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鳩山さん、後入れ先入れ…どっちが安全?=世説新語

「世説新語」(明治書院「新書漢文大系21」)は王羲之の七男であり、同じく五男の王子猷の弟である王献之(344~388、字は子敬)の逸話を、二回シリーズでお届けします。父の羲之に負けず劣らない能書家でした。父を「大王」、息子を「小王」、二人合わせて「二王」とか「羲献」ともいう。

太極殿始めて成る。王子敬、時に謝公の長史ア)り。謝、版を送り、王をして之に題せしむ。王、不平の色有り。信(使者)にイ)げて云う、門外に1)テキチャクす可し、と。謝、後に王を見て曰わく、之に題して殿に上(のぼ)さばウ)何若。昔、魏朝の韋誕の諸人も、亦自ら為せしなり、と。王曰わく、魏阼(ギソ)の長からざる所以なり、と。謝、以て名言と為す。(方正篇62)

1)「テキチャク」=擲著。投げ捨てておくこと。「著」を「チャク」と読むのは表外の音読みか。「着」の本字で「つく」「おく」の意で、動詞の後ろについて「動作が届くことを表す助動詞」。この場合は「擲つ」で門の外に放り投げてしまうことをいう。

ア)「為り」=た・り。表外訓み。「為る」は「た・る」。「である」と断定の漢文訓読用法。

イ)「語げて」=つ・げて。「語げる」は「つ・げる」、「語ぐ」は「つ・ぐ」。表外訓み。

ウ)「何若」=いかん。「どうであるか」「どのようであるか」「いかがであるか」と訳す。事実・様子・状態を問う疑問の意を表す漢文訓読用法の一つ。何如、何奈、如何、奈何、奈、云何、奚若、曷若、那何も「いかん」。いずれにせよ訓めるようにはしておきましょう。書くのはどれか一つ覚えておけばいいですから。

【解釈】 太極殿が落成した時、王子敬(王献之)は、謝公(謝安)の長史であった。謝公は版(題額の板)を送って、王に揮毫させようとした。王は不平を顔に表し、使者に告げて言った。「門の外へ投げ捨てておけ」。謝公は、のちに王子敬に会って言った。「題額を書いてから御殿にあげたらどうかね。昔、魏朝の韋誕たちもみなそうしたものだよ」。王は答えた。「それこそ、魏朝の命運が長続きしなかったゆえんです」。謝公は名言であると思った。

明治書院によれば、太極殿(タイキョクデン)は「天子が居住する正殿の名であり、これは魏の明帝曹叡が洛陽に設けた正殿を太極殿と名付けたことに由来する」とあります。いわば国家の象徴でしょうね。逸話の中で、「謝」とあるのは東晋の政治家「謝安」(320~385)のこと(後日取り上げます)。彼が王献之に言った言葉に出てくる「韋誕」(イタン、字は仲将、179~253)は、魏に仕えて光禄大夫となった人で、能書家として知られたという。世説新語「巧藝篇3」によれば、魏の明帝の時代に宮殿が建造された時、大工が誤って何も書いていない題額を先に殿上にあげてしまったため、足場をかけて韋誕をのぼらせ題額に書をしたためさせた。その心労により、韋誕の鬚や頭髪はことごとく真っ白になったという、とあります。

王献之の言辞はこの故事を踏まえています。「韋誕のような重臣に鬚や頭髪が真っ白になるほどの危険な目にあわせる横暴さこそが、魏の命運が長続きしなかった理由です」といい、同じように自分にも無理にでも太極殿の題額を書かせようとする、謝安らに対し、その横暴さがまた魏と同じように破滅への道につながりますよ、と警鐘を鳴らしたのです。

