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旅順攻略は成功?日露戦争の真の勝敗や如何に=漢詩学習

本日は、日本人の好きな日本漢詩人では頼山陽に続き二番目に多い票を集めた乃木希典(1849~1912)の詩「金州城下作」(七言絶句)を玩わいましょう。日露戦争の旅順攻城の将軍として名を馳せています。「×××××××」の伏字で有名な芥川龍之介の「将軍」では、「N将軍」として人間・乃木希典を描いています。明治天皇の崩御に伴い夫人とともに殉死し、各界の名士たちから批判も浴びました。彼は「石樵」という号を持ち、漢詩も嗜んでいました。

山川草木荒涼
十里風新戦場
征馬不前人不語
金州城外立斜陽


山川草木ウタた荒涼
十里風ナマグサし新戦場
征馬前まず人語らず
金州城外斜陽に立つ


山も川も草も木も、戦火・砲弾のためただ荒れ果てているばかりである。十里の間、吹く風もまだ血なまぐさい新戦場である。わが軍馬も前には進まず、そばの者も誰一人口を開かない。かくて夕日傾く金州の城外、この凄惨な光景を前にして、茫然とたたずむしかなかったのである。

「ウタた」は「転た」。「ますます、程度が進んでいよいよ。ひどく、いつもとは違ってはなはだしく」という意味。漢詩では頻出です。訓めるのは勿論、やはり、書けるようにしておきましょう。「ナマグサし」は「腥し」。「葷し、羶し」も正解でしょうかね。ただし、「生臭し」はダメ。だって、一字ですもん。。。

明治書院の「新書漢文大系7 日本漢詩」(P199~200)の「背景」によると、「乃木希典の詩の中では最もよく知られた詩。日露戦争のとき、遼東半島の金州で作った詩である。金州は大連の北東にある南山の激戦地。第三指令官となった乃木は東京を発ち広島に着いたとき、長男勝典が南山の戦いで戦死したことを知った。希典はその激戦地を訪れ、この詩を作ったのである」とあります。石川忠久氏の「漢詩鑑賞事典」(P835~836)には、「将軍の日記では、起句は『山河草木』となっている。山河だと、杜甫の『春望』が思い浮かぶ。のちに山川に改めたのだが、山川だと、転句の『征馬前まず』とともに、唐の李華の『古戦場を弔う文』の『主客相搏ち、山川シンゲンす』や『征馬もチチュす』の句を踏まえることになり、戦場の印象に、より深い奥行きを加えることになる」と中国の漢詩を引き合いに解説しています。(「シンゲン」は「震眩」=注意:箴言、譖言、讖言、森厳ではない)、「チチュ」は「踟躕」=たちもとおること、注意:「蜘蛛」ではない)

さらに、「日本漢詩」には、「後世、人はこの詩をどのようにうけとってきたのであろうか」と問題を提起し、「士気を奮い立たせる詩としてうけとってきたのであれば大きな間違いである」と断じています。このあと、希典は軍を率いて旅順攻城に向かいます。要塞堅固なる旅順は難攻不落。彼は夥しい数の死者を出してしまします。戦場はさながら地獄絵図でした。つまり、「戦争の悲惨さを知らしめる詩としてこそ伝えられるべきであろう」と結論付けているのです。そして、石川氏も「彼は軍人の豪放さよりは、むしろ繊細な感受性の持ち主であろうか。それが苛烈な経験を通して自然に抜群の詩才として現れたものといえよう」と分析しています。

以下の三首は、手元に資料がなく、ネットから引用しました。

■「爾霊山」

爾霊山(にれいさん)は「203高地」の当字です。訓み下し文のみ。

爾霊山嶮なれどもアニヨじがたからんや
男子功名コッカンを期す
鉄血山を覆て山形改む
万人斉しく仰ぐ爾霊山


二〇三高地が如何にけわしかろうとも、しがみつけば登れぬはずはない。男子たるもの功名を立てるためにはどんな困難にも打ち克つ覚悟がなくてはならない。その決意のもとに戦い、遂に武器と人の血で覆われた山は、その形さえ変わってしまった。この激戦があればこそ、遂に旅順も陥落するに至ったのである。この大功と引き換えに多くの人命が失われた。ああ、「爾の霊の山なり」と、一斉に仰ぎみて英霊を慰めようではないか。

「アニ」は「豈」。漢文訓読では基本です。「ヨじ」は「攀じ」。「コッカン」は「酷寒」や「国漢」ではない。少し難しい。正解は「克艱」。「己に克つ」のが「剋己」、「艱難に克つ」のが「克艱」と覚えましょう。

■「富岳を詠ず」

崚嶒たる富岳千秋にソビ
カクシャクたるチョウキ八洲を照す
説くを休めよ区区たる風物の美を
地霊人傑是れ神州


高大な秋空にすじばって険しくそびえる富士の山。真っ赤に輝く朝日が日本国を照らし始める。いちいち細かいことを言葉にすることはやめよう。地のことだま、すぐれたる人。そしてこれこそがわれら神の国であるのだから。

「崚嶒」(シュンソウ)は「山や崖がけわしいさま」。「ソビえ」は「聳え」。意味だけで言えば「竦え」も正解。「カクシャク」は要注意。「矍鑠」ではない。「赫灼」が正解。「チョウキ」は「朝暉」。朝日のことです。「寵姫」「肇基」「趙岐」「長跪」「弔旗」とは明確に区別しましょう。

■「凱旋に感あり」

皇師百万キョウリョを征す
野戦攻城シザンを作す
愧ず我何の顔ありて父老に看みえん
凱歌今日幾人か還る


我が百万の日本軍は、手強きロシア軍を征圧した。しかし、激戦であった。旅順を攻め落としたもののしかばねの山を築いた。ああ恥ずかしや。どうして兵士の老いたご両親に顔をあわせられようか。凱歌に迎えられるが、生き帰ったものはごくごく僅か。ただただ面目ないとお詫びするばかりだ。

「キョウリョ」はやや難しい。正解は「強虜」。「郷閭」ではない。ロシアの手ごわい軍勢のこと。「シザン」は「死産」ではない。「屍山」。「死屍累々」のイメージで。「顔」は「かんばせ」と訓読してくださいね。「看みえん」は「まみ・えん」。

石川氏は「戦死者と遺族に対する自責は殊に深く、ふつうの凱旋将軍とは異質のものを感じさせる」(「漢詩鑑賞事典」P836)と述べています。明治天皇に殉死する彼が夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介らからそれぞれの視点で批判を浴びます。日露戦争の立役者として「聖将」とも呼ばれたのですが、このように毀誉褒貶も多い。司馬遼太郎は「坂の上の雲」で無能なる将軍として描いています。昭和天皇の幼少のころの教育係としても知られています。歴史上の人気としては微妙なポジションにあると言っていいでしょう。「歴女」のお眼鏡にはなかなかかなうことはないでしょうね。しかしながら、あなたがもし「漢女」であるならば、彼のシンプルで雄渾な詩を玩わえるのではないでしょうか。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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