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稀代のモラトリアム集団「竹林の七賢」=世説新語

世説新語は「竹林の七賢」シリーズに突入いたします。

竹林の七賢は三国時代末期、俗世間を避けて竹林で清談に耽った男たちの総称。魏から晋への王朝交代をめぐる不安定な政情に対する忿怒や、孔子ら儒教が説いた偽善性に対する不信から、最も舌鋒鋭かった阮籍は礼法の士を嘲り、君臣貴賤の別という身分制を否定しました。「七人」という存在感は、黒澤明の「七人の侍」のモデルになった…というのは大ウソですが、古来、「七」というのは何かしらシンボリックな数字であり、「三人寄れば文殊の知恵」ならぬ、「七人集まれば何かが起こせる」みたいな期待感を抱かせます。

ただし、彼らは堂々と世間に打って出て「事を起こした」わけではなかった。むしろ、斜に構え、権力者から背を向け、空理空論を弄んだのです。自分らは安全な位置にいて犬の遠吠えをやったのです。そうした隠遁生活を送った者として後世の文学者や詩人、画家たちに格好の「題」を提供したのは確かですが、何か「実」を残したわけではなかったとは言い過ぎでしょうかね~。

陳留の阮籍・譙国の嵆康・河内の山濤、三人年皆相比し、康年少にして之にア)ぐ。此の1)ケイに預る者は、沛国の劉伶・陳留の阮咸・河内の向秀・琅邪の王戎なり。七人常に竹林の下に集い、2)シイ3)カンチョウす。故に世に竹林の七賢と謂う。(任誕篇1)

1)「ケイ」=契。契合(ケイゴウ)で「親密にする、意気投合する」の意。

2)「シイ」=肆意。志をほしいままにする、わがままにふるまう。肆志(シシ)ともいう。「肆」は「ほしいまま」。放情肆志(ホウジョウシシ=勝手気儘)。

3)「カンチョウ」=酣暢。酒を飲んでのんびりした気分になること。また、その気分。「酣」は「たけなわ、酒を飲んでうっとりするさま、酒宴が佳境に入る」。「暢」は「のびる、のびやか」。

ア)「亜ぐ」=つ・ぐ。表外訓み。二番目という意味。亜槐(アカイ=大納言の唐風の呼び方)、亜卿(アケイ=九卿に準ずる官のこと)。

【解釈】 陳留の阮籍・譙国の嵆康・河内の山濤の三人は、年がみな近く、康がその中では年少で、他の二人についでいた。彼らの交わりにあずかったものは、沛国の劉伶・陳留の阮咸・河内の向秀・琅邪の王戎だった。七人はいつも竹林のもとに集まり、気ままに楽しく酒を酌み交わした。そこで世間ではこれを「竹林の七賢」と呼んだ。

ここで竹林の七賢の略歴を簡単に記しておきます。

■「阮籍」(ゲンセキ、210~263)

字は嗣宗。かつて歩兵校尉に任ぜられたので、阮歩兵とも称する。この人が有名なのは「白眼青眼」。気に入らない俗物を白目で睨む半面、お気に入りの者は青目で迎えたという故事が「晋書」阮籍伝に記されています。酒を愛好し奇行も多い。一方で琴を愛する風流人。世間一般の礼教に背を向けて、易や老荘思想に根差した独自の価値観で身を処した彼の人生観や生き方は後世に大きな影響を残しています。著に「詠懐詩」八十余篇、「達荘論」などがあります。

■「嵆康」(ケイコウ、224~263)→新書漢文大系では「嵆」「禾篇+尤/山」となっている。異体字ですね?

魏・晋の思想家。字は叔夜。魏帝曹操の曾孫を妻に迎えました。中散大夫に任ぜられ、世に嵆中散とも呼ばれています。老荘の学を好み、琴・書画にも堪能でした。鍾会に憎まれ讒言に遭い晋の文王司馬昭に殺されました。著に「養生論」があり、「嵆中散集」に収録されています。

■「山濤」(サントウ、205~283)

字は巨源。晋の宣王司馬懿の親類。武帝司馬炎の時、吏部尚書に任ぜられ、人材の登用に際しての論評が的確であったため「山公啓事」と称賛されました。人物として度量が大きいことが有名で「蒙求」巻上にも「山濤識量」として紹介されています。

■「劉伶」(リュウレイ、?~?)

字は伯倫。官は建威参軍。武帝司馬炎の泰始年間(265~274)の初め、何事も為すこと無く国を治めるという「無為の化」を献策して罷免されました。無類の酒好き。

■「阮咸」(ゲンカン、?~?)

字は仲容。阮籍の甥。官は散騎侍郎。音楽的才能に恵まれ、琵琶を能くしました。今もなお、阮咸が作ったと伝えられる弦楽器が残っており、その名もずばり「阮咸」といいます。

■「向秀」(ショウシュウ、227?~272)

字は子期。官は黄門侍郎・散騎常侍に至る。老荘を好み、「荘子」に注釈を施したが、未完成のまま亡くなった。嵆康との親交が深く、その歿後に昔の交遊を追想して作った「思旧賦」(「文選」)が名高い。

■「王戎」(オウジュウ、234~305)

字は濬仲。王導、王羲之らが輩出した瑯邪臨沂(ロウヤリンギ)王氏の一族。官は司徒・尚書令に至る。少年にして異彩を放ち、その眼光爛々として「巌下の電の如し」と評されたことなどが「蒙求」巻上「王戎簡要」に載っています。

次回から竹林の七賢にまつわる逸話を紹介します。モラトリアム臭芬芬ですよ~。
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Author:char
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2006.10 準1級合格
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