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「合歓」に西施の魔力を見た芭蕉=漢詩学習

中国四大美人の中で最も古い春秋時代の人は「西施」。漢字検定1級試験では「西施捧心」「顰みに倣う」など重要な語彙でおなじみの美女です。当然ながら彼女も古来、詩に詠まれることが多い。まずは、楼穎の「西施石」(岩波文庫「唐詩選」(下)、P252~253)。この楼穎ですが、「天保年間の進士」とあるだけで「官歴は不明」の人です。唐詩選にはこの一首だけが採録されています。

七言絶句

西施昔日浣紗津
石上□□□□人
一去姑蘇不復返
岸傍桃李為誰春


西施 昔日 浣紗の津
石上のセイタイ 人をシサツ
一たび姑蘇に去って復た返らず
岸傍の桃李 誰が為にか春なる


西施が紗をさらしていた渡し場のあたり、今も残る石の上のあおいこけが(過ぎ去った年月を思わせて)、見る人を深い懐旧の思いにおとしいれる。西施は姑蘇の宮殿へと去ったきり、この地へ帰ってくることはなかった。岸辺のモモやスモモの花よ、誰に見せようとして春まっさかりに咲き誇っているのか?

西施は、越の国に生まれたが家は貧しかった。薪を集めたり、川で紗(うすぎぬ)をさらしていたりして働いていたが、王様の勾践が彼女の美貌を見出した。彼は呉王・夫差との戦いに敗れ、復讐を期していたため、女を使おうと考えたのです。案の定、夫差は彼女の容色に湎れ、国政を顧みなくなりました。次第に呉国はみだれ、おとろえ、ついに越国に滅ぼされました。

西施が紗をさらした谷川は、後世、浣紗渓とよばれ、西施にまつわる多くの伝説が残った。なかでも、この詩で詠われた「西施石」は、西施がいつも紗を広げていた石のことで、現在の浙江省紹興にある若耶渓にあります。最初の2つの□に入るのは「セイタイ」。これは西施がいなくなって長らく誰も訪れることがなくなったため、石の上に生したものです。正解は「青苔」。「臍帯」「貰貸」「青黛」などを想起してはいけません。「人」は作者を指す。訪れてみると西施のイメージとはかけ離れた青い苔がはえているさまに哀れを誘われたのです。そして、後ろの2つの□に入る「シサツ」。「刺殺」でも「視察」でもありませんよ。辞書には掲載がないでしょう。正解は「思殺」です。動詞に後ろについて程度がはなはだしいさまを表す「殺」です。またまた新たなのが登場しました。これからもたくさん出てきそうです。

「姑蘇」は、「姑蘇台のことで、呉王・夫差が西施のために建てた宮殿」。西施が呉王・夫差に献上されて二度と故郷に戻ってくることはなかった。桃や李の花は毎年春になると変わらずに花を咲かせるけれども西施がそれを見ることはなかったのです。王昭君と似ている部分と異なる部分がありますね。ただ、女性が「政争の道具」として弄ばれたことは共通項。美人薄命、佳人薄命と言いますが、美しさは半面、命取りでもある。美しさは両刃の剣です。それは今も昔もちっとも変わりませんね。

李白も七言律詩一首を詠じています。タイトルは「蘇台覧古」(岩波文庫「唐詩選・下」、P52~53)。

旧苑荒台□□新
菱歌清唱不勝春
只今惟有西江月
曾照呉王宮裏人


旧苑 荒台 ヨウリュウ新たなり
菱歌清唱 春に勝えず
只今惟だ西江の月のみ有り
曾て照らす 呉王宮裏の人


古びた庭園、荒れ果てた楼台にヤナギばかりが青々と新鮮である。菱を摘みの歌の清らかな歌声が聞こえてくるが、惜春の思いにたえきれない。いまはただ、西の川にかがやく月があるだけ。この月こそ、かつて呉王の宮中にいた女性、かの西施の姿を照らしていたに違いない。

