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苛辣な法に嵌まった商鞅の「自縄自縛」=蘇軾「秦の始皇・扶蘇の論」7

中国の名文・美文を囓んで玩わうシリーズは、蘇東坡(蘇軾)の「秦の始皇・扶蘇の論」(明治書院「新書漢文大系9・文章規範」)の7回目です。商鞅が制定した苛辣な法律の数々。その最たるものが親子孫まで連座の対象とする「参夷」でした。臣下、人民で萎縮しない者はいないほどのプレッシャーを与えました。得意満面であった商鞅も実はその罠に嵌ってしまいます。そして、始皇帝も……。本日は、豪華な「オマケ」が付いています。久々に陶淵明の詩も味わいましょうね。

【7】
其の法の行わるるにア)たりてや、求めて獲ざる無く、禁じて止まらざる無し。鞅自ら以為らく、尭・舜にイ)して湯・武に1)せりと。其の出亡して舎する所無きに及び、然る後に法をウ)るの弊を知る。夫れ豈に独り鞅の之を悔ゆるのみならんや、秦も亦之を悔いたり。荊軻の変に、兵を持する者始皇が柱をエ)りて走るを熟視して、之を救う者莫きは、法重きを以ての故なり。

1)ガせり=駕せり。上に載せる、上に乗っかる、かけわたす、つのらせる。「架」と同義。ここでは、商鞅は自分が古の聖王である湯王や武王よりもまさっているということ。「駕」はもともと「馬に軛(くびき)をのせて、車の轅(ながえ)をのせかける」という意味。馬車で貴人が往来する意味が派生して「来駕」(ライガ)、枉駕(オウガ)の言葉が出た。駕御(ガギョ=人を思いのままに使いこなす、駕馭=ガギョ=)、駕籠(かご=ひとをのせてかつぐ乗り物)、駕跨(ガコ=馬にまたがる)、駕幸(ガコウ=天子のみゆき、行幸)、駕説(ガセツ=うまく議論を操る、いにしえの聖王の道理、また、その時代)、駕病(ガヘイ=病気を悪化させる)、駕輿(ガヨ=こし、駕轎=ガキョウ=)、凌駕・陵駕(リョウガ=地位・身分・能力で、他人をしのぎのりこえること)。

ア)方たりて=あ・たりて。「~に方たりて」と用いる。漢文訓読語法。「ちょうどそのとき」と訳すのが一般的。

イ)軼して=イツ・して。列から抜けて前に出る、ぬきんでる、列から抜け出てすぐれたさま。熟語は「逸」や「佚」とほぼ同じです。軼材(=逸材)、侵軼(=侵佚)。遺聞軼事(イブンイツジ=ぬけおちた昔話)、軼聞(=逸聞)。「荘子」(徐無鬼)に「超軼絶塵(チョウイツゼツジン)があり、「非常に軽やかに速く走ること」。やはり抜きんでているさまを言います。ここでは、古の聖王である尭舜をも上回ると自惚れているさまを言います。

ウ)為る=つく・る。表外訓み。「つくる」はほかに、「甄る、製る」もある。

エ)環りて=めぐ・りて。「環る」は「めぐる」。表外訓み。「めぐる」はほかに、「周る、週る、運る、盤る、般る、循る、旋る、回る、巡る、繞る、遶る、廻る、繚る、邏る、紆る、匝る、匯る、圜る、嬰る、帀る、徇る、徼る、斡る、槃る、樛る、浹る、蟠る、躔る、輾る、迴る」などもあり、数が多いです。環堵蕭然(カントショウゼン=家のかきねがみすぼらしく貧しさま)=環堵之室(カントのシツ)は必須です。

(解釈)商鞅の法律が実施された当時にあっては、天子が求めて手に入らないものはなく、禁じてやまぬこともなかった。だから彼はこれこそ古の尭・舜の時代よりもすぐれており、湯王・武王にまさるものだと自慢ありありであった。ところが彼が秦を逃げ出したときになってみると、泊めてくれる家がない。そのとき初めて法律を作ること弊害に気が付いたのである。いや、後悔したのは商鞅だけではない。秦の国そのものが悔やんだのである。荊軻の騒ぎが起きたとき、武器を持った者は始皇が柱の周りを回って逃げるさまを見ているだけで誰も助けようとはしなかった。法律が厳しかったからである。

