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都合のよいロジックを構築、それが宗教論=韓愈「仏骨を論ずる表」3

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の3回目です。伝説の時代より下っても古代中国の皇帝の長寿の歴史はまだまだ続きます。殷湯、太戊、武丁、文王、武王、穆王。彼らは仏教をまだ知らない頃のことであります。

其の後殷湯も亦年百歳、湯の孫太戊位に在ること七十五年、武丁位に在ること五十九年、書史其の年寿の極まる所を言わざれども、其の年数を推すに、蓋し亦俱に百歳に減ぜず。周の文王年九十七歳、武王年九十三歳、穆王位に在ること百年なりき。此の時仏法亦未だ中国に入らず。仏に事うるに因って然るを致すに非ざるなり。

中国の国家は「殷」が始まり(その前の「夏」も実在性が向上)、「周」と続き、この前半が西周、後半が春秋・戦国時代となります。ここはまだ仏教が伝来していない。だから仏教に帰依することが長寿を齎すのではないという証明だと言うのです。いささか強引ですが、長寿を極めた古の帝に対する畏敬の念が大層強かったのでしょう。そして、仏教伝来後の皇帝がどうだったかを検証します。

漢の明帝の時、始めて仏法有り。明帝位に在ること纔に十八年のみ。其の後乱亡相継ぎ、1)ウンソ長からず。宋・斉・梁・陳・元魏以下、仏に事うること漸く謹むも、年代尤もア)る。惟梁の武帝位に在ること四十八年、前後三度身を捨てて仏に施し、2)ソウビョウの祭に、3)セイロウを用いず、昼中一食、菜果に止まる。其の後竟に侯景のイ)まる所と為り、台城に餓死して、国も亦ウ)いで滅ぶ。仏に事えて福を求めて、乃ち更に禍を得たり。此に因って之を観れば、仏の事うるに足らざることも、亦知る可きなり。

1)ウンソ=運祚。天から授けられた、天子としての運命。御代、御世、在位。類義語問題に注意。「祚」は「祖先から伝わる王朝の君主の位」。「さいわい」とも訓む。

2)ソウビョウ=宗廟。祖先の位牌を祀るみたまや。転じて、国家を指す。天子・諸侯が宮殿を建てる時には、まず宗廟を建て、それをすべてに優先させて重んじていた。したがって、宗廟が破壊されたときは国家が滅びたときと考えられており、国家=宗廟という意識が強かったため。類義語は社稷(シャショク)ですね。

3)セイロウ=牲牢。いけにえ、犠牲。常用漢字である「牲」ですが表外では「いけにえ」と訓む。牲殺(セイサツ=いけにえ、必ず殺して用いるから)、牲牷(セイセン=祭りに用いるいけにえ、「牷」<配当外>は、毛の色が一色で、まだらのない、五体そろって完全な牛のこと)、牲幣(セイヘイ=いけにえと、供え物)。「いけにえ」はほかに、「牢、犠、生贄」。

ア)促る=せま・る。表外訓み。長さや幅がぐっと縮むことをいう。促坐(ソクザ=間隔をつめてすわる)、促膝(ソクシツ=ひざをつきあわせてすわる、間柄が親密なことを言う)、促歩(ソクホ=せわしく歩く)、促急(ソッキュウ=せっかち)。「せまる」はほかに、「逼る、薄る、拮る、拶る、拶る、瀕る、煎る、窘まる、蹙る、遒る、遽る、齪る」などがあります。

イ)逼(ま)る=せま・る。すぐそばまで近づく、言うことを聴くように強いる。音読みは「ヒツ」。逼近(ヒッキン=ひたひたとせまる、危険な物が近づく)、逼塞(ヒッソク=蛭間の出入りを禁じる刑罰)、逼迫(ヒッパク・ヒョクハク=金銭が乏しく苦しいこと)、逼奪(ヒツダツ=君主に迫って君位を奪うこと、簒奪=サンダツ=)。

ウ)尋いで=つ・いで。接続詞用法での特別な表外訓み。「それに続いて、間もなく」という意。よく出ます。

明治書院の「背景」(P108)によると、「仏教が中国に伝来した時期については諸説あるが、韓愈は後漢の明帝の時代を挙げている」とあります。「後漢書」西域伝には、「明帝の夢枕に後光のさした金人が立った。群臣にあれは何であったかと意見を求めたところ、一人が『ブッダです』という」と記されており、韓愈はこの逸話をベースにしているようです。

その明帝は在位18年に過ぎませんでした。国が乱れ始めて、南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以降は、仏に帰依することが次第に減っていくものの、王朝の年代が短く短くなっていきます。ただ例外は梁の武帝。在位48年と長かったのです。三度も仏に身を捧げ、僧侶となった。昼間の一食だけの食事は野菜や果物だけ。その後は餓死しててしまい、国も滅びたのです。

韓愈は言う。「仏に仕えて幸福を求めた結果が、より一層の災いを蒙ったではないか。仏に仕える値打ちなど一銭も無いではないか」。牽強付会の感も否めないですが、都合のよい事実だけを切り取って論じれば「仏教は国家にとって繁栄を齎すものとは限らない」とは言えるでしょう。しかしながら、逆も真なりですけどねぇ~。仏教が嫌いな人の論理としては仕方ないでしょう。ところが、仏教信者は全く逆のロジックで果敢に攻めると思いますよ。儒教や道教がいかに国家をダメにしたかを。。。。宗教や思想は信奉するか否かで全く立場を異にするものです。論理じゃない、結論ありきです。堂々巡りの水掛け論か…。政教分離なんてありえへんなぁ。。
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