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于公高門は親父の力?孱顔はお顔を洗うの?=如亭山人遺藁

本日は「如亭山人遺藁巻二」(岩波書店刊行)の「画に題す」(文政十二年作)の後半六首です。まずは画の中では水墨画が最上だという如亭の自論を詩に詠んでいます。



水墨最も是れ上
何ぞ須ひん 5)サイショクを借ることを
吾が筆 一塵無く
吾が墨 五色有り

5)「サイショク」

采飾。彩色(色付け)を用いた装飾技法。意味的には彩色でも良さそうですが…。「采」は「いろどり」「あや」「もよう」。采薪之憂(採薪之憂)は「自分の病身をへりくだって言う語」(孟子・公下)。この場合は「采る」(とる)の意。采邑(サイユウ=領地)=采地。文采、雑采。采芹(サイキン=学校に入学すること)、采詩之官(サイシノカン=周代の官職名、民間の詩を採集した)、采女(サイジョ=女官)、采椽(サイテン=質素な建築用のクヌギのたるき)、采薇歌(サイビノウタ=伯夷叔斉が餓死する時に作った歌)。

この首は、画人・柏木如亭が、「彩色しない水墨画が最も優れている」という見解を示している点で非常に興味深いです。わたしの揮う筆には「一点の塵」も無く、その黒い墨は万物のもつ「青、赤、白、黒、黄の五色」を艶やかに表現できるのだ。色鮮やかな絵具などは要らぬ。魂を込めた筆があればいい。このblogもそうありたい。あれこれ飾りは要らない。一筆入魂です。



是れ6)キョウカンの路に似たり
山川数十程
憾む 歩を容るることの得難きを
一枕 7)ムチュウに行く

6)「キョウカン」

郷関。故郷のこと。盛唐の詩人、崔(サイコウ、704~754)の超有名な七言律詩に「黄鶴楼」というのがあり、この中の尾聯に「日暮郷関何処是、煙波江上使人愁」があります。

7)「ムチュウ」

夢中。夢の中とそのままです。一枕は「ひとたび眠りに就くこと」。

ふと気がつけば懐かしい故郷へ帰る道が続いているかのようだ。如亭は画を見てそう思います。「程」というのは「宿場と宿場の間の距離、道のりのこと」。数十もあるというのですから、遥か彼方。山を越え川を渡ってもまだまだ先の方だ。でも、画の中に入ってその道を行けば故郷に辿り着く。しかし、残念ながらそれは叶わないこと。せめて夢の中ででも故郷に帰ることにしよう。。。。望郷の念に駆られる如亭です。


三間 一峰にカ)
キ)涓涓たり 8)リガイの水
山雨時に来らんと欲し
冷雲 屋裏に飛ぶ

8)「リガイ」

籬外。垣根の外。既出(ここ)ですね。

カ)「靠る」

・る。よりかかる。「靠」は「もたれる」とも訓む。「よる」では「依る」「倚る」「旁る」「拠る」「憑る」「仍る」「仗る」「凭る」もある。

キ)「涓涓」

ケンケン。水が細く緩やかに流れているさま。「涓」は「しずく」。「ケン」か「エン」か迷うでしょう。涓滴岩を穿つ(ケンテキいわをうがつ)で何としてでも覚えましょう。涓埃(ケンアイ=一滴の水と一つのちり、わずかなもの)=涓塵(ケンジン)、涓潔(ケンケツ=清くてさっぱりしている)、涓人(ケンジン=宮中の清掃をつかさどり、取り次ぐ人)、涓流(ケンリュウ=細流)。

この一首は狭い廬での生活を詠っている。「三間」はわずか三室の粗末な家のこと。「屋裏」(オクリ)は室内。ここの冷雲が飛び込んでくるという。それくらい裏寒い廬だというのでしょう。


秋の山水を訪はんと欲するも
老人 唯だ寒をク)
如かず 9)イッシの筆の
自己ら画き来つて看んには

9)「イッシ」

一枝。筆一本。これも何度か登場(ここ)。

ク)「怕る」

おそ・る。おそれること。「おそれる」はほかに、懼れる、畏れる、兇れる、兢れる、凶れる、恂れる、恟れる、悚れる、悸れる、惧れる、惴れる、惶れる、愬れる、慄れる、慴れる、憺れる、懍れる、懾れる、歙れる、瞿れる、竦れる、聳れる。なぁ~に、おそれることはありませんよ。書き問題で出ることはないのですから。恐れるでいいんです。訓み問題でしか出ない。訓めりゃぁいいんです、訓めりゃ…。怕ですが、音読みは「ハ」であることに注意してください。「怕畏」は「ハイ」。「怕痒樹」は「紫薇」「百日紅」「猿滑」。

年老いた旅人は寒さに弱い。景勝地を求めて秋にあちこち歩き回るのはつらいこと。だからこそ、筆一本で画を描いて行った気になるのがいいんです。年取るととかく歩くのが億劫だしね。


筆頭 我に銭有り
世人何ぞ解することを得ん
ケ)于氏の力に依らず
10)コウザン 意に任せて買ふ

10)「コウザン」

好山。好い山水の景色を思うままに描くこと。やや比喩的な表現で難しいです。ただし、鉱山、甲山じゃあ品がないような気がします。

ケ)「于氏」

ウシ。ま、読むだけなら読めますわねぇ。敢えて訓み問題にしたのは、蒙求にある「于公高門」(ウコウコウモン)を確認したかったからです。ここでいう「于氏」というのは、漢代の丞相・于定国(ウテイコク)の父親のこと。定国の父は訴訟を公平に裁いて、その余慶によって子孫が栄えるであろうと予測して、家の門を高大にし、果たして子供の定国は宰相にまで上り詰めたという故事を踏まえているのです。漢検の四字熟語辞典によると、陰徳を積む家の子孫は繁栄することのたとえとある。陰徳陽報が同義語で、漢語林によれば、「于公門閭を高大にす」ともいう。故事成語問題で「門閭」が狙われそうです。
それで如亭詩ですが、如亭は画筆一本で描いて銭を稼いでいるこのおれは父親の力もからないでいるのだ。だから自分の描きたい風景画を描ける、そんな自由を手に入れたのさ。世の中の奴に理解されなくてもお構いなしさ。。。親父なんて関係ない。


山人 外に在りと雖も
到る処山に登ることを愛す
連朝 風雨悪し
戸を閉ぢてコ)孱顔を描く

コ)「孱顔」

センガン。高く険しく聳える山のこと。「孱」といえば普通は「よわい」という意味ですから、この言葉はいささか風変わりな意味を持っています。この場合の「顔」は、山が高く角だった場所を指す。それがやせ細ったさまであることから、山の険しさを云う、つまりは細く尖んがったさまなのです。これは読むのはいいとして、書き問題で出されたら超難問でしょうね。「センガン」―箭眼、洗顔、洗願、洗眼。。。どれも違う。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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