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鼈、団魚、スッポンを知り尽くせ=柏木如亭「詩本草」

 柏木如亭の「詩本草」シリーズ8回目は、「雲壌月」の「」の二段を取り上げます。「月と」ですが、月が天でが地のように、なぜにを下に見るのかは分かりません。こんなに美味なのに。。。円いというだけで比べられた可能性があるぞ。

 《28 その一》

 余喜んでを食ふ。客曰く、「団魚好喫なるも哉に何如ぞ」と。余、声に応じて曰く、「宰予必ずしも澹臺に賢らず」と。

 ■「喜んで」は表外訓み。「この・んで」。

 ■「団魚」は「ダンギョ」。漢名でスッポンの異称です。「まるいさかな」ですか。これで「月」と比べられちゃったんですねぇ?ある意味、スッポンにとっては不幸な命名でした。団いだけなら「お盆」もある。「月とオボン」でいいやん。スッポンという音の響きも良かったんでしょうね。

 ■「好喫」(コウキツ)は、美味。中国語では「ハオ・ツィー」。

 ■「」は「」の異体字。「」は「セン、ゼン」。タウナギ科の淡水魚。ウナギに似るが、鰭(ひれ)が無く、鰓孔(えらあな)は、左右につながって一つになっている。泥の中にもぐって棲息する。たうなぎ。「」(セン、ゼン、たうなぎ)も異体字で、「序」(センジョ)という熟語がある。これは、教室、講堂の意で、卿大夫の衣服や冠に、鳥が「」を咥えた模様をつけたことから、「」は知識人の象徴となった。この場合の「序」は学校のことで、1級基本熟語の「庠序」(ショウジョ)も浮かびますね、、、ちょっと脱線。あ、勿論、「」は海の魚である「うつぼ」「ごまめ」もありますよね、お忘れなく。。。

 ■「哉」(ヤ)は意味を強める助字。

 ■訓み問題「何如」は「いずれ」と訓む。どちらが。

 ■「宰予」(サイヨ)と「澹臺」(タンダイ)。岩波文庫の註釈によれば、ともに孔子の弟子。前者が宰我、後者が澹臺滅明のこと。宰予は弁舌に優れ、澹臺は容貌風采があがらなかった。そのために、孔子は初め宰予を高く評価し、澹臺を低く見たが、後にその評価が間違っていたことに気づき、「吾れ言を以て人を取りて、これを宰予に失し、貌を以て人を取りて、これを子羽(澹臺の字)に失す」(史記・仲尼弟子列伝)と言ったというとあります。つまり、如亭は、ちょっと見るとグロテスクでいかにも愚鈍な風采の上がらない「スッポン」だって、見た目の優れた「タウナギ」に優るとも劣らない美味であると、孔子の弟子連中を引き合いに出し、当意即妙のウィットに富みながら、一方で回りくどい比喩で楽しんでいるのです。

 ところが、「誹風柳多留」百二十九編には「すつぽんの味(うなぎ)とはお月さま」とあるそうです。どちらかというとスッポンに肩入れした如亭ですが、川柳子はウナギに軍配を上げているのです。要は好みの違いじゃん。

 ■訓み問題「賢らず」は「まさ・らず」と表外訓み。「賢」は、すぐれていること。


 これだけでは短いので、引き続き「29段」には「」の雄と雌について面白い考察が。。。。「は雌しかいない」というのです。じゃぁ子孫繁栄できないじゃんかと思うのですが、「蛇や大亀」の精子を戴くというのですが、何だか胡散臭い話だなぁ。真ん丸いの雄と雌が外見上区別しにくいのは確かでしょうね。でも、中国の木蘭(ムーラン)という女戦士が男に化けて勇敢に戦って十二年もばれなかった「撲朔謎離」(ボクサクメイリ)じゃあるまいし。。。。さらに、は耳が無く、目で音を聴くともいう。はぁ?ですね。こんな珍説が「淮南子」にも出てくるらしいのですが。。。。。如亭は荒唐無稽と一刀両断、丁寧に解説してくれます。面白いですよ。これであなたもスッポン通になれる。

