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舟中で暮した飼い猫を哀悼する心優しき詩人=北宋の梅堯臣2

■梅堯臣(1002~1060)

字は聖兪(セイユ)。出身地の宣州宛陵(現在の安徽省)にちなんで、その詩集は「宛陵先生集」(60巻)とよばれる。ちょうど梅堯臣の生きた11世紀前半は、科挙に合格して官僚になるルートが定着した時代でもあった。ところが彼は、叔父が高官であったため縁故採用(蔭補=インポ=という)によって官僚コースを踏み出した。そのため一生、卯建が上がらず、したがって官僚としての特記すべき活躍は少ないが、56歳の時、知貢挙(チコウキョ=科挙の試験委員長)であった欧陽脩の推薦を受けて科挙試験官をつとめた。このとき合格したのが蘇軾(蘇東坡)や曾鞏である。中国では試験官と受験生は師弟となるので、つまり梅堯臣は蘇軾の師になったわけである。

官界のキャリアが今一つだった分、自然と情熱のすべては詩作に注がれることになった。「貧しくしてこその詩上手」とは、同時期の蘇舜欽と並べて彼の詩を称賛した欧陽脩のことばである。日常生活の種々相をテーマにうたい、詩の分野を唐詩にくらべて一段と拡大し、また、平淡な表現をしたことなど、彼によって宋詩の特色が築かれたといってよい。

            (以上、石川忠久氏「漢詩鑑賞事典」=講談社学術文庫=、P588から引用、一部修正)

梅堯臣の詩風のキーワードは「平淡」。当時流行した、晩唐の李商隠に発する「西崑体」といわれる技巧を凝らした作風に対抗するものです。宇野直人氏のNHKラジオテキスト「漢詩をよむ 漢詩の来た道(宋代前期)」(P77)によりますと、欧陽脩は彼の詩のことを「橄欖の実のように、初めは固くて味がないが、嚙むうちにだんだん味が出て来る」と評した(五言古詩「水谷夜行、子美[蘇舜欽の字]・聖兪[梅堯臣の字]に寄す」)。橄欖とは「オリーブの実」。口の中に頰張っても美味しくない。固いだけ。しかし、すぐに飲み込まずに囓んで囓んでじわ~っと味が染み出てくる。いや、ちょっとやそっとではないかもしれません。「平淡」とは、作為的でない、混じり気のない純朴さをいう言葉ですが、これがなかなかに難しい。恐らく「平淡」というのは帰結であって、そこに至るまでのプロセスにおける呻吟、苦悩は相当な物があるに違いないです。他人が平然と「平淡」などという言葉を使っては当の梅堯臣には申し訳ないかもしれないですね。詩人の気持ちを忖度など俄かの素人ごときが出来るはずがないですな。

それより詩に行きましょう。

「祭猫」(猫を祭る)[五言古詩]


五白の猫を有して自り

鼠 我が書を侵さず

今朝 五白死し

祭りて飯と魚とを与う

之を中河に送り

爾を呪するは 爾を疎するに非ず

昔 爾 一鼠をア)

銜え鳴きて庭除をイ)れり

衆鼠をして驚かしめんと欲し

意は将に我が廬を清めんとす

一たび舟に登り来りてより

舟中 屋を同じうして居る

ウ)糗糧 甚だ薄しと雖も

漏窃の余を食うを免る

此れ 実に爾の勤むる有ればなり

勤むること有るは1)ケイチョに勝る

世人は2)クガを重んじ

3)バロに如かずと謂う

エ)已矣 復 論ずること莫けん

爾の為に聊か4)キキョ

1)ケイチョ=鶏猪。

にわとりといのしし。

2)クガ=駆駕。

馬を走らせて駕籠に人を乗せること。なかなか辞書には見えない言葉です。駆騁(クテイ=馬をあちこちに走らせる)、駆馳(クチ=馬をさっと走らせる、はせまわって人のために尽くす)、駆塵(クジン=馬がはやがけして舞い上がった土ぼこり)、駆儺(クダ=年末や節分などに悪鬼をおいはらう儀式、追儺=ツイナ=)、駆掠(クリャク=追い払って財産などを奪い取る)。

