スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「史記」の大業成就へ空文を垂れん=司馬遷「報任少卿書」15

中国の名文を味わうシリーズは、司馬遷の「報任少卿書(任少卿に報ずるの書)」(明治書院の新書漢文大系・35「文選<文章篇>」)の15回目です。「史記」完成への熱き思いをほとばしらせた司馬遷。続いて、古来、不遇、挫折に負けずに大業を成就させた面々の名前を列ね、自分もその一員になるのだとの決意を滔滔と開陳します。


ア) 古者富貴にして名の磨滅するもの、イ)げて記す可からず。唯だ倜儻(テキトウ=卓越した人物)非常の人、称せられるるのみ。蓋し文王拘せられて周易をウ)演べ、仲尼1)ヤクせられて、春秋を作り、屈原放逐せられて、乃ち離騷を賦し、左丘明を失いて、エ)れ国語有り、孫子臏脚(ヒンキャク=足切りの刑)せられて、兵法脩列す、不韋蜀に遷り、世に呂覧を伝う、韓非秦に囚らえられて、説難孤憤あり、詩三百篇は、大厎賢聖発憤の為作する所なり。此の人は皆意に2)ウッケツ有りて、其の道を通ずるを得ず。故に往事を述べ、来者を思う。乃ち左丘の、目無く、孫子の足を断たれ、終に用うる可からざるが如きは、退きて3)ショサクを論じ、以て其の憤りをオ)べ、空文を垂れ、以て自らカ)さんと思う。

1) ヤクせられて=厄せられて。

「厄」は「つかえて進退に窮するさま、つかえ、行き詰まり」。厄災(ヤクサイ=災い、災難、災厄=サイヤク=)、。本文の「仲尼」とは孔子のことで、ここでいうのは所謂「陳蔡之厄」(チンサイノヤク)のこと。すなわち、孔子が諸国歴遊中に陳と蔡の国境付近で、兵に囲まれ、食料が足りずに苦労した「災厄」のことを言っています。「阨」に書き換え可能で、熟語では阨窮(ヤクキュウ=物事に行き詰まる、動きがとれず苦しむ、阨困=ヤッコン=)がある。ところが、これを「アイ」と読んだ場合は「せまい」の意になることに注意してください。阨巷(アイコウ=せまい通り、隘巷=アイコウ=)、阨塞(アイソク=せまくふさがっている、地勢が険しく要害の地であること)、阨僻(アイヘキ=せまくてすみに片寄っている)、阨路(アイロ=せまいみち、隘路=アイロ=)。

2) ウッケツ=鬱結。

心がむすぼれて、むしゃくしゃするさま。鬱乎(ウッコ=こんもりと一つになったさま)、鬱然(ウツゼン=気持ちが沈んではればれしないさま、ゆううつなさま)、鬱塞(ウッソク=こもりふさがる、気持ちがむすぼれてはればれしないこと、鬱積=ウッセキ=)、鬱滞(ウッタイ=心がふさがって動かないこと、物事が滞って動かないこと)、鬱紆(ウツウ=心がむすぼれて、気持ちがはればれしないさま、鬱悒=ウツユウ=)。

3) ショサク=書策。

書物。「策」は、字を書くのに用いられた竹の札。書冊(ショサツ)、書筴(ショサク)ともいう。

ア) 古者=いにしえ。

昔、昔は。「者」は、時をとくに示す場合に添える助辞。「コシャ」と読めば、昔の人の意。ここは漢文訓読用法として「いにしえ」と訓みたいところ。

イ) 勝げて=あ・げて。

「~不可勝…」と漢文訓読語法で用いて、「~はあげて…(す)べからず」あるいは「~は…(する)にたうべからず」とも訓んで、「~は(多過ぎて)…しきれない」と訳す。「あげて」は副詞用法。ここでは「(金持ちだけど名前が消えた例は)たくさんありすぎてとても書ききれない」ということ。

ウ) 演べ=の・べ。

「演べる」は「のべる」。口や、しぐさで展開させる。「演~」の熟語では、演繹(エンエキ=一般的な原理をおしのばして特殊の事理を導き出すこと)、演義(エンギ=小説の一形式、歴史上の事実をかざりたて、引きのばしたりしておもしろく書いたもの)、演漾(エンヨウ=波が広がってゆらゆらとただよう)。

エ) 厥れ=そ・れ。

「その」とも訓む。「其」と同系の遠称の指示詞。音読みは「ケツ」で「厥角稽首」(ケッカクケイシュ=ひたいをたれ頭を地につける、慎んで従うさま)、「厥初」(ケッショ=そのはじめ、最初)。

オ) 舒べ=の・べ。

「舒べる」は「のべる」。心中の思いをのべる。巻いたもの、かたまったものをのばし広げる。「ゆるい」「オモムロ」との意味もある。音読みは「ジョ」。旌旗巻舒(セイキケンジョ=軍旗を広げたり伸ばしたりすること、戦いが続くこと)、舒巻(ジョカン、ジョケン=時勢や物事に応じて進退すること、カンをのぶ=書物を開く)、舒雁(ジョガン=ガチョウの別名)、舒緩(ジョカン=ゆったりしていて気持ちがのびやかなこと)、舒徐(ジョジョ=静かでゆったりしたさま)、舒嘯(ジョショウ=のんびりと詩などを口ずさむ、口笛を吹く)、舒情(ジョジョウ=思いを述べる)、舒遅(ジョチ=態度などがゆったりとして落ち着いているさま)、舒暢(ジョチョウ=心をのびのびとゆったりさせること)、舒展(ジョテン=手足などをゆったりとのばす)、舒放(ジョホウ=のびやかで、ゆったりしていること)。

カ) 見さん=あらわ・さん。

「見れる」は「あらわれる」。外に見えてくる、おもてに出る。見説は「みるならく、きくならく、いうならく」と訓読して「世間でいうところによれば」と訳す。


文王、仲尼、屈原、左丘、孫子、不韋、韓非、詩三百篇…彼らは皆、災難に遭いながらもそれぞれ後世にすぐれた作品を残しています。確実に自分がいたことの証を刻みつけた。「左丘の、目無く、孫子の足を断たれ」。このような普通なら役に立たず、死に至るしかないようなことも書き記して未来を思い描いた。表舞台から身を退けて、議論を発し、憂憤の思いを打ち明け、自己の文章を書いて、その存在感を世に示そうとしたのです。司馬遷の味わった屈辱も、史記という大輪の花を咲かせるための単なる肥やしにすぎなかったのでしょうね。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

profile

char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

calendar
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
recent entry
recent comment
category
monthly archive
search form
RSS links
links
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。