「覧古」は「往時を振り返ること」。春の風景。かつて宮殿のあったところに青々とした新鮮なもの。□□に入る「ヨウリュウ」と言えばこれしかない。正解は「楊柳」。カワヤナギとシダレヤナギのことですが、一般にヤナギの総称でしょう。「菱歌」は、ヒシの実を摘む時にうたう民謡で「菱唱」ともいう。「蘇台」は「姑蘇台」のこと。現在の蘇州市西南約15キロにある横山の北にあったとされる。現在は宮殿の跡は何もない。どこにも西施の文字は見えませんが、絶世の美女の今昔盛衰に対する李白の思いを感じます。

そして、日本でも西施は詩人の詩興を誘っています。松尾芭蕉も「奥の細道」最北の地「象潟」(きさかた)で詠んでいます。

象潟や雨に西施がねぶの花

「ねぶの花」は「合歓の花」。本当にきれいな花ですよね。シンプルに西施の美しさをたとえたものですが、合歓の花は「ネムノキ」ともいい、ご存じのように、夜になると葉と葉を重ね閉じて眠るような格好になる。これが西施の「顰みに倣う」さまに擬えたのか?あるいは、「合歓」と言えば中国では男女の共寝、すなわちSEXのことをいい、「合歓綢繆」という四字熟語もありますが、呉王・夫差を湎れさせた西施の怪しい魅力を「合歓」と重ね合わせたのかもしれません。越後の国を訪れたことで「越国」出身だった西施を想起したのかとも考えたのですが、迂生の勝手な捏け。だったら、越中でも越前でもいいですもんね。ここは象潟の合歓でなければならなかったのでしょう。
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芭蕉のネタは運次第です

> 雨に煙る象潟を見て、芭蕉が先ず想起したのは、蘇軾の「西湖」だった
> 象潟→西湖→西子=西施

なるほど。西湖ですか。蘇軾の詩は忘れていました。「晴好雨奇」ですね。そうなると、やはり「越」は「越」でも、「越中」でもなく、「越前」でもなく、「西湖」を想起させる「象潟」のある「越」、すなわち「越後」でなければならなかったんですね。

「西湖」を「西子」に比するならば…と蘇軾は詠んでいる。胸を病んで眉をしかめている時の普段着化粧の「薄化粧」も、越・夫差王と褥を共にする時の勝負着化粧の「厚化粧」もどっちもお似合い。。。薄化粧というのは実は本当の美しさを醸し出させるため、むしろ似合うかどうか難しいでしょう。翻り、厚化粧の方はとにかく塗ったくればいい。彩色が派手でありさえすればいい、まじまじと見られることはないから実は杜撰。。。どっちの風景もいいというがホントかなあ。

芭蕉が象潟に見た合歓の花はどっちだったんでしょう??

芭蕉と漢詩についてはむしろ、白魚一寸様の方がお詳しい。「奥の細道」すら満足に詠み込めていない迂生です。お知恵を拝借したいくらいです。李白の「春夜宴従弟桃花園序」は、奥の細道序の一節の出典になっていることは言及しましたが、それ以外は実はネタの仕込みはこれからです。ですが、行き当たりばったりなので「運」次第なのが正直なところです。出逢えるかどうかは分かりません。

淡粧濃抹

>越後の国を訪れたことで「越国」出身だった西施を想起したのかとも考えたのですが、迂生の勝手な捏け。

でもないようです。
「おくのほそ道 全訳注」(講談社学術文庫)や「諸注評釈 芭蕉俳句大成」(岩田九郎著)に拠ると、雨に煙る象潟を見て、芭蕉が先ず想起したのは、蘇軾の「西湖」だったようです。以前、取り上げられた「訳注聯珠詩格」にも採録されていますね。西湖は、杭州市にありますから、当時の越です。

象潟→西湖→西子=西施

という順序だったと思います。

9/5の記事に
>芭蕉と中国の詩人との関わりについてはいずれ取り上げる機会があると思います。

とありました。芭蕉ファンとしては愉しみにしております。
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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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