 《29 その二》

 本草綱目の諸説、笑ふ可き者多し。鰈の一目並び行くこと、前幅既にその非を弁ず。更に笑ふ可きの最も甚だしき者有り。又た弁ぜざることを得ず。曰く、「は純雌にして雄無し。蛇及び黿を以て匹と為す」と。比目は自ら是れ双目独行す。団魚何ぞ曾て純雌にして雄無からんや。惟だ此の形状相おなじくして、遽には別け難きのみ。鑑定、法有り。我、今筆を援ちて、聊か為に本草を閲する者の目を刮せん。尾尖り出て甲外に在る者は即ち雄なり。曲りて甲内に在る者は即ち雌なり。出る者は卵無く、曲る者は卵有り。卵味尤も美なり。又た曰く、「、耳無し。目を以て聴くを為す」と。淮南子の「耳無くして神を守る」を引きてこれを証す。豈に李時珍が前生、此れ為るか。若し然らずんば、聴不聴、何ぞ以てこれを知らん。一を為す可し。

 ■「本草綱目」(ホンゾウコウモク)は、「中国の本草学史上において、分量がもっとも多く、内容がもっとも充実した薬学著作。作者は明朝の李時珍(1518~1593年)で、1578年(万暦6年)に完成、1596年(万暦23年)に南京で上梓された。日本でも最初の出版の数年以内には初版が輸入され、本草学の基本書として大きな影響を及ぼした。中国では何度も版を重ねたが、日本でもそれらが輸入されるとともに和刻本も長期に亙って数多く出版され、それら和刻本は3系統14種類に及ぶ」(wikipedia)。

 ■「鰈」は訓み問題。→「かれい」。「玉餘魚」とも書く。音読みは「チョウ、トウ」。「鰈魚」(チョウギョ)。「詩本草」の23段では、本草綱目に「一目並び行く」、つまり、鰈は目が一つしかなく、二匹が合体して一匹のように泳ぐ習性がある、と書いてあるのですが、如亭は「とんでもないデマ。一匹ずつ泳ぐのだ」と実証例を挙げて論述しています。

 ■「黿」は「ゲン、ゴン」で「おおがめ」と訓む。配当外で「黿鼉」(ゲンダ=大形のカメとワニの類)、「黿鳴鼈応」(ゲンメイベツオウ)は、大形のカメが鳴くと、スッポンがこたえる、転じて、君臣が感応しあうことのたとえ。「琴瑟相和」みたいで、意味はなんとなく通る。

 ■「匹」(ヒツ)は、配偶、たぐい、ペア。「匹耦」(ヒツグウ)、「匹儔」(ヒッチュウ)、「匹夫匹婦」(ヒップヒップ)。

 ■「何ぞ曾て」は「なん・ぞかつ・て」と訓み、どうして~か。反語の漢文訓読語法の基本です。

 ■「遽には」は訓み問題。→「にわか・には」。音読みは「キョ」。「あわただ・しい」とも訓む。「遽急」(キョキュウ)=「遽疾」(キョシツ)、「遽止」(キョシ)、「遽色」(キョショク)、「遽人」(キョジン)、「遽然」(キョゼン)、「遽卒」(キョソツ)、「駭遽」(ガイキョ)。

 ■「援ちて」は「も・ちて」と表外訓み。この場合は、筆をとるということですね。

 ■「目を刮せん」は「め・をカツせん」。刮目させる。「刮」は「けず・る」「こす・る」「こそ・げる」と訓む。「刮目」は、目をかっと見開いてよく見る。特に期待し、注意して見る。「刮刷」(カッサツ)、「刮磨」(カツマ)=「刮摩」。

