スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

土井晩翠も詠んだ諸葛亮が司馬懿に贈った「キンカク」=世説新語

弊blogの世説新語シリーズでは三国のうち「魏」関連の人物が続いていますが、本日は「蜀」の国から、劉備が三顧の礼を尽して迎えた丞相の「諸葛亮」(字は孔明、181~234)を取り上げます。後世、名軍師と称され、劉備、劉禅の親子に仕えました。

諸葛亮の渭浜にア)るや、関中震動す。魏の明帝深く晋の宣王の戦わんことを懼れ、乃ち辛毗(シンピ)を遣わして軍の司馬と為す。宣王既に亮と渭に対して陣し、亮イ)誘譎を設くること万方なり。宣王果たして大いにウ)忿り、将に之に応ずるに重兵を以てせんと欲す。亮1)カンチョウを遣わして之をエ)わしむ。還りて曰わく、一老父有り、毅然として2)コウエツに仗り、軍門に当たりて立つ。軍出ずるを得ず、と。亮曰わく、此れ必ず辛佐治なり、と。(方正篇5)

1)「カンチョウ」=間諜。敵情を探るスパイのこと。忍びの者。努々「浣腸」を想起しないように。。。間使(カンシ)、間人(カンジン)、間者(カンジャ)、諜人(チョウジン)、諜者(チョウシャ)、諜候(チョウコウ)ともいう。「間」も「諜」ともに「間う(うかが・う)」「諜う(うかが・う)」と動詞として「スパイする」の意もあります。↓ウ)「覘う」も同様の意があり。

2)「コウエツ」=黄鉞。黄金で飾ったまさかり。天子が征伐に出かける時のしるしとして用いた。後に、天子の護衛兵を指すようになった。「仗り」は「よ・り」。ここではそのまさかりを杖代わりについてという意。老人ですから。

ア)「次る」=やど・る。表外読みです。宿る、軍隊が一泊するの意。ぜひとも覚えておきましょう。

イ)「誘譎」=ユウケツ。だましてそそのかすこと。稍難しい言葉です。「譎」は「いつわる」とも訓む。譎詐(ケッサ=譎詭、譎欺)、譎怪(ケッカイ=あやしい)、譎諫(ケッカン=遠まわしにいさめる)、譎妄(ケツモウ=手の込んだうそ)、譎謀(ケツボウ=だますこと=譎数ケッスウ、譎計ケッケイ)。

ウ)「忿り」=いか・り。「忿る」は「いか・る」。音読みは「フン」。忿然(フンゼン=ぷんぷんおこっているさま)、忿怒(フンヌ、フンド=ぷんぷんおこる)、忿忿(フンプン=激しいいかり)、忿戻(フンレイ=かっとして乱暴に人と争う)、忿(フンレイ=激しくおこること)、不忿(フフン=納得がいかずいまいましい、唐代の俗語)。

エ)「覘わしむ」=うかが・わしむ。「覘う」は「うかが・う」。音読みは「テン」。覘候(テンコウ=じっくりとさぐりうかがう)、覘望(テンボウ=うかがい望む、遠くから様子を見る)。「うかがう」はこのほかに、伺う、俔う、候う、偵う、斥う、睨う、覗う、遉う、闖う。

【解釈】 諸葛亮が渭水のほとりに陣取ると、関中は大騒ぎになった。魏の明帝(曹叡)は、晋の宣帝(司馬懿)が陣を出て戦うことを大変心配し、そこで辛毗を遣って軍の司馬とした。司馬懿は亮と渭水をはさんで対陣していたが、亮はありとあらゆる挑発をした。司馬懿は果たして大いに憤り、大軍をもって応戦しようとした。亮が間諜を放って敵を探らせると、帰ってきて言った。「一人の老人が毅然とした態度で黄金の鉞をついて、軍門に立ちはだかっていますので、敵軍は出動できません」と。亮は言った。「それはきっと辛佐治だ」と。

このエピソードは、建興5年(234)に渭水の南で諸葛亮と司馬懿(後の晋の宣王)の率いる魏軍とが戦いを交えた、所謂「五丈原の戦」(ゴジョウゲンのいくさ)を舞台としています。戦いに応じようとしない司馬懿に、諸葛亮が巾幗(キンカク)を送り付けた(世説新語では誘譎を設くる、となっている)ことが、「三国志」魏書・明帝紀の裴松之注、「晋書」宣帝紀、「蒙求」巻下「亮遺巾幗」に見えます。

明治の詩人土井晩翠もその詩集「天地有情」に収めた長篇詩「星落秋風五丈原」の一節で、


拒ぐは たそや敵の軍、
かれ 中原の一奇才
韜略深く 密ながら
君に向はん すべぞなき、
納めも受けむ 贈られし
素衣巾幗のあなどりも、
陣を堅うし手を束ね
魏軍 守りて出ざりき。


と詠じております。この詩の全文はmixi日記に掲載しております。IDのある方はlink(mixi)からどうぞ。かなりの長編ですが、漢検1級語彙が目白押し。諸葛亮にまつわる語彙もあちこちに散りばめられており、三国志の勉強でも大いに役立つはずです。いつの日か弊blog本編で取り上げてもいいかもしれません。

「巾幗」はいかにも漢検試験の書き問題で出そうな言葉で(いや既に何度か出題されているはずです、今後も要注意という意味)、「女性の頭巾と髪飾り、転じて女性そのもの」。諸葛亮が司馬懿に送り付けたその意図は、戦に応じない司馬懿を「それでも男か、女々しい、女みたいだ」と揶揄して、激昂させることにありました。つまり挑発です。「幗り」は一字で「かみかざ・り」とも訓みます。

果たせる哉、司馬懿は諸葛亮の誘いに乗って兵を率いて出ようとします。ところが、辛毗(字は佐治)が軍門に鉞(まさかり)を持って立ちふさがっていたため出陣できませんでした。このほか、「魏志」辛毗伝には、諫めを聞き入れようとしない魏の文帝曹丕が、そのまま内裏に入ろうとするのを、辛毗がその裾を引きとどめてなおも諌め続けた逸話(「蒙求」巻上には「辛毗引裾」として載る)もあり、辛毗は剛直で気骨ある人物だったことが窺われます。この逸話は辛毗のそうした人柄を髣髴とさせるものと言えましょう。。。。って諸葛亮のことよりも辛毗がメインになっちゃいましたね
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

profile

char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

calendar
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
recent entry
recent comment
category
monthly archive
search form
RSS links
links
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。