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自分以上に他人に厳しい高潔の士=屈原「離騒経」1

屈原は古代中国、紀元前4~3世紀(前340~前278?)の伝説の詩人です。まさに春秋戦国時代の末期、楚国の華胄の家に生まれ、時の帝王に仕え出世したものの、帝の寵幸ぶりを妬んだ政敵の讒言に遭い、いまの洞庭湖あたりに流竄され彷徨。失意のうちに身を汨羅江(ベキラコウ=現在の湖南省)に投じました。「楚辞」(ソジ)と呼ばれる朗誦体の詩は屈原の創始とされ、後世の詩人に多大な影響を与えている…(以上、岩波文庫「中国名詩選・上」P112参照)。後世、「汨羅之鬼」(ベキラのキ)という成句にもなっており、水屍体を意味する代名詞でもあります。漢検1級受検者であるならお馴染みの四字熟語でしょう。

「文選<文章篇>」(明治書院の新書漢文大系シリーズ35)には、劈頭を飾る作品として屈原の「離騒経」が採録されています。屈原もまた、憂国の人でした。「騒」というのは、憂愁の情を詠った文体のことで、屈原の「離騒」が濫觴です。文選では「経」と尊敬の念が込められて呼んでいます。それほどにこの「離騒経」は中国文学の源流として古来、燦然たる輝きを放っているのです。

同書(P32~33)によると、「離騒」は、「理想を実現しようとして挫折した悲哀と憂国の情とを融合させ、社会人や人心についての透徹した洞察に富み、強い教訓性を持つ作品である。悲しみ・苦しみ・怒り・憂いなどの様々な感情を一つ溶かし込み、人の心を強く揺さぶる。また、善人や賢者を香草に喩え、悪人や愚者を臭いの悪い草に喩える手法や、賢明な君主を求める情を、男性が理想の女性を求める情に借りて表現したりするなどの独特な表現を持つ。楚の国力が強大であった時の爛熟した南方文化が凝縮されている」との解説が見えます。文章が技巧的であることが特徴のようです。

弊blogの中国名文・美文シリーズでは、讒言に遭い失意のどん底に落ちた悲劇の大詩人の“魂の迸り”を味わいたいと思います。どちらかというと美文の範疇に入るでしょうか。ただ、聊か長めの作品ですので一瀉千里に終えるわけにはまいりません。ゆっくりとじっくりと時間をかけて駑馬十駕の体で進めることをご容赦ください。3月中に終わればラッキーといったイメージでしょうか。「漢字問題」という形式は墨守致しますが、その解説部分はやや簡略化するかもしれません。否、しないかもしれません。その日その日の気分で、日によって「斑」となるかもしれません。3月って結構忙しいんですよね。毎日更新も難しいかも。気長に、それでも、お時間があれば覗いてみてください。

まずは「第1段」。明治書院には「自分の出自と修養について述べ、王を補佐せんとの志を述べる」とあります。

帝高陽の1)ビョウエイ、朕が皇考を伯庸と曰う。

摂堤2)モウスウに貞しく、惟れア)庚寅に吾以て降れり。

皇覧て余を初度に揆り、肇めて余に錫(たま)うに嘉名を以てす。

余を名づけて正則と曰い、余を字して零均と曰う。

紛として吾既に此の内美有り、又之を重ぬるに脩態(シュウタイ)を以てせり。

江離と辟芷(ヘキシ)とを扈(こうむ)り、秋蘭を紉(つな)いで以て佩と為す。

汨(イツ)として余将に及ばざらんとするが如く、年歳の吾と与にせざるを恐る。

朝には「阝+比」(おか)の木蘭をイ)り、夕べには洲の宿莽をウ)る。

日月は忽として其れエ)まらず、春と秋と其れ代序す。

草木の零落するを惟い、美人の遅暮ならんことを恐る。

壮を撫して穢を棄てず、何ぞ其れ此の度を改めざる。

3)キキに乗りて以て4)チテイし、来れ吾夫の5)センロを導かん。

1)ビョウエイ=苗裔。 末裔、血筋のつながった遠い子孫。「苗」は「ちすじ」。「裔」は「すえ」「(着物の)すそ」。苗嗣(ビョウシ)、苗胤(ビョウイン)、苗緒(ビョウショ)ともいう。 

2)モウスウ=孟陬。 陰暦正月。陬月(スウゲツ)ともいう。「孟」は「季節や時代のはじめ」。「陬」は「すみ」「くま」。孔子の生まれた場所でもある。

3)キキ=騏驥。 千里を走る名馬。駿馬。騏(キリン)ともいう。

4)チテイ=馳騁。 馬を走らせること。遠くまで走り回ること。

5)センロ=先路。 針路。進むべき道。線路ではないので要注意。

ア)庚寅=コウイン。かのえとら。 

イ)搴り=と・り。「搴る」は「とる」。 音読みは「ケン」。

ウ)攬り=と・り。「攬る」は「とる」。 音読みは「ラン」。

エ)淹まらず=とど・まらず。「淹まる」は「とどまる」。 「淹」は音読みが「エン」。淹留(エンリュウ=滞って前に進まないこと、淹久=エンキュウ=、淹泊=エンパク=)、淹月(エンゲツ=期間が一か月にわたること)、淹通(エンツウ=知識や学問があって広く物事に通じている、淹貫=エンカン=、淹該=エンガイ=)。

屈原曰く、わが閥は高陽帝(センギョク)の遠い子孫である。正則が名、字は零均。才色兼備の高潔の士を自負して、修練に修練を重ねた日を送り、いつの日か帝のそばにお仕えしようと心に決めていた。ところが、あなたさまは依怙贔屓が過ぎ、愚者を傍に侍らされている。その態度をお改めなさらないのなら、いまわれが馳せ参じて先導役としてお仕えするときが来たのであろうぞ。

孤高の人たる屈原の頑固さが窺える冒頭の一節。自信家でもあった彼は、自分に厳しく他人にもより以上に厳しい人でした。世の中のスタンダードからはどうしても浮いてしまうのは避けられないことは必定です。それでも己の進むべき道を曲げずに貫く意地を見せる。少し長いシリーズですが飽きずにお付き合いください。読後には新たな世界が待っているはずです。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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