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行き場を失った国民のエネルギー=杜牧「阿房宮の賦」8・完

中国名文を噛みしめて玩わうシリーズは、杜牧の「阿房宮の賦」(明治書院「新書漢文大系9・文章規範」、岩波文庫「杜牧詩選」)の8回目です。細分してだらだらと続けてきましたが、ここらで最終回といたします。少し間延びしてしまい、名文を玩わうという視点が欠けた嫌いがあります。お詫びいたします。

さて、焚書坑儒をはじめ秦の始皇帝の暴虐ぶりは夙に有名です。この阿房宮もその象徴と言えるでしょう。しかし、杜牧は単に「不幸な歴史」を嘆いているのではない。歴史になる前の「現実」を直視しているのです。始皇帝の時代を「他山之石」として厳しく身を律すべき人が、始皇帝と同じようなことをしている。杜牧が生きた唐代晩期の人民の悲痛な喘ぎ声を代弁したものなのです。殷鑑遠からず―。24歳の若者が心の底から叫んだのです。

【11】
天下の人をして、敢えて言いて怒らざらしむ。独夫の心は、日に益々1)キョウコなり。2)ジュソツ叫び、函谷挙がり、楚人の3)イッキョ、憐れむべし焦土たり。

1)「キョウコ」=驕固。おごりかたまるさま。「驕」は「おごる」。数多くの熟語があります。ほとんど「おごり高ぶるさま」という意味ですから熟語だけ羅列しておきます。意味はご自分で御調べを。驕佚(キョウイツ、驕逸)、驕淫(キョウイン)、驕盈(キョウエイ、驕溢=キョウイツ=)、驕悍(キョウカン)、驕気(キョウキ)、驕倨(キョウキョ、驕踞)、驕矜(キョウキョウ、矜驕)、驕驕(キョウキョウ=草ぼうぼう)、驕蹇(キョウケン=おごり高ぶり道理にはずれること、驕横=キョウオウ=)、驕夸(キョウコ、驕誇)、驕敖(キョウゴウ、驕傲)、驕侈(キョウシ、驕奢=キョウシャ=)、驕恣(キョウシ、驕肆)、驕児(キョウジ=駄々っ子、驕子=キョウシ=)、驕色(キョウショク)、驕怠(キョウタイ、驕惰=キョウダ=)、驕泰(キョウタイ、驕汰)、驕宕(キョウトウ、驕蕩)、驕暴(キョウボウ)、驕慢(キョウマン、驕易=キョウイ=)、驕陽(キョウヨウ=盛んに照り輝く太陽)。

2)「ジュソツ」=戍卒。国境を守る兵士。戍客(ジュカク、ジュキャク)、戍兵(ジュヘイ)ともいう。「戍」は「まもる」とも訓む。謫戍(タクジュ=罪を受けて辺境の警備に送られること)、衛戍(エイジュ=軍隊が一つの地域に長くとどまって警備すること)、戍煙(ジュエン=国境守備所でたく煙)、戍火(ジュカ=国境警備兵のたく火)、戍甲(ジュコウ=国境を守る武装した兵士)、戍守(ジュシュ=国境を守る、また、その兵士、戍衛=ジュエイ=)、戍人(ジュジン=国境地帯を守る兵士)、戍徭(ジュヨウ=国境を守るための徭役、また、その徭役として使われる兵士)、戍楼(ジュロウ=国境守備隊の見張りやぐら)。

3)「イッキョ」=一炬。かがり火をたくこと、松明の火をともすこと。「炬」は「たいまつ」「かがりび」とも訓む。ここでは戦乱の火蓋を切るという比喩的な表現です。

ここにある「独夫」とは「人民から孤立した暴君」。始皇帝を指している。周の武王が殷の紂王を「独夫」と呼び攻め滅ぼしたことが「書経」(泰誓下篇)に記されており、孟子はこれを「一夫の紂を誅すを聞く。未だ君を弑すを聞かざるなり」(梁恵王章句下)と言いました。

「戍卒叫び」とは、始皇帝による天下統一後、初めて秦に反逆した「陳渉・呉広の乱」のこと。秦の二世皇帝の元年(前209)、漁陽(河北省)の警備に赴いたが、雨の為に遅れ、処罰を恐れて反乱を起こした。これ以降、各地で反乱の手が挙がる契機となった。「函谷挙がり」とは、秦の都・咸陽を守るための東の防衛拠点である「函谷関」が陥落(=挙)したことをいう。比喩的に「秦の滅亡の危機が迫っていること」を言っています。「楚人一炬」とは、楚の項羽が前206年12月、劉邦と鴻門で会合したのち西に向かい、咸陽を陥落させ秦の王室を焼き払い、めためたにしたことを指しています。ちなみに、「史記」(項羽本紀)には「火三月滅せず」とあるように、この時上がった火の手からも阿房宮のスケールの大きさが俔い知れます。