王献之がどうして題額に書きたくなかったのか、その背景はよくわかりません。韋誕の場合はすでに上げてしまった題額に、危ない体勢で書かせようとしたのですが、王献之は先に書いてから上げればいいというように大きな違いがあります。単に書きたくなかっただけなのかもしれません。書きたくない理由を韋誕の故事を挙げて断っていると言った方が正確でしょう。この私を危険な目に遭わせてよかろうはずがない。結構強気です。これに対して、この言葉について謝安が名言だとして納得したのもよく分からない。この辺りはなにか「阿吽の呼吸」的なものがあるのでしょう。

さて、本人の意に反して無理矢理何かをさせられる場合は気をつけなければなりません。

ここにきて民主党を中心とする連立三党政権の脆さが浮き彫りになっており、“巨象”である民主党が“蟻”の社民党、国民新党によっていいように弄ばれています。形振り構わない蟻たちの動きは奇異な感じがします。衆議院と参議院という「二院制の複雑なバランス」がこれを許しているわけですが、巨象と蟻というアンバランスさが逆転しているさまは、国民の眼には“まともな姿”としては映っていないのは明らか。

まさに、韋誕が無理矢理、白板の題額に字を書かされた故事と同じではないか。連立合意の段階からこうなることは見えていました。これは、いわば「白紙の題額」だ。大まかに骨らしきものだけを書いて、個別の詳細については、連立政権を発足させてから書いていけばいいということですよ。兎にも角にも「スタート」させることが是だった。

ところが字を書こうとしている鳩山首相の下からああでもないこうでもないとチャチャが入る。普天間だ、経済対策だ、郵政だ…肝心の鳩山首相は強力なリーダーシップを発揮するどころか、母親からの巨額贈与問題が検察捜査の最終局面にあり、自分の脛に傷が付こうとしていることもあって足元が覚束ない状態です。蟻どもはそこを突いている側面もあるわけですが、鳩山はあちこちに気を使うばかりでもはやみるみる「鬚や頭髪が真っ白」に。。。

そこで王献之の台詞です。「魏阼の長からざる所以なり」。巨象・民主政権は総選挙の圧勝から「長期政権」になると思われています。しかし、無理矢理、意に反した内容を題額に書こうとしていると、いつ足元を掬われても可笑しくないでしょう。しっかりとした字を書いてから題額を飾ろうよ。順番が逆だった。本人たちは「マニフェスト」という題額があるということを言うでしょうが、ここにきて「骨抜き」になろうとしている。子供手当て然り、高校無償化然り。。。

日本という国に壮麗なる「太極殿」、すなわち民主政権はできました。そこに飾るべく一見、立派な題額も飾った。。。まではいいが、肝心の字が書いていない。おいおい、それは約束違反じゃないか。国民は思い始めていますよ。蟻如きに振り回されている巨象がふらふらふらつく姿は見たくない。日米安保も経済対策も新年度予算ももっと毅然と地に足のついた対応を望む。政権を取るという御旗だけがあった政党だから致し方無いが、我々にはもう選択肢がない。

もっと国家の夢を語ってほしい。国民に発するメッセージは、国民自らが動けば手に入る夢でなければならない。何とかに描いた餅ではない。坐していてはダメで、動かなければ、いや動けば。。。そのためには大局観のある夢。

今年の漢字は大方の予想通り「新」となりましたが、新は旧なり。新しいことが是である時期は過ぎましたよ。つまり、「新」というのは常に、相対的な価値でしかない。次から次に「新」が生まれるから、「新」と言った時点ですでに「旧」だ。清新さ、新奇さだけをアピールすればよかった、痘痕も靨にしか見えない「蜜月の時期」はとうに終焉しているのです。

三党連立でも、四党でも五党でもなんでもいいが、実行可能な骨太の題額を書くべきではないか。そして堂々と太極殿に飾る。あとはそれを実行することに邁進すればいい。何匹の蟻が何を吼えようとも、ちくりと刺そうとも。。。しかしながら、影の総理・小沢一郎は来年の7月までは沈黙を守り通すのでしょうね。「本当の題額を書くのはそのあとでいい」…でしょうか?いわば「仮の題額」か。間に合うかなぁ…?王献之の台詞のようにならないことを祈ってはいますよ~。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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