 ■スッポンの雄雌の見分け方→「尾尖り出て甲外に在る者は即ち雄なり。曲りて甲内に在る者は即ち雌なり」。簡単じゃないですか。この鑑定方法だと、一目瞭然ですよ。本草綱目はいい加減ですね。

 ■さらに、本草綱目は「、耳無し。目を以て聴くを為す」と記述し、これは淮南子の「耳無くして神を守る」を傍証としているようですが、如亭は「豈に李時珍が前生、此れ為るか。若し然らずんば、聴不聴、何ぞ以てこれを知らん。一を為す可し」と、ちゃんちゃら可笑しいぞと断じています。

 にはさらに別名があって「神守」(シンシュ)という。李時珍は、これの由来として淮南子には「は耳無くして神を守る、神守の名此を以てす」と書かれているとして、引き合いにだしているが、如亭は、あなた(李時珍)はスッポンでないのに、どうして「聴不聴」が分かるのか教えてほしいというのです。

 ■「一」は「イッキャク」。大笑い。「」は配当外の漢字で「キャク」「わら・う」。大口を開けて大袈裟に笑うさまを表わします。此の音符で「キャク」と読むのは難しい。さきほどの「遽」は「キョ」。「醵」も「キョ」。口の上、鼻の下の窪んだところ、鼻溝のことを「肉月+」といいますが、これも「キャク」と読む。

 そこで、淮南子の一節を調べてみました。巻17・説林訓8~9です。

無耳、而目不可以蔽、精於明也;瞽無目、而耳不可以塞、精於聰也。遺腹子不思其父、無貌於心也;不夢見像、無形於目也。蝮蛇不可為足、虎豹不可使緣木、馬不食脂、桑扈不啄粟、非廉也。秦通塞、而魏築城也。饑馬在廄、寂然無聲、投芻其旁、爭心乃生;

 「」(ベツ)は「鼈」の異体字。「瞽」(コ)は「めくら」。「蝮蛇」(フクジャ)は「マムシ」。「桑扈」(ソウコ)は「青雀、鵤/斑鳩/豆回し」。「」(コウ)は「河南・陝西両省の境にある険しい山の名」。「芻」(スウ)は「まぐさ、飼い葉」。

(迂生の勝手解釈)

 スッポンは耳がないが、めくらではない。目はちゃんと見える。だから、耳がない代わりに見る能力が優れるのである。瞽は目が見えないが、耳は達者である。だから、耳はちゃんと聞こえる。目がない代わりに聴く能力が優れるのである。父親が死んでから誕まれた子供は、その父親を尊敬することはない。その顔を見たことがないからである。ましてや夢に見ることもない。その顔を見たことがないからである。このように、見えなければ見えないでいい、聞こえなければ聞こえないでいい、知らないものは知らないでいい。

 マムシに足をつけても、虎や豹を木に登らせてもいけない。馬が脂を食べないし、青雀が粟を啄まないのは、生まれ持った性質のせいであり、清廉が理由なのではない。秦が山の塞(とりで)を修め通じれば、魏は城を築いて備える。馬が飢えて厩舎にいれば、寂然として声を出さないが、まぐさが傍にあると盗られまいとして競争心が煽られるのである。人為的でない、持って生まれたままの自然体が一番いいのである。そうすれば無用な争いごとはなくなるのである。

 で、結論なんですが、李時珍が淮南子に書いてあるとした「鼈は耳無くして神を守る、神守の名此を以てす」はどこにも記述がないことが判明。つまり、淮南子を引き合いに出しているのはアバウトだったということですね。李時珍がどこかからの請け売りで書いたようです。聞き齧りの知識で知ったかぶりすると、結局は「御里」が知れますよ~。誡めましょう。

 本日は以上です。

 【今日の漢検1級配当漢字】

鼈(鱉)、澹臺、鱓(鱔、鱣)、鰓、咥、庠、喩、淮、刮、遽、豈、鰈、餘、瑟、耦、儔、駭、醵、瞽、蝮、扈、魏、饑、芻、陝、煽、齧、誡
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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