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盛年は二度と来ないから「勉励」せよ=陶淵明先生の思いは?―漢詩学習

前回取り上げた「文選」の「生年百に満たず」(無名氏、五言古詩)は、人生における「享楽主義」の極致を高らかに詠じ、その生き方を讃美したものでした。隠逸詩人・陶淵明にも、「この短い人生を謳歌しようではないか」と、我々を、特に既に人生の折り返し地点を回った迂生のようなロートルを大層勇気付けてくれる詩があります。それが十二首ある「雑詩」(五言古詩)の中の「其の一」。岩波文庫の「陶淵明全集(下)、P25~27」によると、「彼が50歳頃の作か」とあります。

人生無□□
飄如□□塵
分散逐風転
此已非常身
落地為兄弟
何必骨肉親
得歓当作楽
斗酒聚比隣
盛年不重来
一日難再□
及時当勉励
歳月不待人



人生はコンテイ無く
飄としてハクジョウの塵の如し
分散し風を逐って転じ
此れ已に常の身に非ず
地に落ちて兄弟と為る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
歓を得ては当に楽しみを作すべし
斗酒 比隣を聚めよ
盛年 重ねて来らず
一日 再びあした(シン)なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月は人を待たず


人の命は、木の根や果実のヘタのようなしっかりとした拠り所もなく、ふわふわと浮いて風に舞う路上の塵と言っていい。風の吹くままあちこちに飛ばされて、もはや原型をとどめないのが当たり前。この世に生まれたからには、だれしもが兄弟。仲良くするのにどうして肉親だけに限るものか。うれしい時には心行くまで楽しむのがいい。酒を持ってこい。近所の仲間も集めてこい。若い時はもう二度と来ない。一日に二度目の朝はない。楽しめるときを逃さず精一杯楽しむのがよい。年月は一方的に流れるばかりで、人の都合に合わせてくれないのだから。

★三か所を空欄にしましたが、いずれも平易なものばかり。解釈のヒントもあるので全問正解しないとだめです。

「コンテイ」   =(  根蔕  ) →「深根固
「ハクジョウ」  =(  陌上  ) →「陌交通」
「あした(シン)」 =(      ) →「昏定省」「牝鶏之

「落地」というのは面白い表現で、「チにお・つ」と訓読し、「この世に生まれ出ること」。「兄弟」は「ケイテイ」と読んでください。「論語・顔淵第十二」に「…死生 命あり、富貴 天に在り。君子は敬して失なく、人と恭しくして礼あらば、四海の内は皆な兄弟たり。君子何ぞ兄弟なきを患えんや」とあります。「四海兄弟」(シカイケイテイ)。「人類皆兄弟!!一日一善!!」

この詩のポイントは最後の4句です。「陶淵明全集(下)」によると、「この詩、末四句は少年に学を勧める教訓として利用されているが、作者の意図に反する」とある。「勉励」の意味を学問という狭い意味で捉えているからでしょう。「勉励」というのは「つとめはげむこと」ですが、ここではその前段にある「歓を得ては当に楽しみを作すべし」を受けて、「歓楽に励みなさい」ということを説いているのです。

「漢詩鑑賞事典」(講談社学術文庫、P57~58)でも、「この詩ほど人々に誤解され愛唱(?)された詩も珍しい」として、「原作はごらんのとおり『チャンスを逃さず遊べ』というのだから、全く反対だ。陶潜先生もさぞ草葉の陰で驚いているだろう」「最後の四句のみを絶句であるかのように切り離しては、この作品の価値は台なしである」とちょっとおどけた表現で嘆いています。

「学を勧める教訓」というのは明らかに、前後の文脈を無視して一部分だけを都合よく取り出して意味を牽強付会していると言えるでしょう。この詩で、どうしてかようなことが起きたかを考えてみました。あくまで迂生の勝手な邪推です。朱子(朱熹)の作とされる「偶成」という漢詩に「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず」の一節があり(実はこれも作者には諸説あり定まっていない)、ここからの類推というか、これとの混同というかが教育現場で起きたのではないか。あるいは文部省か教育界の都合のいい「断章取義」と言えるかもしれません。意図してか天然かはわかりませぬが。。。良識ある真面目な弊blogの読者諸氏は、陶淵明先生の思いを努々お取り違えすることのないようにいたしましょう。

「盛年」は必ずしも年齢の若さだけを指しているのではないと思います。体の自由がきくとか、頭が働くとか、人間として能動的に活動できる瞬間瞬間のこと。だれしも訪れるが、何度も来ない。やれる時は限られている。老いとどう向き合うか?老いを食い止めることなどできる人間はいないが、老いと楽しく付き合える人間こそが本当に人生を楽しむということを知っていると言えるのではないでしょうか。


おまけです。先日紹介した悲劇のヒロイン「王昭君」ですが、杜甫も詠んでいました。白居易、李白とあって、杜甫だけ紹介しないのも盛唐の「詩聖」に対して申し訳なく、画竜点睛を欠くなと思いました。詩興はほかの二人と軌を一にしています。哀れな美女の恨み節に心を揺り動かされているのです。
掲載するだけでは何なので問題にしてあります、邪道ですが。。。岩波文庫「杜甫詩選」(P344~347)から。

「詠懐古蹟、五首」の三番目の一首です。

群山□□赴荊門
生長明妃尚有村
一去紫台連朔漠
独留青塚向黄昏
画図省識春風面
□□空帰月夜魂
千載琵琶作□□
分明怨恨曲中論


群山 バンガク 荊門に赴く
明妃を生長して尚お村有り
一たび紫台を去れば朔漠連なり
独り青塚を留めて黄昏に向かう
画図に省て識らる 春風の面
カンパイ 空しく帰る 月夜の魂
千載 琵琶はコゴを作りて
分明に怨恨を曲中に論ず


山々谷々が荊門に向かいなだれ走る途中に、王昭君を生み育てた村が1000年後の今でも残っている。彼女が漢の宮殿を去ったがさいご、そこには北の砂漠が果てしなく広がっていた。当地で没した彼女の墓は今も青々としてたそがれの光を浴びている。春風のようななごやかな顔は醜く描かれた肖像画を通して天子様に知られただけだけれど、その魂は月の夜になるとおびだまを鳴らして帰ってくるというが空しい逸話だ。1000年後の今日、彼女が思いを託して鳴らした琵琶の曲は蛮族のことばをしゃべっているかような音を立てている。意味は聞き取れないが、怨めしい気持ちをはっきりと述べ立てているかのかもしれない。

「バンガク」=( 万壑 )
「カンパイ」=( 環佩・環珮 )
「コゴ」  =( 胡語 )
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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