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「泣斬馬謖」の怨みかはたまた口が滑ったか…=世説新語

「世説新語」(明治書院「新書漢文大系21」)の王徽之シリーズの三回目です。

郗司空(チシクウ)の北府を拝するや、王黄門、郗の門に詣り、拝して云う、1)オウヘンの2)ショウリャクは、其の長ずる所に非ず、と。ア)驟々之を詠じて已まず。郗倉、嘉賓に謂いて曰わく、公は今日拝す、子猷、言語殊に不遜なり。深くイ)す可からず、と。嘉賓曰わく、此は是れ陳寿が諸葛の評を作せるなり。人、汝が家を以て武侯に比す、復た何の言う所あらん、と。(排調篇44)

1)「オウヘン」=応変。臨機応変の略。事情の変化を受け止めてうまく物事を処理していくこと。意外に「応変」は浮かばないかも。

2)「ショウリャク」=将略。将軍としての軍事上の計画・はかりごと。鈔略、省略、抄掠、正暦などが同音異義語。

ア)「驟々」=しばしば。驟と一字で「しばしば」。「屢、亟、数」と同じですが、この訓みを文中で見つけるのは珍しいケース。通常は「にわかに」の訓読みで「シュウ」が音読み。驟雨(シュウウ=にわか雨)、驟至(シュウシ=急に雨が降ったり風が吹いたりする)、驟歩(シュウホ=はやあし)。

イ)「容す」=ゆる・す。表外訓み。「ゆるす」はほかに、「縦す、赦す、免す、聴す、予す、侑す、允す、准す、原す、宥す、恕す、放す、貰す、釈す」。」


【解釈】 郗司空(郗愔)が北府(徐州刺史)を拝命した時、王黄門(王徽之)が郗の家に来て、拝礼して言った。「臨機応変の将才は、この人の得意とするところではない」。王は何度も口ずさんだ。郗倉は兄の嘉賓(郗融)に言った。「父君(郗愔)は本日拝命なされたばかりなのに、子猷(王徽之)の言葉はまことに不遜です。決して許すことができません」。嘉賓は言った。「あれは陳寿が諸葛亮を批評したことばだ。人がお前の父親を武侯(諸葛亮)になぞらえてくれたのだから、何の文句を言うことがあろうぞ」。

此のお話で出てくる「北府」とは、徐州(後漢時代以来の府名で今の江蘇省の北西部)の刺史(地方長官)。王徽之が郗愔(チイン)を評した台詞、「応変の将略は、其の長ずる所に非ず」は、晋の陳寿(233~297)が「三国志」諸葛亮伝の結びに記したものです。このため、陳寿は後世の“諸葛亮フリーク”を敵に回すことになりました。

明治書院によりますと、「晋書」陳寿伝は、陳寿がこのような諸葛亮批判のコメントを残したのは、馬謖が「豈亭(ガイテイ)の戦い」で敗れ、いわゆる“泣いて馬謖を斬る”の故事として知られる通り諸葛亮によって処刑された時、馬謖の参軍であった陳寿の父も連座して髠刑(コンケイ=頭髪を剃る刑罰)に処されたため、それを怨んでのことと伝える、と記されています。続けて、「しかしこれは根も葉もない噂に過ぎず、陳寿は蜀出身の歴史家として『蜀諸葛亮集』を編集するなど、実際は深く諸葛亮に傾倒していたようである」とフォローしています。

王徽之のことよりも諸葛亮と陳寿の関係が主役になってしまいました。あの土井晩翠が「星落秋風五丈原」で長々と詠じ、後に「出師の表」を劉備の息子劉禅に奏上した名将・諸葛亮はやはり中国史における永遠なるヒーローなのかもしれませんな。「出師の表」は近々、このblogで詳細に取り上げますのでご期待ください。次回ももう少しだけ王徽之シリーズは続きます。
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