【12】
ア)嗚呼、六国を滅せし者は、六国なり。秦に非ざるなり。秦を族せし者は、秦なり。天下に非ざるなり。イ)嗟夫、六国をして各々其の人を愛せしむれば、則ち以て秦をウ)ぐに足らん。秦復た六国の人を愛すれば則ち三世よりエ)いにして、万世に至りて君たるべし。誰か得て4)ゾクメツせんや。

4)「ゾクメツ」=族滅。ひとりの罪をその一族全体に及ぼして一族を皆殺しにする刑罰。族誅(ゾクチュウ)、族夷(ゾクイ)、族殺(ゾクサツ)ともいう。前にある「秦を族せし」にあるように「族」には「一族を皆殺しにする」という意味があります。

ア)「嗚呼」、イ)「嗟夫」=ああ。登場する何度目でしょうか。嘆息の言葉ですが、さまざまな漢字や、それらの組み合わせがあります。限がないと言えばないですが、瞬時に訓めるような訓練だけは懈らないように。「嗟于、噫、嗟乎、噫乎、嗚、嗟吁、嗟嗟、嗟呼、嗟来、欸、于、于嗟、吁、吁嗟、咨、啞啞、嗟、嗟哉、噯、式、於乎、於呼、於戯、於穆、欹、粤」。これだけ嘆きの表現があるということは、如何に中国詩人にとって「嘆息」という状態が内面で頻繁に起こり、欠くことのできない心情表現だったかが伺えますね。日本語では「ああ」だけですもん。

ウ)「拒ぐ」=ふせ・ぐ。そばに寄せ付けないようにふせぐという意。表外訓み。音読みは「キョ」。拒捍(キョカン=敵をふせぐ)、拒諫(キョカン=いさめをこばむ)、拒抗(キョコウ=命令をこばみ反抗する)。

エ)「逓いに」=たが・いに。副詞用法。「リレー式に、かわるがわる」という意味。次々と伝えていくさまをいう。音読みは「テイ」。逓信(テイシン=次々と駅を伝って信書を届けるといういみ、逓伝=テイデン=)。

明治書院(P245)の「背景」によると、秦では始皇帝の意見により、諡を廃止し、天子はすべて順番を示す数字で呼ぶことにしたとあります。始皇帝は「朕を始皇帝と為し、後世は数を以て計り、二世三世より万世に至り、之を無窮に伝えん」と言ったことが「史記」(始皇本紀)に見えるが、「実際には三代で滅びている」という。杜牧は、六国が滅んだ原因は実は六国自身にあった。秦ではなかったと言います。そして、秦の始皇帝一族が滅んだのも秦自身である。天下の人々ではない。もしも、六国の王がそれぞれ自国の人民を大切にしていれば、秦の攻撃は防ぎ得たのだ。同じように秦も六国の国民を大切にしていたならば、三世から順々に、万世に至るまで永遠に君主の地位を保ち得たのであろう。誰に手によってもその一族が滅ぼされることはなかった。

国家が滅ぶ原因は国家自身にある。これは蓋し名言であると思います。しかし、杜牧が本当に言いたいのは次にある最後のくだりなのです。

【13】
秦人は自ら哀しむに暇あらずして、後人之を哀しむ。後人之を哀しみて、之を鑑みざれば、亦後人をして復た後人を哀しましめん。

秦の人民は亡国を哀しむ余裕すらないほどあっさりと亡くなってしまった。ところが、我々の時代からすれば秦の亡国は哀れの一語に尽きる。哀れだと思っていても、反面教師にしなければ、同じ轍を踏んでしまうことになる。そして、また我々の後の時代の人々が亡国の悲しみを招いてしまうのだ。

やっと杜牧の本音が全貌を現しました。どうして秦が滅亡したのか、その原因を噛みしめろというのです。でなければ、いまの唐王朝だって同じ末路を辿ることは必定である。宮廷詩人であった杜牧ですが、政治に対する感覚は鋭く、近く訪れる王朝の滅亡の時期を感じ取っていたかのような歯切れのいい文章となっています。これを書いたのはまだ24歳の若造ですよ。驚きです。

「易姓革命」が平気で起こる中国では、歴史こそがすべて。歴史は繰り返されるという意識が国民の脳裏に沁み付いている。だから、古を振り返ることが国の未来の針路を決めることになる。杜牧の「予言」は100年も満たないうちに現実のものとなります。王室の自堕落な生活によって人心の信頼を喪って唐王朝は瓦解に至ります。今の日本も江戸幕府瓦解から明治維新のころを振り返る必要があるかもしれません。100日余り前に起きた政権交代ですが、それが「目的」である限りにおいては、効果は限定的です。国民のエネルギーは今どこへ行ってしまったのでしょうか?行き場を失っています。。。杜牧よ、教えておくれ。。。我々はどうすればいいのか?
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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