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生涯を「詩癖」で貫いた「詩香」芬芬の詩人=北宋の梅堯臣4・完

梅堯臣シリーズは最終回です。これまで蚯蚓、猫、牛といった身近な小動物を題材に詠んだ詩を見てきました。彼の詩の主人公はこれらにとどまりません。河豚、蝦蟆児、虱など、そのヴァラエティの多彩さは唐代の詩にはなかったものです。本日は多くの詩を紹介します。いずれもNHKラジオテキスト「漢詩をよむ 漢詩の来た道(宋代前期)」(宇野直人著)から。

まずは河豚の美味が話題に上った宴会の席上で詠んだ詩です。

「范饒州坐中語食河豚魚(范饒州の坐中にて 客 河豚魚を食するを語る)」

……
河豚 是の時に当り

貴きこと 魚蝦を数とせず

其の状 已に怪しむ可く

其の毒 亦 加ふる莫し

腹を忩らすこと封豕の若く

目を怒らすこと呉蛙の如し

庖煎苟も所を失すれば

喉に入りて鏌鎁と為る
……(一部抜萃です)

●河豚=カトン。

河豚とは読みたくない。ふぐに似た淡水魚。やはり毒を持つ。ブタのように丸々と太って美味。

●封豕=ホウシ。

大きなイノシシのこと。これは封豕長蛇(ホウシチョウダ=欲深い残酷な人物)から来ている言葉です。この「封」は稍難しく「盛り土のようにふっくらとして大きい」という意味。「豕」は「いのこ」「ぶた」とも訓む。豕交獣畜(シコウジュウキク=礼を持って人を遇せず、けものや家畜同様に取り扱うこと)、豕心(シシン=恥じ知らずで欲張りな心のこと)、豕喙(シカイ=欲深い人相)、豕突(シトツ=猪突、向こう見ず)、豕牢(シロウ=豚小屋、トイレ)。「忩」は「怱」の異体字ですがここは「いからす」と訓み、「怒ったように(腹を)ぷく~っと膨らませる」と解釈したい。

●呉蛙=ゴア。

呉の地方のカエル。呉娃(ゴアイ)といえば「呉の地方の美しい娘のこと」ですから、見た目の美しい呉地方特別のカエルでもいたのでしょうかね。



最後のくだりがこの詩のPUNCH-LINEですね。「庖煎」とは料理方法を指し、「万が一にもフグの毒を取り除くことをミスすれば、莫邪のような鋭利な剣を呑んだように腹が切り裂かれ、死んでしまうよ」とおどけているのです。「鏌鎁」(バクヤ)とは、春秋時代の呉国の「干将莫邪」の故事で有名な名剣のことです。呉蛙と鏌鎁は掛け言葉なのです。

続いて、降り止まない霖にうんざりの梅堯臣です。

「梅雨」

三日 雨止まず

蚯蚓 我が堂に上る

湿菌 枯籬に生じ

潤気 素裳を醭す

東池の蝦蟆児

限り無く相チョウリョウ

野草 花圃を侵し

忽ち欄干与(より)も長し

……(後略)

●チョウリョウ=跳梁。

かってに動きまわる、はねまわる。悪人が思うままにふるまうこと。跳梁跋扈(チョウリョウバッコ=悪者がはびこり、勝手気ままにふるまうこと、飛揚跋扈=ヒヨウバッコ=、横行闊歩=オウコウカッポ)。「梁」は「やな」「はり」「うつばり」。

●蝦蟆児=カバジ。

がまがえる。ヒキガエル。

何とも欝陶しい雰囲気がぷんぷん。ここでも蚯蚓が再び登場しています。湿菌(シッキン)は「かび」、「醭」(ホク)は「白かび」。三日も雨が降り続けば、こうしたじめじめした空気が体に纏わりつきます。

続いてはちょっと長い題の詩。

「師厚云ふ 蝨は古より未だ詩有らず 予を邀へて之を賦せしむ」(妻の甥の謝景初から「●●●を詠んだ詩はまだ無いから」と勧められて作った)

貧しきものの衣は弊れて 垢じみ易く

垢じみ易ければ の少きこと難し

裳と帯の中に 群がり処り

裘の領の端に 旅り升る

跡を蔵して 詎んぞ策む可けんや

血を食らうて以て自ら安んず

人世 猶ほ俯仰

爾が生 何ぞ観るに足らんや

●蝨=しらみ。虱とも書く。音読みは「シツ」。蝨官(シッカン=国をむしばむ要因)、捫蝨(モンシツ=人前で、しらみを手探りしてつぶす。無頓着で、あたりを構わないさま)。


