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忘れるなかれ永遠なる美女・王昭君=漢詩学習

中国四大美人と言えば、春秋時代の西施、秦末の虞美人、前漢の王昭君、唐の楊貴妃の4人であるのはご存じですね。知名度において一番マイナーなのは王昭君でしょうか。それでも、漢人でありながら「匈奴」に嫁ぐという数奇な運命を辿った王昭君は古来、数多くの詩人の詩興を誘ってきました。本日は絶世の美女・王昭君を詠んだ白居易と李白の詩を玩わいながら、漢字学習をいたしましょう。

まずは白居易の「王昭君」。七言絶句。(「漢詩鑑賞事典」P421~423)

満面□□満鬢風
眉銷□□臉銷紅
愁苦辛勤顦顇尽
如今却似画図中


面に満つるコサ鬢に満つる風
眉はザンタイ銷え臉は紅銷ゆ
愁苦辛勤して顦顇し尽くれば
如今ぞ却って画図の中に似たり


漢の都を離れて遠路はるばるやってき来たのはえびすの砂漠の地。顔は砂塵に塗れ、ほつれた髪は風になびく。きれいに描いた眉のうすずみも、豊頬にさした紅も、いつしか色褪せた。悲しみ、苦しみのせいでげっそりと痩せ衰えてしまい、今の私は、皮肉にもあの醜い女の肖像画そのものになってしまった。

□□は何が入るか考えましょう。「コサ」と「ザンタイ」です。

王昭君は前漢時代の元帝の宮女です。昭君は字。元帝は宮廷画家に宮女たちの肖像画を描かせて、その中からお気に入りの美女を寵愛しようとしました。二号でも三号でもいいから帝の傍に仕えたい野心に燃える宮女たちは挙って、自分を美人に描いてもらえるようにと、画家に賄賂を贈ったのですが、プライド高き王昭君だけは「その必要なし」と賄賂を贈らずにいました。その結果、彼女の肖像画は醜い女性として描かれてしまい、元帝の御眼鏡にかなうことなく、それどころかむしろ政略結婚の生贄として匈奴の王、呼韓邪単于(コカンヤゼンウ)に嫁がされることになってしまったのです。別れの挨拶に訪れた王昭君が初めて元帝とまみえた時、元帝は言葉を失います。斯くも美しい女性を敵国にむざむざ渡す己の愚かさを悔いたに違いない。それでも、国家間の義理を通すことを優先させて泣く泣く見送ることに。のちのち、こうなった事情を調べて画家を処刑したといいます。

そんなこんなで失意のまま北方にある遠国の地に赴いた王昭君。えびすの強風は砂を交えて容赦なく彼女の顔に、全身に、心に吹きつけます。そこで正解。「コサ」は「胡沙」。えびすの砂塵のことですね。そして、漢を出発した時のメークがいつしかはげ落ちてしまっていた。「ザンタイ」は眉の「残黛」が正解。褪せて消えかかったまゆずみです。「臉」は読めますか?音読みは「ケン」で訓では「かお」。中国の美人はぽっちゃり系。この場合も豊頬だったのでしょう。豊胸じゃないよ、念のため。。。やつれるという意味の「顦顇」はいずれも配当外ですが、1級配当なら「憔悴」を押さえましょうね。「尽」は漢詩で頻出の言葉で「~しつくす、~しきる」と動作が極限状態に達したことを言います。「如今」もよく出てくる。「ジョコン」と読み、「今」の意。

同書の「鑑賞」によれば、「王昭君の故事は楽府第として古来幾度もうたわれてきた。白居易のこの詩は、題材が周知のものであることを強く意識して、奇抜な着想に才気を見せている」。あんなに絶世の美女だった王昭君が、えびすでの生活にやつれ果てた挙げ句、結局はあの醜く描かれた肖像画そのものになってしまったことを「却って」という一語で表している。「この詩は白居易が十七歳の時の作である。着想、表現とも非凡で、早熟の天才は遺憾なく発揮されているといえよう」と絶賛されています。

