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五帝のみならず民衆は皆「ジュコウ」だった=韓愈「仏骨を論ずる表」2

中国の名文を味わうシリーズは、「信念と硬骨の人」韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の2回目です。俠気のある韓愈が時の憲宗皇帝に仏教の信奉を諫めた上奏文。聊か筆鋒が鋭過ぎた結果、皇帝の逆鱗に触れて、即座に南海地方の潮州に流謫されてしまいます。前回は潮州で詠んだほんわかムードいっぱいの詼けた詩を味わいましたが、52歳の官僚詩人の「本心」は如何ばかりだったでしょうか?

さて、前回の復習です。明治書院の「背景」(P105)に藉りましょう。「長安の西、鳳翔の法門寺に釈迦の指の骨が収められていた。時の皇帝・憲宗はその釈迦の骨を宮中に迎え入れ、三日間内裏に留め置いた後、諸寺へ巡回させるようにと下賜した。果たして正月一三日、仏骨は宮中にむかえられたのである」。元和14年(819)のことです。仏舎利の供養を大々的に宮中で采り行ったのです。「三十年に一度のことに加え、皇帝もお迎えしたとなれば、是非とも拝みたいと民衆は寺に詰めかけた。中には財をなげうってお供えしたり、身を焼いて供養する者もいる始末」だったといいます。熱狂的な仏教信者が数多くいたのです。儒家の韓愈には我慢がならなかった。当時の彼は刑部の次官に在り、司法と警察を司っていました。恐らくは皇帝への諫言なども業としていたのでしょう。冒頭の一説は、仏は「夷狄」と貶んだ上で、後漢に輸入されたものであり、古代中国にもともと存在していた代物ではないと嘲りました。本日はその次から。

昔は黄帝位に在ること百年、年百一十歳。ア)少昊位に在ること八十年、歳百歳。顓頊(センギョク)位に在ること七十九年、年九十八歳。帝嚳(コク)位に在ること七十年、年百五歳。帝尭位に在ること九十八年、年百一十八歳。帝舜及び禹、年皆百歳なり。此の時天下太平、百姓安楽1)ジュコウなりき。然り而うして中国に未だ仏有らざりなり。


1)ジュコウ=寿考。長生きのこと。「考」はやや難語で「老、腰の曲がった年寄り、高齢の」といった意味があります。確かに部首は「おいがしら(老)」ですね。「亡くなった父」という意味もありましたね。先考(センコウ=亡父、対義語は先妣=センピ)。

ア)少昊=ショウコウ。人名ですが「昊」はなかなか「コウ」と読めませんね。どうしても音符である「天」が「コウ」とは読めない。かなり練習して慣れる必要があります。「なつぞら、おおぞら、そら」という意味もあって、昊天(コウテン=空、おおぞら)、蒼昊(ソウコウ=青空)。「あかるい」とも訓む。

「中国最初の正史『史記』は五帝本紀、黄帝の記述から始まる」と明治書院の「背景」(P106)にあります。ここのくだりは、中国本来の大元を繙いています。すなわち、黄帝(在位100年、御年110)、少昊(在位80年、御年100)、顓頊(在位79年、御年98)、帝嚳(在位70年、御年105)、帝尭(在位98年、御年118)、帝舜及び夏の禹(ともに御年100)と、中国の始祖である帝方はいずれも長寿を誇ったというのです。中国人民ならだれでも知っている歴史です。韓愈は敢えて記することで中国の正当性を明らかにしようとしました。天下泰平で人民も皆長寿であった。そう、まだ仏教は伝来していなかったから。ああ、それなのに、それなのに……。短めですが続きは次回にて。
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2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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