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木を徙して人民の信を得る政治=蘇軾「秦の始皇・扶蘇の論」10

中国の名文・美文を囓んで玩わうシリーズは、蘇東坡(蘇軾)の「秦の始皇・扶蘇の論」(明治書院「新書漢文大系9・文章規範」)の10回目です。この冒頭で10回シリーズと申し上げたのですが、うまいこと終わらせることができませんでした。次回の第11回が最終回となります。ご容赦ください。

【10】
鞅、信を1)シボクに立て、威を棄灰に立つ。其の親戚・2)シフを刑して、3)ソクヨウ無し。威信を積むの極は、以て始皇に至る。秦人其の君を視ること、雷電鬼神の測識す可からざるが如し。古は公族罪有らば、三たびア)して而る後刑に致す。今、人をして其の太子を4)キョウサツして忌まず、太子も亦敢て請わざらしむるに至るは、則ち威信の過ぐるなり。

1)シボク=徙木。「徙木之信」(あるいは「移木之信」)が故事成語(典拠は「史記」・商君伝)で「政治をする者は人民に対してうそをつかないことを明らかにすること、約束を実行するたとえ」という意。秦の商鞅が、法令を改めるとき、民衆の法令に対する信頼を得るため、市の南門にたてた木を北門にうつした者には懸賞金を与えると告げて、実際に移した者に約束通り賞金を与えたという。「徙」は「うつる」「うつす」と訓む。遷徙(センシ=うつる)、徙倚(シイ=少し動いては立ち止り、うろうろするさま、転じてだらしないさま)、徙宅(シタク=住居の場所を変えること、徙居=シキョ=)、曲突徙薪(キョクトツシシン=未然に災難を防ぐこと)、移徙(わたまし=貴人の転居を敬う言い方)。

2)シフ=師傅。道を教え導くもり役、先生。もともとは、周代の三公(太師・太傅・太保)と三狐(少師・少傅・少保)の総称で、天子の顧問や皇太子の教育係をつとめ、名誉ある高官であった。「師傅保」「師保」ともいった。「傅」は「かしずく」とも訓む。傅育(フイク=そばについていて身分の高い人の子を守り育てる)、傅説(フエツ=星の名、後宮で子を願う時に祀る)、傅会(フカイ=むりにこじつける、文章の論旨をまとめる)、傅婢(フヒ=そばについておもりをする女の召使)、傅姆(フボ=人の子を守り育てる婦人、傅母)。

3)ソクヨウ=惻容。いつも心に離れないようす。「惻」は「いたむ」とも訓む。惻然(ソクゼン=親身になってあわれみいたむさま)、惻痛(ソクツウ=親身になっていたみ悲しむ、惻怛=ソクダツ=、惻楚=ソクソ=、惻愴=ソクソウ=)、惻憫(ソクビン=親身になってあわれむ)、惻惻(ソクソク=ひしひしと心に迫るさま、また、あわれみいたむさま、親身になって心配するさま)、惻隠之心(ソクインのこころ=あわれみいたむ心のこと、孟子の言う性善説の根源)。

4)キョウサツ=矯殺。君主の命令だといつわりだまして殺す。「矯」は「いつわる」とも訓む。矯飾(キョウショク=表面だけをいつわりかざること)、矯制(キョウセイ=天子の命令を勝手に変更して天子の命令といつわって事を行うこと、矯詔=キョウショウ=、矯勅=キョウチョク=)、矯託(キョウタク=いつわってほかのことにかこつけること)、矯誣(キョウフ=事実を変えてごまかし、人を欺くこと、矯詐=キョウサ=)。矯枉過正(キョウオウカセイ=あやまちをなおして返って度を過ごし正しい状態でなくなること)=矯枉過直(キョウオウカチョク)=矯角殺牛(キョウカクサツギュウ)=庇葉傷枝(ヒヨウショウシ)もありますが、この場合の「矯」は「ためる」という意味(曲がった物を押し曲げて正しい形に直す)。

ア)宥して=ゆる・して。「宥す」は「ゆるす」。「なだめる」とも訓む。音読みは「ユウ」。宥坐之器(ユウザのキ=身近に置いて自分の生活の戒めとする道具)、宥赦(ユウシャ=ゆとりを持って罪を許す)、宥恕(ユウジョ=ゆとりをもってゆるす、大目に見る、宥貸=ユウタイ=、宥免=ユウメン=)、宥和(ユウワ=相手の心を刺激しないようになだめ和らげる)、寛宥(カンユウ=寛大な心)。「ゆるす」はほかに、「縦す、赦す、免す、聴す、容す、予す、侑す、允す、准す、原す、恕す、放す、貰す、釈す」などがあります。

(解釈)商鞅は木を動かすことによって信義を確立し、灰を道に棄てた者を処刑することによって権威を確立した。そしてその親戚や師匠を処刑して、気の毒に思う様子も無かった。権威と信義を積み重ねた挙句には、始皇の身にまで及んだ。秦の人民はその君に対して、雷電や鬼神のような、計り知ることのできない印象を抱いたのである。昔は諸侯の一族が罪を犯した場合には、君主が二度まで許せと主張して、それから処刑した。だがいまは自分の国の太子を謀殺しても、ものともしないありさまとなり、太子もまた命令の再確認を願わないというのは、権威と信義の行き過ぎというものである。

蘇軾の「弁論」もいささか絮くなってきましたね。「もう分かったよ」という感じもします。要するに、王安石の新法では世の中を治めきれないということでしょう。商鞅のくだりがまたまた述べられていますが、千数百年も前に起きた始皇帝と扶蘇の「事件」がいままた起ころうとしていると強い危機感を持っているのでしょうかね。

明治書院の「背景」(P114~115)によると、「商鞅は法律制定後、都の南門の三丈の木を、北門に移せば十金を与えると布告した。うますぎる話なので誰も手を出さなかったため、五十金に増額したところ一人が北門まで持って行った。商鞅は即座に五十金を支払った。次に法律を施行したところよく守られたという」とあります。「徙木之信」の説明ですが、この人民との信頼関係を築いたうえで法律を作るという話はいいと思います。公約を掲げて選挙で勝ってそれを実行に移して信頼を勝ち得る。そのうえで消費税増税なり国民にも痛みを共有するように持って行く政治の在り方はありでしょう。

続けて、「公族罪有り」については、『礼記』文王世子篇にエピソードが見えると述べたうえで、「公族が罪を犯したときは、君主の裁可を願う。そこで君主は『宥せ』と言う。裁判官は『有罪です』と答える。このやり取りの三度目に、君主が『宥せ』と言ったとき、裁判官は無言で退出し刑を執行する。公族用の手続きであり、忍びないが法は曲げられないことを表現するためである」とあります。裁判の「三審制」みたいですね。三回まで裁きの判定の余地を残し、それでだめなら諦めがつくというもの。縦令、身分が高い者の眷でも罪は罪として受け入れよということ。例外がないのが法の取り柄なのだから。ある意味、法家の厳格さの徹底ぶりを表わしています。法を守るとはこういうことなのです。これも理解できますね。情実といった依怙贔屓無しに一律に適用するのなら法の有難味はあるでしょう。しかし、バランスを欠いた法律の在り方がいま行われている――。押しつける法律。それが新法だ。

いよいよ次回が最終回。蘇軾が長々と論じてきた結論篇です。
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2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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