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始皇帝の奢侈淫佚を諷諭?=杜牧「阿房宮の賦」1

中国名文を噛み締めて玩わうシリーズは、晩唐の詩人・杜牧の「阿房宮の賦」を取り上げようと思います。(底本は明治書院「新書漢文大系・9文章規範」、岩波文庫「杜牧詩選」)。弊blogでは漢詩シリーズを進めた際、杜牧の詩をいくつか取り上げました()。迂生のお気に入りの詩人の一人です。

「賦」というのは、非定型の長編の韻文形式で、句型・句数・押韻など厳しい規制で縛られる、所謂漢詩とは少し異なります。抒情よりは寧ろ、叙事や議論に適した文体です。岩波文庫によりますと、杜牧がまだ23~24歳という初期のころの作品で、彼が最難関の進士科に26歳で及第したのも、この諷諭に富んだ作品に胸打たれた太学博士呉武陵(ゴブリョウ)が知貢挙(チコウキョ=試験委員長)である崔郾(サイエン)に強く推薦した結果であると伝えられています(「唐摭言(トウセキゲン)」六)。さすがは小杜(若い杜甫)と謳われた唐代の代表的な詩人だけあって、その艶やかな語彙は読む物を魅了します。名文は言うに及ばず、美文ですわ。

阿房宮というのは秦の始皇帝が天下を統一した後に造営した巨大な宮殿の名称です。始皇35年(前212)、当時の都・咸陽が人口稠密で手狭であるため、渭水を隔てた南の上林苑に造り始められましたが、未完成の内に楚の項羽によって焼かれました。その址は現在の西安市の西郊15キロの阿房村に位置するといいます。杜牧が詠んだ阿房宮は、始皇帝の驕惰な失政と奢侈淫佚を描きだすため、宮のみならず周辺一帯の建築物をも包含しています。

【1】
六王ア)わり、四海一なり。蜀山1)コツとして、阿房出ず。三百余里を2)フウアツして、天日を隔離す。

1)「コツ」=兀。「ゴツ」とも読む。山などの上が高くて平らなさま、高く突き出たさま。ここでは前者。突兀(トッコツ)、兀傲(コツゴウ=自分勝手でいばったさま)、兀兀(ゴツゴツ、コツコツ=山などの上が高くて平らなさま、揺れて危ないさま=累卵の危)、兀坐(コツザ=じっと座っている様)、兀者(ゴツシャ=足切りの刑をうけて片足になった者)、兀然(コツゼン=無知、孤立、高く突き出る)、兀立(コツリツ=一つだけ高く突き出て立っている)。

2)「フウアツ」=覆圧。おおいかぶさる、占拠すること。腹圧ではない。「覆]は「おおう」という意味の場合の音読みは「フウ」または「フ」が一般的。翼覆嫗煦(ヨクフウク=いつくしむこと、愛撫すること)、覆蓋(フウガイ=おおいかぶさる)。

ア)「畢わり」=お・わり。「畢わる」は「おわる」。音読みは「ヒツ」。畢業(ヒツギョウ=卒業する)、畢竟(ヒッキョウ=結局)、畢世(畢生=ヒッセイ、その物事が一生を終るまで、一生涯かけて)、畢命(ヒツメイ=しぬこと、メイをおう、命の限りを尽くしてはたらくこと)、畢力(ヒツリョク=力の限りを尽くす)。

「六王」というのは、戦国時代末期の「燕」「趙」「韓」「魏」「斉」「楚」の六国が割拠して、それぞれの君主が王と自称したことを言います。「六王畢わり」とはつまり、秦の始皇帝による天下統一を言う。のちに劉備・諸葛亮が登場する「蜀」は四川省一帯ですが、その山林が阿房宮建築のために資材の供給源となったので、全部禿げ山になってしまったというのです。「一里」は唐代で約0・56粁、秦代では約0・4粁ですが、ここは誇張表現。阿房宮の広大さを比喩的に形容しています。天空も太陽も隠れて見えないほどの偉容ぶりを誇ったといいます。

【2】
3)リザンの北に構えて西に折れ、直ちに咸陽に走き、二川溶溶として、流れて4)キュウショウに入る。

3)「リザン」=驪山。西安市の東約25粁の、陝西省臨潼(リントウ)県城の南にある山の名。その北麓には玄宗皇帝の築いた豪奢な「華清宮」がありました。楊貴妃の湯浴みした温泉です。海抜は1300米。「驪」は「くろうま」とも訓む。驪駒(リク=くろこま)、驪珠(リシュ=驪竜という黒い竜のあごの下にあるという、得難い玉のこと)、驪馬(リバ=くろうま)。

4)「キュウショウ」=宮牆。宮墻とも。屋敷の周りを取り囲む垣根。「牆」は「かき」「へい」。牆垣(ショウエン=かきね、土塀、牆籬=ショウリ=)、循牆而走(かきにしたがってはしる=道の真ん中を通らないで、道の端のかきねに沿って歩む、態度が慎み深い事)、牆衣(ショウイ=土塀の上の青い苔)、牆頭(ショウトウ=かきねのあたり、かきね)、牆有耳(ショウにみみあり=秘密の漏れやすいたとえ)、牆壁(ショウヘキ=かこいの土塀)、牆面(ショウメン=塀に面して立つ、向こうが見えないことから、無学の人・無能者にたとえる)。

ここもスケールの大きな表現が続きます。咸陽から渭水を渡って東の驪山にまで延びた宮殿は、二本の大きな川を擁して堀としている。「溶溶」はちょっと変わった表現ですが、川の波がゆらゆらとたっぷりとたたえて流れるさま。いささか誇張が過ぎる嫌いも強いですが、阿房宮の豪奢さをこれでもかと言い尽くします。まだまだ続きます。もちろん、それは始皇帝の凄さを言うのばかりではなくて、半ば呆れているほどの深い訳があるのです。
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Author:char
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2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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