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物議を醸した「楓橋夜泊」=新シリーズ漢詩学習スタート

弊blogは本日から新企画です。漢詩を題材として漢字学習を進めます。

振り返れば、記念すべきオープニングは「桃源郷」の由来となった中国・東晋時代の陶淵明の「桃花源記」と「桃花源詩」でした。江戸時代後期の漢詩人、柏木如亭の「訳註聯珠詩格」シリーズでも中国の詩人の作品を取り上げました。さらに、漢字検定1級の演習問題として中唐の大詩人・白居易の「長恨歌」をネタに使ったこともあります。最近ではmixi日記から淵明の「閑情の賦」を転載、「煩悩」と戦う詩人の姿を垣間見ました。これまでも折に触れて晩唐の李商隠や初唐の王勃らの作品も取り上げてきました。

何故に漢詩なのか?

当たり前ですが、素材が漢字ばかりであることが第一です。漢字学習の基本と言えるでしょう。そこに盛られている言葉は一字一字が研ぎ澄まされた語彙であり、まさに「宝」の山なのです。超一流の言葉。人口に膾炙されてきた故事来歴も饒かに鏤められている。中国の歴史の勉強にもなる。

形式は様々ありますが、最も凝縮された五言絶句はたった二十字の世界です。ここに深遠なる宇宙が広がっている。余計な無駄な言葉が入り込む余地のない、静謐な世界が横たわる。言葉の、いや古人の魄の迸り。笑い、涙、怒り、嘆き。。。形式に捕らわれない長編もありますが、それはさながら長編ドラマを読んでいるかのような、鮮やかな展開。意外性。諧謔。スピード。起承転結。電車で読んでいて思わず涙を流したこともあります。

そして、音。音読してみると分かりますよ。白文で上から下へと音読みで読み進める。意味はどうでもいい。リズム。次第に情景も浮かぶようになります。漢詩、特に唐代では平仄というのがあって、一定の規則を重要視しました。意味だけではないのです。一つの漢字の音が意味を決めるのです。韻を踏むというルールもあります。だから、なんでこの漢字じゃなくて別の漢字を使うのかという場面には多々遭遇します。上下入れ替えることも屡屡。たとえば「新鮮」を「鮮新」のように、音の関係で意味は変えずに入れ替えるのです。類義語で言い換えることが多い。対句という修辞もある。

白文と読み下し文で音訓読みの訓練ができます。言葉の置き換えは類義語の勉強になります。独特の言い回しは言葉を豊かにしてくれます。

いろいろ言いたいことはありますが、これからおいおいと具体的に見ていく中でまた言及できることもあるでしょう。本日のところはその一端だけ。

漢詩の聞かせどころというか、「さわり」、英語の「punch-line」とでも言えましょうか、決め台詞みたいな部分があります。落語の「オチ」というのは言いすぎかな。

NHKのBSハイビジョンで毎朝7時25分から5分間番組で「新漢詩紀行」という番組をやっています。以前にも触れたことがあると思いますが、9月に入り約半年続いたのち、残念ながら間もなく終了してしまいます。もしBSが映るならば一度はご覧いただきたい。この番組についてもおいおい語っていくことにいたしましょう。

この前見ていて「うん、面白い」と素直に思った詩があります。同番組の監修者でもある石川忠久氏の「漢詩鑑賞事典」(講談社学術文庫、P372~374)から一つ拾ってみます。

中唐の張継の「楓橋夜泊」(七言絶句)です。詩人としての張継で有名なのはこの一句のみ。今で言えば「一発屋」。およそ1200~1300年経った現在でもこうして人口に膾炙されるんですから大した一発屋ですよね。

月落烏啼霜満天
江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半□□到客船

月落ち烏啼いて霜天に満つ
江楓漁火愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半のショウセイ客船に到る



白文で第四句の□□を考えてみましょう。読み下し文では「ショウセイ」と読む言葉です。アバウトに解釈するとこうです。


月が沈んだ闇夜にもカラスの声が響きわたり、霜の降りる気配が天に満ち満ちて夜明けが近いようだ。すると、紅葉した岸の楓、点々とともる川面のいさり火。旅の愁いに眠りの浅い目にもチラチラと映る。
折りしも姑蘇の町はずれの寒山寺から、夜半を知らせる〔    〕が私のいる船にまで聞こえてきた。ああそうか、まだ夜明けはまだ遠いのか。どうしてくれよう眠れぬわい。


同書の解説などによりますと、「この詩はいろいろと議論がやかましく起こったので人に知られているが、詩としても、しっとりとした旅愁をうたって非常に優れている」とある。さあ、「ショウセイ」は何でしょうか。同音異義語では「彰旌」「昌盛」「聶政」「觴政」「頌声」「小生」「招請」「笑声」「将星」などがありますね。寒山寺から聞こえてくる夜半を告げるものですから〔    〕が「鐘の音」であるのはお分かりですね。したがって、この「ショウセイ」は「鐘声」が正解です。

それで、なんでここの部分が「オチ」なのでしょうか?同書の「補説」を見ると、「宋の欧陽脩が、『句は優れているが、夜中というのは鐘を打つ時ではない』という批判をしたため、一時にいろいろの議論が出た。しかしその後、『半夜鐘声後』(白居易)、『応聴山半夜鐘』(于鵠)など、夜中に鐘が鳴るとうたった唐詩の例がたくさんあるという反論が出た。どうも宋代とは違って唐代には夜中に時を知らせる鐘が撞かれることがあったようだ。その他にも、南宋の陸游や元の僧円至など、歴代いろいろと議論する者が出て、この詩は非常に有名になり、後世、この地へ来て『楓橋夜泊』の詩を作らない詩人はないほどになった」。

つまり、この「鐘声」は古来物議を醸してきたのです。批判の急先鋒は「夜中に鐘を鳴らす寺などあるはずがないではないか。この作者は適当な情景で嘘を詠んでいる」といったところでしょうか。屹度、張継は当地に旅にきて旅情を詠んだのでしょう。ここは「夜でも鐘の音がうるせぇ~なぁ~」って。よもや後代の人々が斯くも侃侃諤諤の議論を戦わせることになろうとは夢にも思わなかったに違いありません。奇を衒わない、何気ない一言が歴史に残るんですね。

ちなみに、この地というのは現在の江蘇省蘇州の西郊、楓江に架けられた橋のある「楓橋」のこと。景勝地として知られ、今も多くの観光客が多く訪れるようです。「楓」は「かえで」ですね。鮮やかな紅葉した晩秋、霜も降りる冬が近付く風景です。
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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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