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身代わりになったのは兄か?弟か?=世説新語

「世説新語」(明治書院「新書漢文大系21」)の王徽之シリーズの四回目です。弟の王献之と同時に病に罹り、弟が先に逝く別れのシーン。涙なくしては読めません。

王子猷・子敬俱に病篤くして、子敬先ず亡ず。子猷左右に問う、何を以て都て消息を聞かざる。此れ已に喪せしならん、と。語る時了に悲しまず、便ち輿を索め来りて喪に奔るも、都て哭せず。子敬素より琴を好む。便ちア)ちに入りて、1)レイショウの上に坐し、子敬の琴を取りて弾ず。弦既に調わず。地に擲って云う、子敬、人と琴と俱に亡ぜり、と。因りて2)ドウゼツすることイ)久しく、月余にして亦卒す。(傷逝篇16)

1)「レイショウ」=霊牀。死者の亡骸を載せる台。霊座、霊床ともいう。「牀」は「ゆか」「とこ」。

2)「ドウゼツ」=慟絶。ひどく悲しんだ後に気絶すること。慟哭(ドウコク)、慟泣(ドウキュウ)は必須です。「慟」は「なげく」。

ア)「径ちに」=ただ・ちに。表外訓み。

イ)「良」=やや。表外訓み。「やや」はほかに、「漸、稍」。


【解釈】 王子猷(王徽之)と子敬(王献之)は共に病が重くなり、弟の子敬が先にさんくなった。子猷は左右に尋ねて言った。「どうして彼からの便りが一向に来ないのだろう。これはもう死んだのに違いない」。そう語った時、少しも悲しまず、すぐに輿を用意させ、喪にかけつけたが、ここでも全く哭泣しなかった。子敬は平素から琴を好んでいた。子猷はつかつかと部屋に入り、霊台の上にすわり、子敬の琴を取って弾いたが、絃の調べもととのわなかった。そこで琴を地に投げつけて言った。「子敬よ、人も琴もともに亡んでしまった」。そこで慟哭してしばらく気を失っていたが、彼も一か月ばかりして死んでしまった。

明治書院によると、王徽之、王献之(字は子敬)兄弟の死をめぐって、劉孝標の注釈は劉義慶の「幽明録」から次の話を紹介するとあります。すなわち、

太元年間に遠方からやってきた法師で、「人の寿命が終わろうとする時、もしその身代わりになろうと思う者がいれば、死者を生かすことができる」という者があったが、人々はその言葉を信じていなかった。王献之が病気で危篤になった時、兄の王徽之がその法師に「わたしの余命で弟を救ってほしい」と頼んだ。法師は、「そもそも死者の身代わりになるためには、身代わりになる者の寿命に余裕がなければなりません。しかし今あなたの寿命は尽きようとしていますので、死者の身代わりにはなれません」と答えた。王徽之もかねて背中に腫瘍を患っていたが、王献之が亡くなったと聞くと、胸を叩いて悲しみ、背中の腫瘍はつぶれてしまった。かくして法師の言葉は事実であったのである。

兄弟が相次いで病気になり、弟が先に死んだのですが、兄は自分の命と引き換えに弟を助けてほしいと願った。しかし、豈図らんや兄の寿命は極わずかだったためその願いは叶えられなかった。弟の後を追うようにして兄もこの世を去った。何とも言えないほど哀しい死のシーンです。逆に言うと、弟は兄の命を助けたのかもしれません。自分の余命をもって、兄を生き長らえさせた。それで弟が先に逝くことになった。しかし、その余命はそれほど長くはなかったため、兄の命も長続きせず、ほどなくして死んでしまった。…、こう考えても悲しすぎる。人の寿命、余命とは一体何なのか?天寿を全うするとはどういうことなのか?人生サドンデスですかねぇ…。
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Author:char
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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