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肝腎なものがない宦人が生き延びた理由とは?=司馬遷「報任少卿書」1

前漢の司馬遷(約前145あるいは135~?)は、匈奴に投降した李陵(その過程は中島敦の「李陵」が詳しい)を弁護したため投獄され、宮刑に処せられました。出獄後、父である司馬談の業を継いで歴史書「史記」を完成させました。“男気”のある歴史家ですが、彼も讒言に陥れられた恥辱を「反骨のバネ」としたのです。そんな司馬遷が友人の任安(字は小卿)からもらった手紙の返書が「報任少卿書」です。そこには、宮刑という男として最も恥かしい刑罰を受けたのに宦官として生き延びた「理由」が熱っぽく認められています。

弊blogの中国の名文シリーズは、新たに司馬遷の「報任少卿書」を味わうことといたします。これも「文選<文章篇>」(明治書院の新書漢文大系・35)を底本といたします。「志」があるのに足を引っ張られ、朽ちて行く人間の何と多いことか。「身体」を変えられても貫徹した男の心意気をじっくりと噛み締め、見習うべき点は見習おうではありませんか。

太史公1)ギュウバソウ司馬遷、再拝して言う、少卿足下、ア)曩者書を賜るを辱くし、教うるに物に接するに順にして、賢を進め士を進むるを務めと為すを以てす。意気懃懃懇懇として、僕の相師とせず、流俗の人の言を用うるが而くするを望むが若し。僕敢えて此くの如きに非ざるなり。僕2)ヒドなりと雖も、亦イ)に長者の遺風を側聞す。ウ)だ自らエ)以為らく、身オ)なわれて3)ワイに処り、動きては尤められ、益せんと欲して反って損す。是を以て独り4)ウツユウとして誰と与に語げん。諺に曰く、誰か為に之を為し、孰をかして之を聴かしめんや、と。蓋し鍾子期死して、伯牙は終身復た琴を鼓せず、何となれば則ち士は己を知る者の為に用き、女は己をカ)ぶ者の為にキ)づくる。僕の若きは大質已にク)虧欠す。才は隋和を懐き、行いは由夷の若しと雖も、終に以て栄と為す可からず、ケ)だ以て笑われて自らコ)すに足るのみ。

1)ギュウバソウ=牛馬走。自分のことをへりくだっていう言葉。牛馬の世話をする下僕の意味ですが、ややユニークな表現ですね。ここでは、太史公にお仕えする家来といった意味でしょうか。

2)ヒド=罷駑。役立たず。「罷」は「つかれる」とも訓む。「疲れ切った痩せ馬」という意味から転じた。

3)ワイ=穢。ごみごみした雑草。きたないもの。濁世にたとえる。穢史(ワイシ)は「事実を歪曲した汚れた歴史のこと」で、とくに「魏史」を指すことがある。

4)ウツユウ=鬱悒。心がむすぼれて気持ちがはればれしないさま。鬱紆(ウツウ)ともいう。「いぶせし」という古語を思い浮かべます。

ア)曩者=さきに。「ドウシャ」とも読む。さきごろ。「者」は、時を表すことばにつける助辞。曩昔(ドウセキ)、曩時(ドウジ)、曩日(ドウジツ)ともいう。

イ) 嘗に=つね・に。いつも。漸特殊な訓みです。

ウ)顧だ=た・だ。単に。これも特殊な表外訓み。慣れないとなかなか読めないです。

エ)以為らく=おもえ・らく。「以為」で「おもえらく」と訓読する。以謂とも書く。これまで何度も登場してきました。「思うことには、考えてみると」などと訳す。

オ)残なわれ=そこ・なわれ。「残なう」は「そこなう」。汚すこと。「そこなう」はほかに、「傷なう、剏なう、害なう、戔なう、毒なう、蠧なう、蠱なう、賊なう、銷なう」などもあります。

カ)説ぶ=よろこ・ぶ。表外訓み。心のしこりがとれてよろこぶ。この場合の音は「エツ」。説懌(エツエキ=しこりがほぐれてよろこぶ、説喜=エッキ=)、説服(エップク=よろこんで服従する)、説諭(エツユ=よろこびたのしむ)、説予(エツユ=よろこびたのしむ)。

キ)容=かたち。顔のこと。表外訓み。「容づくる」で「化粧すること」。

ク)虧欠=キケツ。物事が完全でないこと。ここでは司馬遷の睾丸がないこと、男子として不完全な状態であることをいう。「虧」は「かける」。虧損(キソン=法令が不完全であること、笊法)。

ケ)適だ=た・だ。漢文訓読語法で「ただ~のみ」と用いて、「ただ~だけ」「わずかに~」と限定の意味で訳す。

コ)点す=けが・す。特別な表外訓み。汚点となること。「けがす」はほかに、「瀆す、渫す、衊す、黷す、穢す」などがあります。この前にある「栄と為す」の反対の意です。



終盤で登場する「鍾子期」と「伯牙」は、「伯牙絶絃」の故事でお馴染みの二人。春秋時代の御話で、琴の名手である伯牙が友人の鍾子期が死んだのを契機として、もう自分の音楽を理解してくれる人物がこの世からいなくなったことを嘆き悲しみ、琴の弦を切って二度と琴を弾くことがなかったというものです。続けて司馬遷は、「女が化粧するのも自分を愛でてくれる人がいるからだ」などと、聊か「男尊女卑チック」な喩えも持ち出しています。すなわち、「玉のない自分は男子としては出世もできずに、自分を理解してくれる人がいない現状では何を言っても犬の遠吠えでしかないのだ。たとえどんなに才能に溢れ高潔であろうとも“疵物”は人の嘲笑を買うばかりだ」と、やや自虐的な諦めの気持ちを代弁しています。

「隋和」(ズイカ)とは、淮南子や韓非子に出てくる「和氏之璧」「隋珠和璧」の故事でお馴染みの言葉。この世にめったにない宝物、この世の至宝を喩えるものです。また、「由夷」とは、高潔で清廉潔白の人物を意味する「許由巣父」「伯夷叔斉」の故事を踏まえた言い方。いずれにしても、司馬遷は遜りつつも、自らは才能があって高潔であるのだと矜誇しているのです。

ああ、それなのに…肝腎のあるべきものがない、わたしは宦人か…と物狂おしいほどに心の裏で叫んでいるのでしょうね。しかしながら、司馬遷がそんな世から与えられた辱めにも堪えることができたのはなぜでしょうか?この手紙には司馬遷の魂魄が乗り移って雄叫びを上げています。この文章を味わうことは、世の無情と勇志の相剋の硲で生きなければならないわれわれにとっても人生の手引きを得ることとなるでしょう。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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