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測り難し!安易なる人と人の「距離感」=屈原「離騒経」17

中国の名文・美文を噛み締めるシリーズは、憂国の大詩人、屈原の「離騒経」(明治書院「新書漢文大系35 文選<文章篇>」)の17回目です。同書によると、第十三段は「天へと昇りはじめるものの、ふと下の故郷が目に入る。従者は悲しみ、馬も故郷を恋い、前に進まない」。今回はその前半です。いよいよ、旅に出る屈原。意気は揚々としています。しかし、心の片隅では不安も頭を擡げる。完全には迷いを払拭しかねています。

霊氛既に余に告ぐるに吉占を以てす、吉日を歴(えら)んで吾将に行かんとす。

瓊枝を折りて以て1)シュウと為し、瓊「麻+非+灬」(ケイビ=玉の屑)をア)げて以て粻(チョウ=乾し飯)と為す。

余が為に飛竜に駕し、瑤象を雑えて以て車と為す。

何ぞ離心の同じかる可き、吾将に遠逝して以て自らイ)けんとす。

邅(めぐ)り(=巡り)て吾夫の崑崙に道すれば、路脩遠にして以て周流す。

雲霓の晻藹(アンアイ=火の光が雲に覆われてくらいさま)たるを揚げ、2)ギョクランの3)シュウシュウたるを鳴らす。

朝に軔(ジン=車止め)を天津に発し、夕べに余西極に至る。

鳳凰は翼(つつし)しみて其れ旂(キ=はた)を承(ささ)げ、高く翺翔(コウショウ=鳥が高く自由に飛び回る)して之れ翼翼たり。

忽ち吾此の流沙に行き、赤水に遵いて4)ヨウヨす。

1)シュウ=羞。細かく引き裂いた肉。転じて、ごちそう。「脩」と同義。時羞(ジシュウ=その季節の食べ物)、「すすめる」の訓みもあります。この場合もごちそうをすすめるの意。羞饌(シュウセン=ごちそうを供えて、すすめる、羞膳=シュウゼン=)。

2)ギョクラン=玉鸞。玉で鸞(鳳凰に似た鳥)の形につくり、天子の車に付けたすず。転じて、天子の車そのものを指す。ここでは「すず」。

3)シュウシュウ=啾啾。小さな声を出す。鳥・虫・獣や女・子供・亡霊などが細い声で鳴く声の形容。哀鳴啾啾(アイメイシュウシュウ)や鬼哭啾啾(キコクシュウシュウ)でお馴染み。

4)ヨウヨ=容与。ゆとりがあって、静かなさま。精神にゆとりがあって、自由であるさま。この場合の「容」は「ゆとりがあるさま」。この言葉は是非とも覚えたない。本番でも出そうです。

ア)精げて=しら・げて。「精げる」は「しらげる」。表外和訓。玄米をついて白くする。

イ)疏けん=しりぞ・けん。「疏ける」は「しりぞける」。漸特殊な訓み。「疎」に書き換え可能ですが、「うとんじる」からくる宛字訓みっぽいです。上疏(ジョウソ=意見書を奉る)があるように「一条ずつわけて意見をのべた上奏文」という意味もあります。



(解釈)霊氛が先にわたしによい占いを告げていたので、わたしはめでたい日柄を選んで旅に出発しようと思った。玉の枝を折り取って乾し肉とし、玉の屑を搗いて乾し飯として旅の準備を整えた。わたしのために飛竜に車を曳かせ、玉石と象牙とで美しい車をつくる。ひとたび離れ背いた心が、どうして一緒に合うことができよう。わたしは今はもう遠くに旅して、自ら逃れ遠ざかることにしよう。方向を巡らして、わたしはかの崑崙山の方へと進んでいくと、行く手の路は長く遠くてどこまでも回り巡っている。日を蔽って棚引く雲霓の旗を揚げ、白玉造りの鸞鳥の鈴はしゃんしゃんとさやかに鳴る。朝に東の方天の川の渡し場から車を出発させ、夕方にはわたしは大地の西の果てに着いた。鳳凰はうやうやしく竜蛇の旗を捧げ持ち、天高く飛びかかって羽ばたいてゆく。忽ちのうちにわたしはこの流沙の地に行き、崑崙より流れ出る赤水に沿ってゆったりとさまよい遊ぶ。

「何ぞ離心の同じかる可き、吾将に遠逝して以て自ら疏けんとす」。ひとたび離れた心は二度とはあうことはない。もう元の関係には戻れないのだ。覆水盆に返らず。人と人の気持ちのつながりの怖さを言い表しています。君主を諫めた自分に非があるのか。それとも、自分に対する讒言を聴き入れた君主がどうしようもないのか。そのどちらでもないのです。いや、そのどちらもが相俟って、こうした結果を引き起こしたのです。人間関係という脆弱な基盤に於いては、どちらかだけが悪いということはあり得ない。つまり、結局別れることになるというのは両方の相性が悪かったということなのです。長い人生の中で短い付き合いではあったが、未来永劫の永続たる時間を共有することはできなかった。それは仕方のないこと。別の関係を模索するのが得策だ。

しかし、また同じようなリスクを背負うことでもある。したがって、探し求める相手は以前とは違うはず。懲羹吹膾――。痛い目に遭って一度懲りた人間は、なかなか自分に相応しい人と出会う確率は低くなりますね。屈原の旅もそうした困難を暗示させるものです。旅路の支度が大袈裟であるほど、それは寧ろ不安の裏返しなのです。人間恐怖症――。人間は一つの存在であり続けることはないとだけは肝に銘じておきたいところ。完全否定する必要もないが、完全肯定するのも累卵の危と言えるでしょう。その微妙な「距離感」を一早く測り、構築できればリスクを脱することができます。結局損するのは自分ですから。あれれ?何書いているか分かんなくなりましたわ。あくまで屈原のことですよ~。本日はこの辺で。。。。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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