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「蚯蚓」も詩題に…その卑近さが異彩を放つ=北宋の梅堯臣1

弊blogはこのところ中国の名文・美文を数多く味わってきましたが、ここらで久しぶりに漢詩に戻ることとしましょう。とくに誰というでもなく、時代も特別なテーマを設けずランダムに、気まぐれ散人の本領発揮と行きましょうかね。やはり漢詩はいいですよ。疲れた心に沁みますね。凝縮された世界に浸りましょう。

唐突ですが、中国北宋の時代に活躍した梅堯臣(1002~1060)という詩人がいます。偶々、宇野直人氏のNHKラジオテキスト「漢詩をよむ 漢詩の来た道(宋代前期)」(2010年4月~9月)を読んでいたところ、梅堯臣の「蚯蚓」という面白い詠物詩に目が留まりました。官僚詩人である欧陽脩とともに、当時を代表する詩人です。

まずは、そのまま引用しましょう。

 「蚯 蚓」 (五言古詩)

 ア)蚯蚓 泥穴に在り

 出縮 常に盈つるに似たり

 龍 1)ワダカマれば亦 以てワダカマり

 龍 鳴けば亦 以て鳴く

 自ら謂ふ 龍と比ぶと

 恨むらくは 頭角の生ぜざるを

 イ)螻蟈 相助くるに似て

 草根 声を停むる無し

 ウ)聒乱 我 エ)ねず

 毎夕 但 明を欲す

 天地 且つ容畜す

 憎悪するは唯 人情


1)ワダカマれば=蟠れば。

「蟠る」は「とぐろを巻く、また、あぐらをかく」の意。音読みは「ハン、バン」。蟠拠(バンキョ=場所を占めて勢力を持つ、盤拠)、蟠踞(バンキョ=とぐろを巻いてうずくまる、はばをきかせる、竜蟠虎踞=リョウバンコキョ=)、蟠屈(ハンクツ=龍が長々ととぐろを巻く、気がふさいではればれしないさま)、蟠結(ハンケツ=複雑に入り組み、むすぼれる)、蟠桃(ハントウ=仙人が住む山中にあるという桃の木、三千年に一度しか実らない)、蟠蜿(ハンワン=ヘビや竜がうねうねととぐろを巻くさま)。

ア)蚯蚓=キュウイン。

ミミズ。取るに足らないもの。「蚯」も「蚓」も一字で「ミミズ」。蚓操(インソウ)という面白い言葉があり、「ミミズの生き方、つまり、ミミズが土を食らい水を飲むだけで、それ以上を求めないように、自分の分際、小さな生活の枠を守り、そこに甘んじる生き方、「孟子」に出典あり」。

イ)螻蟈=ロウカク。

ケラとアオガエル(ヒキガエル)。取るに足らないものの譬え。「螻」は「ケラ」、「蟈」は「アオガエル、ヒキガエル」(配当外)。螻蛄(ロウコ)も「ケラ」。注釈によると「礼記」月令に「孟夏の月、螻蟈鳴き、蚯蚓出づ」とあり、「螻蚓」(ロウイン)は「けらとみみずで、つまらぬもののたとえとなる」と出ています。

ウ)聒乱=カツラン。

かまびすしいこと、やかましいこと。「聒聒児」は「クツワムシ」。

エ)寐ねず=い・ねず。

「寐」は「ねる」。音読みは「ビ」。寐語(ビゴ=ねごと、たわごと)。反対後は「寤」(ゴ)で、寤寐思服(ゴビシフク=ねてもさめてもわすれられない)、夙興夜寐(シュクコウヤビ=朝早くから起きて夜遅くまで日夜仕事に精励すること、夙興夜寝=シュクコウヤシン=)、夙夜夢寐(シュクヤムビ=ねてもさめても終日絶えず)。

蚯 蚓 在 泥 穴
出 縮 常 似 盈
龍 蟠 亦 以 蟠
龍 鳴 亦 以 鳴
自 謂 与 龍 比
恨 不 頭 角 生
螻 蟈 似 相 助
草 根 無 停 声
聒 乱 我 不 寐
毎 夕 但 欲 明
天 地 且 容 畜
憎 悪 唯 人 情


(解釈)ミミズは泥の中の穴が棲家だ。出たかと思うと引っこむだけ。それでいて満ち足りた生活なのだろう。龍がとぐろを巻けば、それに合わせて自分も丸まるし、龍が鳴けば、それに合わせて鳴くのだ。龍と相並ぶ存在だと勝手に思っているが、惜しいことに龍と違うのは角が生えていないこと。その代わりオケラが声を合わせてでもいるのだろうか、草の根元でひっきりなしに鳴く。騒がしいことこの上なく私は眠りにつけない。毎晩、その中で夜明けが来てしまう。天も地もそんな彼らさえいとも簡単に受け入れるのだ。嫌がったり毛嫌いしたりしても無駄なこと。人間の我がままに過ぎないのだから。

何ともシュールレアリズムな雰囲気たっぷりの詩でしょうか。ミミズという小動物を主題に設定する斬新さ。取りたてて「捻り」もないのですが、龍と対比させたり、オケラとコントラストさせたり、いかにも諧謔性に富む作品です。最後には人間の世界を登場させ、己の不遇感を際立たせています。所詮、人間はミミズと同じ小動物ではないか。何を齷齪しているのか。自分をミミズだと思えれば、こんなに楽なことはないさ。

宇野氏の注釈(同テキストのP77)によると、「この詩の中では、自分の小さな見識に満足し、力のある者におもねり、つまらぬ者どうし結束して騒ぎ立てる小人物たちになぞらえていようか。末尾の二句は“そんな連中に心を乱されない、清濁併せ呑む度量を身につけよう”という願望のように読める。しかし全体としては、ユーモアを含む描写によって辛辣さがうすめられ、どこかとぼけた、ほほえましい雰囲気の詩になっている」とあり、慶暦5年(1045)、作者44歳の作とされるといいます。

北宋代の詩人と言えば欧陽脩や蘇東坡、王安石らが「超弩級」ですよね。梅堯臣は中国詩人の中でもそれほどメジャーな存在とは言えず、少なくとも日本人の人口に膾炙する詩は殆んどないでしょうね。やはり彼も官僚生活は不遇を喞っています。しかしながら、最も華やかな唐代から下り、写実的な宋詩の詩風に道を開いた。なんだか、これなら我々でも詠じられるのではないかと錯覚させてしまう卑近さが異彩を放っています。しかしながら、その根底にある思いの熱さは、これまでに見てきた詩人たちにも劣らないものがあります。小難しい漢詩を庶民の目線に置くことも可能にした梅堯臣。ほかにも面白い詩がたくさんあります。次回も味わうこととしましょう。
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