませ」。籬垣(リエン=かきね、まがき、籬藩=リハン=、籬牆=リショウ=)、籬菊(リキク=かきねのそばに咲く菊の花)、籬豆(リトウ=まがきにからんだ豆)、籬辺(リヘン=いけがきのそば、籬畔=リハン=)。

●コウエン=紅艶。

あかくつやっぽいさま。

●コスウ=胡雛。

えびすの子供。「雛」は「こども」。

●輒ち=すなわ・ち。

漢文訓読語法。「~してすぐに…」「~して、たやすく…」と訳す。音読みは「チョウ」。輒然(チョウゼン=ぺたぺたとくっつくさま、密着して一体になったさま、すぐ・突然)。

●纔かに=わず・かに。

やっとのことで、はじめて。音読みは「サイ」。方纔(ホウサイ=はじめて、やっと)。

吟 懐 長 恨 負 芳 時
為 見 梅 花 輒 入 詩
雪 後 園 林 纔 半 樹
水 辺 籬 落 忽 横 枝
人 憐 紅 艶 多 応 俗
天 与 清 香 似 有 私
堪 笑 胡 雛 亦 風 味
解 将 声 調 角 中 吹


梅のさかんな季節だというのにいい詩が作れず恨めしい。梅を見るたびに詩作の意欲だけは湧いてくる。雪がやんだ庭の林には、雪をかぶって半分だけ顔をのぞかせる梅の木が興趣をそそる。いや、水辺の生け垣から唐突に横に伸びる枝ぶりも素晴らしい。とかく紅い艶やかな花が好まれるのは、なんとまあ俗っぽいことで仕方ないが、天が梅にだけ清らかな香りを賦与したのは奇跡と言っていい。北の辺境に住む蛮族の子供ですら風流の理解しているのも笑ってしまう。梅の花にちなんだ曲をアレンジしながら角笛で吹いているのだから。

この詩の「雪後園林纔半樹、水辺籬落忽横枝」の頷聯も名句として名高い。雪景色の梅を形容する句としては史上最も優れていると言えるのではないでしょうか。

「新法」と呼ばれる急進的な政治改革を主導した王安石(1021~1086)にも梅を詠じた詩があります(NHKテキスト、P114)。

牆角 数枝の梅

寒を凌いで独り自ら開く

遥かに知る 是れ雪ならざるを

暗香有りて来るが為なり


●牆角=ショウカク。

囲いの隅っこ、土塀のすみ。「牆」は「かき」「へい」と訓む。牆衣(ショウイ=土塀の上の青い苔)、牆垣(ショウエン=かきね、土塀、牆籬=ショウリ=)、牆頭(ショウトウ=かきねのあたり)、牆壁(ショウヘキ=かこいの土塀)、牆面(ショウメン=無学の人のたとえ)。


かきねのすみに数本の梅の枝。寒さにたえながら孤高の白い花を咲かせている。遠目にも雪ではないことは明らか。なんとなれば甘い香りがわたしの鼻をひそやかにくすぐるから。

牆 角 数 枝 梅
凌 寒 独 自 開
遥 知 不 是 雪
為 有 暗 香 来


完全に林逋の詩風を真似しているばかりか、ちゃっかりと「暗香」というキーワードをもいただいていますね。安石も、こと梅を詩に詠むならば林逋には到底かなわなかったと諦めているのでしょう。ここまで堂々とぱくると潔いと言えるでしょう。

林逋は、浙江省杭州市出身で、生涯、官僚役めはせず市井の人として生活を送りました。西湖の畔、孤山に居を構え、二十年間も引き籠もり町へ降りなかったといいます。現在も西湖には「放鶴亭」と呼ぶ、彼の廬の跡が残っているそうです。諡して「和靖先生」といい、「林和靖先生詩集」四巻があり、三百篇余りの詩が現存しています。それにしても、林逋の詩は、人間に対する以上に梅に注がれている愛情を感じるものばかりですが、一つ間違えば“フェティシズム”と言える盲目的な感じもなくはないでしょうか。

「人」でない「物」しか愛せない性的な倒錯。。。梅は確かに美しいですが、物を言うわけではないし、行動するわけでもない。そこに存在するのみ。呼吸はしているが動くことのない梅を「妻」にするという発想自体が、傀儡のようでもありいささか“デインジャラス”かもしれません。幼いころに、あるいは思春期に女性を愛せなくなったトラウマがあったのでしょうか。一方、鶴を飼うというのは「子供」と称するかどうかともかく、当時、隠者の風流として流行したようです。鶴と言えば、湖北省武昌市にあり、長江を臨む楼、「黄鶴楼」の伝説が有名です。次回はこれを詠んだ超有名な詩を取り上げようと思います。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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