二首連作で二番目の詩は簡単に挙げておきます。

漢使却回憑寄語
黄金何日贖蛾眉
君王若問妾顔色
莫道不如宮裏時



漢使却回す憑りて語を寄す
黄金何の日か蛾眉を贖わんと。
君王若し妾が顔色を問わば
道う莫れ宮裏の時に如かずと。


最後のお願いはなんとまぁ、悲しいですなぁ。哀れですなぁ。

続いて李白です。これも題名はずばり「王昭君」。いわゆる「雑言古詩」という奴です。(岩波文庫、「李白詩選」、P288~290)

漢家秦地月
流影照明妃
一上玉関道
天涯去不帰
漢月還従東海出
明妃西嫁無来日
燕支長寒雪作花
娥眉憔悴没胡沙
生乏黄金枉図画
死留青塚使人嗟



漢家 秦地の月
流影 明妃を照らす
一たび玉関の道に上り
天涯 去って帰らず
漢月は還た 東海より出づるも
明妃は西に嫁して 来る日無し
燕支 長えに寒くして 雪は花と作り
娥眉 憔悴して 胡沙に没す
生きては黄金に乏しく 枉げて図画せられ
死しては青塚を留めて 人をして嗟かしむ


五言絶句が二首目に続きます。(岩波文庫、「李白詩選」、P15~16)


昭君払玉鞍
上馬啼紅頬
今日漢宮人
明朝□□妾



昭君 玉鞍を払い
馬に上りて紅頬に啼く
今日 漢宮の人
明朝 コチの妾


白居易の詩と似た表現が多々見られます。むしろ白居易のほうが後ですね。まだ十七歳ですから、李白大先輩のこの二首を参考に換骨奪胎したのかもしれません。李白の詩は特に訳しません。簡単に言葉の解説だけ。。

「流影」は「流れるような月光」。「影」は「ひかり」と「かげ」の両方を示唆する。「流光」と置き換えてもいい。「明妃」は王昭君のこと。彼女のことは当時はこう称した。「燕支」は、山の名。現在の甘粛省永昌県の西、山丹県の南東にある。匈奴の居住地区で、漢民族との争奪戦が繰り広げられた。「長え」は「とこしえ」とよむ。「娥眉」は「蛾眉」(白居易はこちらを使用)で、美人の代名詞。「生きては黄金に乏しく 枉げて図画せられ」とは、王昭君が画家に賄賂を贈らなかったので、わざと醜く描かれたことを指す。「枉」は「実態を捩じ曲げて」という意味。「冤枉」は「むじつのつみ」。「青塚」は音読みで読んでみてください。「セイチョウ」が正解。「塚」の表外音読みは「チョウ」であることに注意しましょう。1級配当漢字を使えば「青冢」。「冢」は「つか、はか」。「冢中枯骨」(チョウチュウノココツ=無能な役立たず)もお忘れなく。ここの件は、砂漠地帯である周囲には白草が多いのに、王昭君の祀られた墓の上だけは常に青々とした草が茂っているということ。生前の美女ぶりが偲ばれる、それだけに訪れる人の胸を打ち、嘆かせるのです。

そして「コチ」はもうお分かりですね。正解は「胡地」。えびすの地。「故地」や「東風」ではないので注意しましょう。「妾」とありますが、彼女は正妻として贈られたのです。ただ、「妾」とすることによってより哀れな感じが出ますね。まさに、漢の帝の気まぐれの犠牲となった悲劇のヒロインです。

とにかく「胡漢陵轢」(コカンリョウレキ)という言葉もあるように、漢民族と北方の異民族・匈奴は常に争いを繰り広げ、お互いに勝ったり負けたりを繰り返していたのです。そうした男が主役の歴史のはざまで運命を翻弄された女性がいたことに思いを騁せましょう。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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