3)バロ=馬驢。

ウマとロバ。「驢」は「ろば」「うさぎうま」。驢鳴犬吠(ロメイケンバイ=きくにたえないもの、文章の劣っていることのたとえ、驢鳴狗吠=ロメイクバイ=とも)。

4)キキョ=欷歔。

すすりなくこと。唏嘘、嘘唏、歔欷とも書く。

ア)齧み=か・み。

「齧む」は「かむ」。かみ切る、かんで傷をつける。音読みは「ゲツ」。齧膝(ゲッシツ=昔の良馬の名、転じて良馬)、齧歯目(ゲッシモク=哺乳類の分類のひとつ、犬歯がなく、門歯は大きく鋭く、物をかじるのに適している、ネズミやリスなどのたぐい)、齧噬(ゲッゼイ=物をかむ、噬齧=ゼイゲツ=)。

イ)遶れり=めぐ・れり。

「遶る」は「めぐる」。まわりをまわっていく。音読みは「ジョウ、ニョウ」。囲遶(イジョウ、イニョウ=ぐるりと取り巻く)。「めぐる」はほかに、「回る、繚る、巡る、迴る、廻る、環る、嬰る、邏る、循る、紆る、蟠る、匝る、匯る、周る、圜る、徇る、徼る、斡る、旋る、槃る、樛る、浹る、般る、盤る、躔る、輾る、週る、運る」など多彩です。

ウ)糗糧=キュウリョウ。

保存用・携帯用のための食糧とするほしいい。「糗」は配当外で「ほしいい」。乾燥した飯。

エ)已矣=やんぬるかな。

ああ、もうどうしようもない。絶望を表す。これまでも何度も登場。そろそろ、漢検本番でも出そうです。「やみなん」とも訓む。

白ぶちの猫を飼ってからというもの、鼠はわたしの本をかじらなくなった。今朝、その猫が死んだ。飯と魚を供えて葬ってやることにした。お前を河の中程まで見送って、祟りが起きないようにとお祈りしたのだが、それは決してお前のことを大切に思っていないからではないことは分かってほしい。かつてお前は鼠を一匹だけ捕まえてくわえながら庭じゅう、にゃ~にゃ~と鳴きながら走り回ったことがあったな。家じゅうにいる鼠どもをおどしてわたしの家から追い払おうとしてくれたのだよね。わたしが船旅を始めてからというもの、舟の中、ひとつ屋根の下でいっしょに暮らしてきた。旅先での食事はとても粗末ではあったが、鼠が小便を掛けたり、鼠がぬすんでいった残り物を食べるということが一度もなかったのもすべてお前の陰だ。お前は飼い主のために努力したのだ。その点では卵や肉となる鶏や猪にもまさっているよ。なぜなら奴らは生きているだけで努力をしているのではないから。世の人々は車を走らせたり、人を乗せたりすることを気にかけるあまり、猫の働きのごときは馬やロバに到底かなわないと考えている。ああ、どうしようもないことだね。言っても詮方ないからこれでやめておく。最後にもう一度だけお前の為にむせび泣いてお見送りさせてもらうよ。

自 有 五 白 猫
鼠 不 侵 我 書
今 朝 五 白 死
祭 与 飯 与 魚
送 之 于 中 河
呪 爾 非 爾 疎
昔 爾 齧 一 鼠
銜 鳴 遶 庭 除
欲 使 衆 鼠 驚
意 将 清 我 廬
一 従 登 舟 来
舟 中 同 屋 居
糗 糧 雖 甚 薄
免 食 漏 窃 余
此 実 爾 有 勤
有 勤 勝 鶏 猪
世 人 重 駆 駕
謂 不 如 馬 驢
已 矣 莫 復 論
為 爾 聊 欷 歔


飼い猫との触れ合いや思い出を「哀悼文」にして詠んでいます。この中で「庭除」(テイジョ)とあるのは、庭の階段のこと。庭階(テイカイ)とも言います。「除」とは「堂屋から庭へ降りるときの階段のこと」。中国の邸宅は、寺の本堂のように地面から高くなっていて、階で登り降りするようになっている。そこで「庭」と「除」の二字でもって庭全体を指し示しています。

漢詩鑑賞事典によると、「宋詩の特徴として、唐詩には希薄であった題材の広さや日常生活に密着した作詩態度も指摘されている。この詩も宋詩の特色をよく示すものといえる。死んだ飼い猫に対する作者の愛情と同時に、馬や牛のごとく目立った労役をしない小さな愛玩動物にもそれなりの精勤と、ひいては存在価値のある事を訴えている。ことに『世人重駆駕、謂不如馬驢』の二句には、生涯卯建の上がらなかった作者の自壊がこめられていよう」との解説が見えます。梅堯臣が卯建が上がらなかった背景については次回触れてみたいと思います。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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