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信ずる道を貫き通した結果に悔いはなし=韓愈「仏骨を論ずる表」9・完

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の9回目、最終回です。仏教を扱き下ろしているうちに、自らの言辞、論理に酔ってしまった韓愈。皇帝の宸念を忖度することも忘れて、不浄なる「仏の骨」を燃やしてしまうように上奏します。そして、それは自らの運命を大きく変遷させることとなるのです。

乞う、此の骨を以て、之を有司に付し、ア)を水火に投じ、永く根本を絶ち、天下の疑いを断ち、後代の惑いを絶ち、天下の人をして、大聖人の作為する所、尋常を出ずること万万なるを知らしめん。豈に盛んならずや。豈に快ならずや。仏如し霊有り、能くイ)禍祟を作し、凡そ1)オウキュウ有らば、宜しく臣の身に加うべし。上天2)カンリンす。臣怨悔せず。感激3)コンコンの至りにウ)うる無し。謹んで表を奉りて以聞す。

1)オウキュウ=殃咎。わざわいと、とがめ。「殃」は「わざわい」「そこなう」と訓む。禍殃(カオウ=殃禍、わざわい、災難、殃害=オウガイ=)、池魚之殃(チギョのわざわい=罪もないのにその巻き添えに遭うこと)。「咎」は「とがめ」「とがめる」と訓む。咎殃(キュウオウ=さしさわり、災難)、咎悔(キュウカイ=とがめと後悔、さしつかえ)、咎罪(キュウザイ=罪、過失、とがめる、咎過=キュウカ=、咎愆=キュウケン=)、咎徴(キュウチョウ=天のとがめのきざし、災いのしるし)、咎犯(キュウハン=春秋時代、晋の大夫)。

2)カンリン=鑒臨。かがみに照らしよく調べて臨むこと。

3)コンコン=懇悃。ねんごろで真心があること。赤心。やや難語です。「悃」は「まこと」。愚悃(グコン=馬鹿正直、自分の真心の謙遜語)、悃願(コンガン=心をこめてのぞみ願う、懇願)、悃悃(コンコン=ねんごろなさま)。「まこと」はほかに、「允、亶、孚、忱、恂、悾、惇、愨、款、洵、衷、諄、諒、諦、慎」であり、本番でも訓み問題で頻出です。要チェック。

4)諸=これ。近称の指示代名詞。表外訓み。「これ」はほかに、「此、之、是、伊、惟、斯、焉、維、這」などがあります。

5)禍祟=カスイ。わざわいとたたり。「祟」(鬼神が人に得体のしれない災いを及ぼすこと、また、その災い)の音読み熟語は非常に珍しい用例と言えるでしょう。慣れていないからなかなか「スイ」とは読みづらい。しかし「たたり」は必須、是非とも書けるように。「崇」(スウ)と似ているので努々間違えないように。二段目の「山」(もちろん「出」の一部として)と「宀」の微妙な差異です。中国でも間違いやすいようで漢字源にも「参考」とあって、「崇(スウ)と混同しやすい。祟は『出+示』。崇は『山+宗』で『たかい・たっとぶ』などの意味を持つ字」とある。

6)任うる=た・うる。「任える」は「たえる」。重みや仕事を引き受けてがまんすること。表外訓みですがやや特殊。

明治書院の「背景」(P114)によると、「この表を読んだ憲宗は大いに怒り、韓愈に死を申し渡そうとしたが、側近の斐度、崔群が弁明してくれたという(『新唐書』韓愈伝)。果たして、正月14日、韓愈は潮州刺史に任ぜられる。これは左遷ならぬ流罪であり、韓愈は早々に一人、南へ旅立たねばならなかった」とあります。

当然の帰結でしょう。本来なら死罪のところを、周囲の執り成しで辛くも「恩赦」が下った格好です。韓愈も半ば「確信犯」的だったかも知れません。恐らく、憲宗皇帝の日ごろの振る舞いは仏教信奉に限らず、あらゆる点で儒家の彼にとって相容れない部分が目立っていたのではないでしょうか。でなければ、かくも果敢な内容を、筆鋒鋭く突くことはしなかったような気がします。

