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わが文彩が日の目を見ぬうちは宦官でも生き抜く!=司馬遷「報任少卿書」14

中国の名文を味わうシリーズは、司馬遷の「報任少卿書(任少卿に報ずるの書)」(明治書院の新書漢文大系・35「文選<文章篇>」)の14回目です。いよいよ司馬遷の本心が開陳される場面の登場です。この「書」のヤマ場と言っていいでしょう。古の宰相らをも扱き下ろしながら、自らを貶め、卑下に卑下を重ねてきたのですが、むろん、本心ではありません。ここからのくだりは、その裏に隠された熱き思いが音を立てて迸ります。

夫れ人の情、生を貪り死を悪み、父母を念い、妻子を顧みざる莫し。義理に激する者に至りては然らず。乃ち已むを得ざる所有ればなり。今僕不幸にして、早く父母を失い、兄弟の親無く、独身孤立す。少卿、僕の妻子に於けるを視るに何如ぞや。且つ勇者は必ずしも節に死せず、1)キョウフも義を慕う、何れの処にか勉めざらん。僕は2)キョウダにして苟しくも活きんと欲すと雖も、亦頗る去就の分を識る。何ぞ自ら3)ルイセツの辱めに4)チンデキするに至らんや。且つ夫れ5)ソウカク6)ヒショウも、由お能く7)インケツす。況んや僕の已むを得ざるをや。8)インニンして苟くも活き、糞土の中に幽せられて辞せざる所以の者は、私心の、尽くさざる所有り、9)ヒロウにして世を没し、文彩の、後世に表れざるを恨めばなり。

 1) キョウフ=怯夫。

  臆病者。「怯」は「おびえる」。怯臆(キョウオク=おそれてしりごみする)、怯懾(おじけおそれる)、怯惰(キョウダ=おくびょうで、怠け者である)。「ひるむ」と訓むこともある。

 2) キョウダ=怯懦。

  おくびょうで、いくじがない。怯弱(キョウジャク)ともいう。「懦」は「よわい」。頑廉懦立(ガンレンダリツ=高潔な人に感化されて、良い方向に向かうこと)、懦怯(ダキョウ=おくびょうで、ひきょうである)、懦弱(ダジャク=気が弱い、また、いくじがない、懦軟=ダナン=)、懦夫(ダフ=気の弱い男、おくびょうで意気地のない男)。

 3) ルイセツ=縲紲。

  罪人を縛る長い縄。まて、転じて、牢屋を指す。縲絏(ルイセツ)とも書く。

 4) チンデキ=沈溺。

  水におぼれること、苦しみの中にいること、ある習慣にとらわれること。沈湎(チンメン)は「酒色におぼれること」、沈淪(チンリン)は「おちぶれること、零落すること」。「溺」は「おぼれる」。溺愛(デキアイ=むやみにかわいがる)、溺死(デキシ=水死)、溺職(デキショク=任務に堪えない、ショクにおぼる)。「おぼらす」との和訓もあり。

 5) ソウカク=臧獲。

  ボディーガードの役をする、体格のよい男のどれい。「臧穀」(ソウコク)ともいう。「獲」は「とらえたどれい」、「穀」は「かっちりしたもののたとえ」。「臧」は「よい」とも訓み、熟語は「臧否」(ソウヒ=物事のよしあし)、臧匿(ソウトク=人をかくまう)。

 6) ヒショウ=婢妾。

  召使の女と、側妾。仕えている身分の卑しい女のこと。「婢」は「はしため」とも訓み、熟語は「婢子」(ヒシ=わらわ、身分の卑しい女、下女、側妾)、「婢僕」(ヒボク=下女と下男、婢僮=ヒドウ=)、「婢女」(ヒジョ=召使の女)。

 7) インケツ=引決。

  責任を負って自殺すること。引訣(インケツ)、引分(インブン)とも。「引~」の熟語では、引咎(インキュウ=責任を負う、引責)、引伸(インシン=文字のもとの意味を転化させて別の意味に用いること)、引喩(インユ、たとえをひく=たとえを引用する)、引領(インリョウ、くびをひく=待ち望む)。

 8) インニン=隠忍。

  心中に隠してじっとがまんしていること。隠忍自重とくれば浮かぶでしょうが「インニン」だけでこの漢字が浮かぶかどうかがポイントです。「隠~」の熟語では、隠晦(インカイ=姿をくらます)、隠括(インカツ=直して正しくする)、隠几(インキ=机によりかかる)、隠宮(インキュウ=宮刑)、隠度(インタク=人に知られないようにひそかにはかりごとをめぐらす)、隠遯(イントン=煩わしい世間との関係を絶ち静かに暮らす)、隠憫(インビン=その身になって心配し憐れむ)、隠耀(インヨウ=光を隠してあらわさない、優れた人物が才能や人がらを表に出さないたとえ)、隠淪(インリン=仙人のこと)。

 9) ヒロウ=鄙陋。

  いやしくて見聞が狭い。「鄙」は「ひな」「いやしい」とも訓む。熟語は多いですが、「鄙儒」(ヒジュ=見識の狭い学者、俗儒=ゾクジュ=、腐儒=フジュ=)、鄙吝(ヒリン=心がいやしく度量がせまい、けち)、鄙穢(ヒワイ=ことばや文章がいやしくて下品である)はきっちりとものにしておきましょう。「陋」は「せまい」。陋儒(ロウジュ=見識の狭いつまらない学者)、陋薄(ロウハク=物がそまつなこと)。


最後のくだりにある「隠忍して苟くも活き、糞土の中に幽せられて辞せざる所以の者は、私心の、尽くさざる所有り、鄙陋にして世を没し、文彩の、後世に表れざるを恨めばなり」を解釈すると、「耐え難い気持ちを抑えて、からくも命を長らえて、汚泥の中に身を貶としても我慢しているのは、わたしの、心の思いが尽くされることのないまま永遠にわたしの名が、世に埋もれ、文章が後世に伝えられないのを残念に思うからであります」。これこそが司馬遷の本心なのです。祖先を汚した「恥」を雪ぐため自決することもできた。そんな勇気がないわけでもない。家族とておらず一人ぼっちの身の上でもある。自分のしたことに悔いはないし間違いもない。死んだ方が良かったかもしれない。それでもわたしには「史記」をまとめ通さなければならないという使命がある。これをやり遂げずば死んでも死にきれないのだ。罪に服して、自決もせず、宦官になり下がってでも「生」にこだわり通したわけはそれに尽きる。司馬遷の魂魄が弾けてバーストした瞬間と言っていいでしょう。最後の「文彩」とは「史記」を指す。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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