貧乏人の着物はぼろぼろで垢に塗れている。だからしらみがうようよいる。したばかまやおびに群がっている。上着の襟から這い上がってくる。すがたをくらましてつかまえようもない。人の地を吸ってのうのうとしている。だが待てよ。人間だって右往左往、齷齪しているではないか。同じことだ。しらみの生態にことさら目を向けるまでもないか。

しらみの生きざまを人間に重ね合わせています。辛辣な人間観は長い地方官役めの不遇感によるものではないか、と宇野氏は指摘しています。しかしそれは、一面、農民、漁民や手工業者の生活苦への同情を深めさせ、「社会派詩人」としての姿勢を養うことにもなった、とも解説されています。

「詩癖」(七言律詩)

人間 詩癖は銭癖に勝る

カンピを捜索して 過ぐること幾春ぞ

嚢橐 貧の旧に似たるを嫌ふ無く

フウソウ 句の新なる多きを喜む有り

但 苦意を将て層宙を摩せんとし

終に窮まりて ボシンを渉るを計ること莫し

試みに看よ 一生 ドウシュウの者

他のトウダイを羨むこと 亦 何ぞ頻りなる

●カンピ=肝脾。

肝臓と脾臓。すなわち、心の中で思うこと。

●フウソウ=風騒。

「詩経」の国風と、「楚辞」の離騒。転じて、詩文のこと。

●ボシン=暮津

夕暮れ時の渡し場。すなわち、老年の日々。「津」は「渡し場」で陶淵明の桃花源記に「問津」(モンシン、シンをとう=渡し場の在り処を尋ねる、転じて、学問を修めるための方法を尋ねる、人に物を尋ねる)があります。

●ドウシュウ=銅臭。

金銭によって官位を得た者をあざけっていうことば、金持ちや、無暗に金を欲しがる者をいやしめていうことば。

●トウダイ=登第。

科挙に合格すること。登科(トウカ)ともいう。また、広く試験に合格することをいう。

人 間 詩 癖 勝 銭 癖

捜 索 肝 脾 過 幾 春

嚢 橐 無 嫌 貧 似 旧

風 騒 有 喜 句 多 新

但 将 苦 意 摩 層 宙

莫 計 終 窮 渉 暮 津

試 看 一 生 銅 臭 者

羨 他 登 第 亦 何 頻


この世の中、詩に執心することは金銭に執心するよりずっといい。心の中で詩のことをあれこれ考えどれほどの歳月を過ごしたことか。財布の中が、相も変わらず寂しいのも気に留めず、作る詩文が新鮮味に富む句作りなのをうれしがる。ひたすら精進を重ねて高い大空に達しようと念じ、ついに行き詰まって暮方の渡しを歩むことなど考えもしない。まあ見たまえ、生涯ずっと金銭の臭いにまみれた輩が、他人の及第をうらやむことの何とあさましいことか。

NHKテキスト(P82)によると、「嘉祐4年(1059)、梅尭臣58歳。世を去る前年の詩である。范鎮・王疇という二人の友人の作った三十八首の連作に梅尭臣が一々唱和した、そのうちの一首にあたる。このころ彼は『新唐書』の編纂に参加していたが、ここでは貧窮の中で詩に生き甲斐を求め続けた自分の生涯を総括するような詠みぶりになっている」。

苦吟を重ねて「平淡」の境地を見出した梅堯臣。冒頭の「人間詩癖勝銭癖」には、溢れる詩才を裕福な生活につなげられなかった自分自身の腑甲斐無さと同時に、詩に対する思い入れを表した自信満々の姿が垣間見えます。若いころから出世よりも詩作に腐心してきた毎日。いい詩が出来たときはそれなりに満足感があった。財布はからっぽだが…。そんなわたしも気が付けば「暮津」を歩んでいるではないか。人の出世を羨んでも致し方ない。詩と共に生きてきた「証」を見せつけてやる。えいっ……。金の臭いはしないが、詩の香りなら芬芬でしょ?詩、詩、詩、詩。。。。。。。。。現存する詩は「2800首」(吉川幸次郎著「宋詩概説」=岩波文庫=)にも及ぶそうです。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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