時の皇帝の“キャラ”によって政治はいとも簡単に翻るのです。しかしながら、歴史は皮肉な物で憲宗皇帝はこの翌年、元和15年(820)正月27日、部下の宦官に毒を盛られ世を去ります。そして、韓愈の身を挺した「諫言」は後に、中国宗教弾圧史上でも名高い「会昌の弾圧」(845年)へと繋がり、実を結びます。そのことは、最後の遣唐使のメンバーの一人、円仁法師の「入唐弘法巡礼行記(ニットウグホウジュンレイコウキ)」に詳しいことが書かれています(エドウィン・O・ライシャワー氏の「円仁 唐代中国への旅」=講談社学術文庫=のP341を参照)。円仁は当時、遣唐使の同僚らが帰国したのをよそに一人だけ、中国本土に残り、悟りの旅をしていました。ちょうどその時に仏教の大弾圧の模様を目撃するとともに、自身も弾圧の一端を体感しています。

ライシャワー氏の同書には韓愈の諫言について次のように書かれています。

……はっきりと仏教に対する知識階級の反撃を惹起する最初の導火線となったのである。そして、その動きは、11世紀と12世紀の新儒教の誕生となってその絶頂に達するのである。すなわち、中国古来の哲学が、中国の知識階級の生活態度を完全に支配する地歩を再び確立することとなるのである。……

韓愈の諫言は少し早すぎただけなのです。中国社会では結局、仏教はそのままの形で根付くことなく、儒教を再興する“起爆剤”として中国風にアレンジされていったのです。この辺りの思想史は門外漢です。いずれまた誰か別の古人之糟魄を借りて紹介する場面もあろうかと思います。

さて、配流された韓愈。「潮州へ向かう途中、藍関(長安東南の藍田関=現在の陝西省藍田県)あたりで韓愈を追ってきた人物がいる」(明治書院P115の「背景」)という。韓愈の二番目の兄、韓介の孫で、十二郎(韓老成)の忘れ形見、韓湘でした。当時の韓愈にとって数少ない戚(みうち)の一人で可愛がっていました。一緒に潮州に連れて行ってほしいと殊勝なことを言うのです。そんな韓湘に贈った詩があります。それを紹介して韓愈の「仏骨を論ずる表」を締め括りましょう。(NHKカルチャーラジオ「漢詩をよむ」テキストP104~106)

「左遷至藍関示姪孫湘」(左遷せられて藍関に至り 姪孫湘に示す)=七言律詩

一封 朝に奏す 九重の天

夕べに潮州に1)ヘンせらる 路八千

聖明の為に弊事を除かんと欲す

肯て衰朽を将て2)ザンネンを惜まんや

雲は秦嶺に横つて 家 何くにか在る

雪は藍関を擁して 馬 進まず

知る 汝が遠く来る ア)に意有るべし

好し 吾が骨を収めよ 3)ショウコウの辺

1)ヘン=貶。官位を下げて流すこと、左遷、配流。貶竄、貶流、貶謫、貶逐、貶斥、貶黜、貶退。「貶」は「おとす」「そしる」「けなす」「おとしめる」「さげすむ」などと訓読みが多いので要注意です。

2)ザンネン=残年。残りの生命、老人の残り少ない寿命。転じて、老い先。残念ながら「残念」では不正解です。

3)ショウコウ=瘴江。毒気の立ち籠める大川。「瘴」は「毒気、マラリアなどの病気の基と考えられた」。瘴毒(ショウドク)、瘴氛(ショウフン)ともいう。熱帯地方、亜熱帯地方の代名詞でもあり、この詩の「PUNCH-LINE」です。都から遠く離れた南方に流される不安な気持ちを込めているのです。おれはそこで死ぬのだ。

ア)応に=まさ・に。「まさに~すべし」と訓読し、「~すべきである」と訳す。当然・認定の意を示す。あるいは「~してやりなさい」と訳し、勧誘を表すこともある。ここはそのいずれも可か。

一通の上奏文を今朝 奥深い宮中の天子様にたてまつった。
夕方にはもう 八千里も南の潮州へ流されることとなった。
徳高き陛下のため よからぬ事を取り除いて差し上げようと思っただけだった。
この衰え疲れた身で 老い先の短い命など惜しむ気はさらさらない。
雲は秦嶺の山並みにたれこめて 我が家はどこにあろう。
雪は藍田の関所を覆い尽くして わが馬も行き倦むばかり。
お前が遠路はるばる来てくれたのは きっと覚悟するところがあるのだろうね。
だったら私の骨は 毒気の立ち籠める南の地の川べりでていねいに拾ってくれたまえ。

あくまで己の信念を貫き通したのだと揺るぎない韓愈の悲壮な気持ちが読みとれます。悔いはない。韓愈の「男気」がたっぷりと感じられます。見習うべき部分と反面教師とするべき部分がありますね。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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