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龍馬伝 「しかし」は土佐弁で「ケンドぉ~」?=司馬遷「報任少卿書」13

中国の名文を味わうシリーズは、司馬遷の「報任少卿書(任少卿に報ずるの書)」(明治書院の新書漢文大系・35「文選<文章篇>」)の13回目です。ここからは古今を振り返り、王侯将相であるのに不本意ながら罪を得て消えていった人物の回顧録。秦の始皇帝に仕えた李斯…弊blogでお馴染みの名前も見えます。無論、自分もその一人に名を列ねるのだと考える司馬遷です。


且つ西伯は、伯なるも、羑里(ユウリ)に拘せられる。李斯は相なるも、五刑に具せらる。淮陰は王なるも、械を陳に受く。彭越、張敖は、1)ナンメンして孤と称するも、獄に繫がれ罪にア)る。絳侯は諸呂を誅して、権は五伯を傾くるも、2)セイシツに囚らえらる。魏其は、大将なるも、3)シャイを衣て、三木に関せらる。季布は朱家のイ)鉗奴と為る。灌夫は辱めを居室に受く。此の人、皆身は王侯将相に至り、声は隣国に聞こゆ。罪至り罔加えらるるに及び、引決自裁する能わず、4)ジンアイの中に在り。古今一体、安くんぞ其の辱められざるに在らんや。此に由りて之を言えば、5)ユウキョウは勢なり、強弱は、形なること、審らかなり。何ぞ怪しむに足らんや。夫れ人早く自ら縄墨の外に裁する能わず、以てウ)く6)リョウチして鞭箠の間に至る。乃ち節を引かんと欲するも、斯れ亦遠からずや。古人の、大夫に刑を施すをエ)かる所以の者は、殆ど此が為なり。

 1) ナンメン=南面。

  君主の位につくこと。その座席が南向きになっていることからいう。論語の「雍也」に「子曰、雍也、可使南面」がある。そのあとの「孤」は、「諸侯や国王が自分を謙遜して言う言葉、わたし」。

 2) セイシツ=請室。

  牢獄のこと。罪を待つへやの意。

 3) シャイ=赭衣。

  罪人が着るあか色の衣服。また、罪人をさす。「赭」は「あか」「あかつち」と訓む。赭堊(シャアク=あか土と白土)、赭汗(シャカン=衣服が汗であか黄色くなる、名馬を出すという、あかいあせ)、赭山(シャザン=草木が生えていないはだかの山、はげ山)、赭石(シャセキ=あかいいろの石)、赭土(シャド=鉄分を含んだ赤色の土)、赭鞭(シャベン=あかい色のむち、昔神農氏が薬草を見つけるために、これでいろいろな草をうって試したという、赭鞭家とは本草学者のこと)、赭面(シャメン=顔をあかく塗る、唐代・チベットの風俗、あからがお=赭顔シャガン)。

 4) ジンアイ=塵埃。

  ちりとほこり、転じて、この世のけがれ、俗世間をさす。塵世、塵界、塵境、塵俗、塵寰、塵土ともいう。

 5) ユウキョウ=勇怯。

  勇ましさと臆病さ。

 6) リョウチ=陵遅。

  物事が次第に衰えること。また、人の手足を切ってから死に至らしめる刑罰。ここでは前者の意味。しだいに気力がなえるさまを言う。陵夷(リョウイ)ともいう。

 ア) 抵る=いた・る。

  値打ちがそれだけに相当する。ここでは抵罪(テイザイ、つみにいたる=罪にふれる、罪になる)と成句と見るべきですね。

 イ) 鉗奴=ケンド。

  くびかせをはめられた囚人。鉗子(ケンシ)、鉗徒(ケント)ともいう。これは難問でしょう。絶対に知らないと「カンド」と読んでしまうでしょう。漢検試験本番でも狙われること必定でしょう。なんとなれば、鉗子(カンシ=手術用外科用具)、鉗口(カンコウ・ケンコウ=口を閉じて物を言わない)のように「カン」と素直に読む例もあるからです。しかし、通常は「ケン」です。鉗赭(ケンシャ=くびかせと、罪人の着る赤い衣、転じて、罪人のこと)、鉗梏(ケンコク=くびかせと手かせで、罪人を束縛すること、転じて、束縛すること)、鉗制(ケンセイ=力でおさえつけて、自由にさせない)。「鉗」は「くびかせ」とも訓み、「箝」「頸枷」「首枷」も同義です。

 ウ) 稍く=ようや・く。

  少しずつ、だんだんと。ここは「やや」とは訓まない。音読みは「ショウ」。悄悄(ショウショウ=だんだん、少しずつ)、稍食(ショウショク=上から官吏に、時日をおって少しずつ給与される米。役人の扶持米)、稍稟(ショウリン=少しずつ支給される俸禄)。

 エ) 重かる=はば・かる。

  やや特殊な表外訓み。大切な物として敬い扱うという意味の「重んずる」から転じた用例でしょう。尊重の「重」も実はこの意味で、「うやまいはばかる」。


西伯文王=中国、周王朝の始祖武王の父。姓は姫(キ)、名は昌。西伯と称する。殷代末期に、太公望など賢士を集め、渭水盆地を平定して周の基礎を築いた。古代の聖王の模範とされる。

李斯=[?~前210]中国、秦の政治家。楚の上蔡の人。荀子に学び、始皇帝に仕えて丞相となり、郡県制施行、焚書坑儒、文字・度量衡の統一などを進言した。始皇帝の死後、讒言により刑死。

淮陰王=韓信、彭越、張敖、絳侯、魏其、季布、灌夫はいずれも漢代の有名人です。それぞれご自分で由来を調べてみてくださいな。

いずれにせよ、司馬遷はこうした罪に陥り不本意ながら刑罰を受けた名将たちに敬意を表しながらも、罪を得てしまった時点で負けだと言っています。それは自分自身に対する自虐プレーの変形ヴァージョンなのです。
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2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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