蘇軾は、法律とは何かを問うています。厳格な法は為政者にとっては都合がよいが、それを受ける側に立ってみると「笊」なのです。法を作り治めるには厳格さは便利。だって一つの例外も無いんですから、考える、斟酌する必要がないから。莫迦でも出来ますわね。

ところが、為政者が法に裁かれる場面がないわけはなく、その時、彼らは自分の作った法によって雁字搦めの状態になる。自分だけ助けてくれとは言えるはずがない。例外がないのが「取り柄」なんですから。

明治書院の「背景」(P141~142)によると、「商鞅の法は厳しすぎたため、貴族や大臣に恨まれた。身の危険を感じた商鞅は亡命の途中宿を乞うが、主人に身元の定かでない者を泊めては、罪に連座することになると突き放され、『ああ、我が法の害、ここまでに至れるか』と嘆じた。ついに捕らえられ、八つ裂きにされた」とあります。裁く方が裁かれる方に立場を変えた途端、その本当の意味を感じ取ることになるのです。まさに自縄自縛です。人をはめる罠に自ら落ちたと言えるでしょう。

続けて始皇帝の場合。本文にある「荊軻」(?~前227)は、秦末戦国時代、燕の太子・丹の命を受け、始皇を暗殺するために派遣された刺客です。「首尾よく始皇の前に進み出た荊軻は、仕込んだ合口(=匕首)で始皇を追い回す。家来はただ茫然。秦の法律では殿上人は武器を帯びてはならず、他の家臣も命令がなければ殿上に昇れない。始皇に余裕はなく、臣下が勝手に殿に昇れば情状の余地は認められないため、誰も手出しができなかった」とあります。これこそが蘇軾の言う「秦も亦之を悔いたり」というわけです。人にやさしい臨機応変の法でこそ本当の法律なのではないでしょうか?

結局は荊軻の暗殺は未遂に終わります。ちなみに陶淵明が荊軻のことを詩に詠んでいます。折角ですから全文を掲げておきます(岩波文庫「陶淵明全集(下)」P66~70)。二度と戻らぬ不退転の覚悟はそのまま現実となりました。寧ろ失敗したことで荊軻の名は数多くの後世人の口に膾炙され、語り継がれています。九郎義経の「判官贔屓」は中国のここにもあったかぁ、といった感も強いですね。

「荊軻を詠ず」

燕丹は善く士を養う、
志は強嬴(キョウエイ)に報ゆるに在り。
百夫の良を招き集め、
歳暮に荊卿を得たり。
君子は己を知るものに死す、
剣を提げて燕京を出づ。
素驥 広陌に鳴き、
慷慨して我が行を送る。
雄髪は危冠を指し、
猛気は長纓を衝く。
飲餞す 易水の上、
四座 群英を列ぬ。
漸離は悲筑を撃ち、
宋意は高声に唱う。
蕭蕭として哀風逝き、
淡淡として寒波生ず。
商音に更々涕を流し、
羽奏に壮士驚く。
心に知る「去りて帰らざるも、
且つは後世の名有らん」と。
車に登りては何れの時か顧みん、
蓋を飛ばして秦庭に入る。
凌として万里を越え、
逶迤(イイ)として千城を過ぐ。
図窮って事自ら至る、
豪主 正に怔営(セイエイ)たり。
惜しい哉 剣術疏にして、
奇功 遂に成らず。
其の人 已に没すと雖も、
千載 余情有り。

◆語釈◆

強嬴=嬴(エイ)は秦王(すなわち後の始皇帝)の姓。
素驥=白馬。
広陌=コウハク。広い路上。
危冠=キカン。高々と聳える冠。お洒落です。
長纓=チョウエイ。冠をしばるひもがだらりと垂れているさま。お洒落です。
飲餞=インセン。遠出する際に、道祖神を祀り、宴会をして旅の安全を祈ること。今でいえば送別会。
漸離=ゼンリ。高漸離のこと。荊軻の親友で、楽器の筑(チク)の名手だった。
凌=リョウレイ。ふるいたつさま、勢いの激しいさま。
逶迤=配当外。うねうねと続くさま。
怔営=配当外。恐れ驚いているさま。
疏=ソ。未熟なこと。
奇功=キコウ。非凡な計画。ここは始皇帝の暗殺計画を指す。

いや~、やっぱ陶潜の詩はいいわ。シンプルで特に技巧も無いのですが声に出して詠むと気持ちが落ち着ますわ。またまた味わいたい気がむくむくとしてきましたよ。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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