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母親が死んでも「ヒトン」を食べた阮籍=世説新語


「世説新語」(明治書院「新書漢文大系21」)の「竹林の七賢」シリーズはまず、「阮籍」と「嵆康」(ケイコウ)の二人を取り上げます。

阮籍、母を葬るに当たりて、一1)ヒトンを蒸し、酒を飲むこと二2)、然る後に訣れに臨み、直だ云う、窮れり、と。ア)て一たび号するを得て、因りて血を吐き、3)ハイトン良久しうす。(任誕篇9)

1)「ヒトン」=肥豚。肥えて美味な豚の肉。ヒトンと言えば「肥遯(肥遁)」がありますが、こちらは心に余裕を持ち俗世間を離れて暮らすこと。易経にある言葉です。今回は「蒸す」のですから普通に豚肉のこと。肥馬軽裘(ヒバケイキュウ=金持ちの出で立ち)も。

2)「ト」=斗。酒の量を表す単位。一斗は十升(周代では奕1・94㍑とやや少なめ、日本の一斗は約18㍑)。「斗」の関連では序でに、斗筲之人(トショウのひと=小人物)や斗卮酒(トシシュ=一斗入りのさかずきの酒)、斗折蛇行(トセツダコウ=羊腸小径)なども想起しておこう。

3)「ハイトン」=廃頓。ぐったりするさま。辞書などに掲載はなく稍難問です。

ア)「都て」=すべ・て。表外訓み。基本。「すべて」はほかに、「渾て、凡て、惣て、総て、闔て」。

【解釈】 阮籍は母を葬るに当たり、一匹の肥えた豚を蒸して、酒を二斗飲んだ。その後で母との別れに臨むと、ただこういった。「おしまいだ」。一声、号泣したきりで血を吐いて、しばらくの間、気が抜けたようにぐったりしていた。

父母の喪に服する心得として、「儀礼・葬服」にある「斬衰斉衰」(ザンサイシサイ)が代表的な言葉としてあります。斬衰は最も重い喪服で3年、父親に対するもの。斉衰はその次で母親に対するもので同じく3年、その他の親戚は1年です。阮籍の取った態度は明らかにこの儀礼に負いています。

ただし、明治書院「新書漢文大系21」(P81)によると、「(迂生注:中国文学者である)吉川幸次郎氏(迂生注:1904~1980)は『阮籍伝』の中で、世間一般の儀礼など無視しながらも母との最期の別れに臨んで『窮れり』と号泣して吐血した阮籍を、『実は最も純粋な心情のもち主』であったとし、彼が世間の習俗にこだわらなかったのは、それがたまらない偽善として映じたからだと説明する」と記しています。

阮籍の母親をめぐる逸話は別のところでも、「母の喪中に文王司馬昭の宴席で酒を飲み肉を食べ続けたこと」(任誕篇2)、「母の喪中に弔問客がやってきても酒に酔っ払って、ざんばら髪で足をなげ出して座りこみ、何の礼もしなかったこと」(任誕篇11)なども紹介されています。母親を思う気持ちは誰にも負けないし、それは形式で表すものでもないということでしょうか。まともっちゃあまともです。でも、いささか表現方法は子供じみていますがね。

王戎4)ジャッカンにして阮籍に詣る。時に劉公栄(リュウコウエイ)坐に在り。阮、王に謂いて曰わく、偶々二斗の美酒有り、当に君と共に飲むべし。彼の公栄なる者は預る無けん、と。二人觴を交え5)シュウサクするに、公栄遂に一杯を得ず。而も言語談戯して、三人異なる無し。或いは之を問う者有り。阮答えて曰わく、公栄に勝る者は、イ)に酒を飲まざるを得ず、公栄に如かざる者も、与に酒を飲まざる可からず、唯だ公栄のみは、与に酒を飲まざる可し、と。(簡傲篇2)

4)「ジャッカン」=弱冠。男子のはたち。基本漢字ですが敢えて問われると「若干」などと答えてしまうかも。。周代では男子は二十歳になると元服の式を行い冠をつけたことから。「弱」は「わかい」の意。

5)「シュウサク」=酬酢。客と主人が互いに酒を勧めて飲み合う。献酬、杯のやり取り。差しつ差されつ。「酬」は、主人から客に返盃すること、「酢」は、客から主人に返盃すること。「酬」「酢」ともに「むくいる」と訓む。

イ)「与に」=とも・に。表外訓み。この場合は漢文訓読の副詞語法。一緒に、連れだってという意。

【解釈】 王戎がまだ二十歳のころ、阮籍を訪れた。その座に劉公栄(劉昶=リュウチョウ)も居合わせた。阮が王に言った。「ちょうど二斗のいい酒がある。君と一緒に飲もうではないか。あの公栄などという男は仲間に入れまい」。二人は盃をやり取りして酒を酌み交わしたが、公栄はついに一杯ももらえなかった。それでも、言論談笑は三人ともに変わるところがなかった。ある人がこのことを尋ねると、阮が答えて言った。「公栄以上の者とは、ともに酒を飲まねばならない。公栄以下の者とも、ともに酒を飲まねばならない。ただ、公栄とは、ともに酒を飲まずともよい」。

世説新語「任誕篇4」には、この阮籍と同じような台詞を吐いた劉昶の逸話も紹介されている。

劉昶は人と酒を飲むのに、身分を問わずいっしょに飲んだ。ある人がこれをとがめると、劉昶は答えていった。「俺以上の者とは飲まねばならん。俺以下の者とも飲まねばならん。俺と同じ程度の者とも、やはり飲まねばならん」。こうして劉昶は一日中皆といっしょに飲んで酔っ払っていた。

劉昶が阮籍の台詞をうまくこじつけて酒を飲む口実に作り変えています。小事にこせこせしない豪快さが浮き彫りにされていますが、彼の詳しい伝記は不明とあります。

続いて「嵆康」。弊blogでも一度だけ引用したことがあります。(ここ)=「嵆叔夜之為人也、巌巌若孤松之独立、其酔也、傀俄若玉山之将崩」(世説新語・容止篇)。「蒙求」にも「叔夜玉山」として採録されています。

嵆康汲郡の山中に遊び、6)ドウシ孫登に遇い、遂に之と遊ぶ。康去るに臨み、登曰わく、君才は則ち高し、保身の道は足らず、と。(棲逸篇2)

6)「ドウシ」=道教の修行をした人。神仙の術を修めた人。仙人のことか。

【解釈】 嵆康が汲郡の山中に遊んだ際、道士の孫登に出会い、そのまま彼と共に遊んだ。康が別れてこようとする時、登が言った。「あなたは才能がすぐれているが、保身の道は十分でない」。

これは嵆康の非業の死を暗示したエピソード。孫登から「保身の道は足らず」と言われてしまいます。ガードが甘いということでしょうか。明哲保身。。。。便ちお前は明哲ではない。だから、気をつけなさいというアドバイス。にもかかわらず結局は友人の冤罪を証言しようとして、かえって自分が讒言にあい処刑されてしまいました。嵆康は洛陽の東市で処刑される段になっても顔色一つ変えず、琴を持ってこさせて「広陵散」という曲を奏でて、曲が終わると「広陵散、今に於いて絶えん(この広陵散も、今を最後に途絶えてしまうのだ)」と言ったと「雅量篇2」にあります。この「広陵散」は源氏物語で光源氏が琴で奏でるシーンがあります。明哲ではなかった嵆康ですが、中国音楽史上でも指折りとされる「名曲」を抱えてこの世から消えてゆきました。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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