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「疋馬単鎗」と「金声玉振」=「碧巌録」で四字熟語


 「碧巌録」で四字熟語シリーズはいよいよ岩波文庫の「下」に突入します。巻八の「第七一則」から巻十の「第一〇〇則」まで。本日は「疋馬単鎗」(ヒツバタンソウ)と「金声玉振」(キンセイギョクシン)。


 「第七一則 百丈、咽喉を併却(ふさ)ぐ」の「頌」に次の件が見えます。

 【頌】 和尚も也た併却ぐべし、〔已に言前に在り了れり。衆流を截断す。〕龍蛇陣上に謀略を看る。〔須是らく金牙にして始めて解す。七事身に随う。戦に慣れたる作家。〕人をして長く李将軍を憶わしむ、〔妙手多子無し。疋馬単鎗、千里万里、千人万人。〕万里の天辺に一の鶚が飛ぶ。〔大衆見るや。且道(さて)、什麼処(いずこ)にか落在す。中れり。打って云く、飛び過ぎ去れり。〕

 「龍蛇陣」は「兵法の陣(じんだて)の一つで、ここでは、百丈の発問をいう」。和尚に盾突いた百丈です。

 「七事」とは「弓、箭など七種類の武器」。

 「憶」は、ただ思うのではない、昔、往事に思いを騁せる意。「李将軍」とは漢の時代の名将軍で弓の名手の李広のこと。

 「疋馬単鎗」は「たった一騎でしかも一本の鎗で立ち向かうこと」。「疋」は「動物の足を数える単位」。一匹の馬。「鎗」は「やり」。「一騎当千」が想起されます。

 「鶚」は訓めますよね。「ガク」、「みさご」のことです。ワシ、タカの猛禽類。餌を追い求めて望見するさまを表わす。



 「第七三則 馬大師の四句百非」の「頌」に次の一節があります。


 【頌】 蔵頭は白く、海頭は黒し、〔半合半開。一手には擡げ一手には搦(おさ)う。金声して玉振す。〕明眼(みょうげん)の衲僧も会すること得ず。〔更に行脚すること三十年せよ。終是に人に你の鼻孔を穿却(うが)たる。山僧故是口担(へんたん)の似し。〕…
 「半合半開」は「半分閉じて半分開くといった思わせぶりな示し方」。

 「搦」は通常「からめる」。「そっと手に持つ」という意味もある。

 「金声玉振」は漢検四字熟語辞典に拠りましょう。「才知と人徳を調和良く備えていること。また、偉大な人物として大成すること」。「孟子・万章・下」に出てくる、孟子が孔子の人格を絶賛した言葉です。「金」は鐘のこと、「声」は鳴らす意、「玉」は「磬」(ケイ)という石製の打楽器、「振」は収める意。中国では、鐘を鳴らして音楽を始め、次に糸・竹の楽器を奏で、最後に磬を打って締めくくった。始まりをちゃんとして、終わりも乱れず整っていることを言う。音楽用語です。ぜひ「孟子」の一読をお勧めいたします。

 「口担」は「口をへの字に結んで黙り込むこと」。「担」は「天秤棒」。

 本日のmixi日記転載四字熟語は次の通りです。

★「白荼赤火」(ハクトセキカ)、「白兎赤烏」(ハクトセキウ)、「白髪青袗」(ハクハツセイシン)


 一面に軍を展開すること。兵が一面に白い花のように散り、赤い火が燃え盛るように展開するさま。「荼」は「にがな・のげし」。四字熟語辞典には「荼」を「茶」と誤まるなとあります。「荼毒」(トドク)、「荼毘」(ダビ)、「荼炭」(トタン)などがある。「白兎赤烏」(ハクトセキウ)は時間のこと。「白髪青袗」(ハクハツセイシン)は、晩年に官位を得る遅咲きの人。「白」で始まり「赤」「青」と色で対比するパターン。


★「麦穂両岐」(バクスイリョウキ)


 豊作の前触れのこと。「麦穂」は麦の穂、「両岐」は二股に分かれること。麦の穂が二股になって実るという意。「リョウキ」が浮かぶかどうか「良驥」「綾綺」「猟奇」「涼気」「猟期」「漁期」「両機」などではない。「バクスイ」は「爆睡」はないよなぁ。


★「社燕秋鴻」(シャエンシュウコウ)


 出会ったかと思うとまたすぐ別れることの譬え。「社燕」は春の社日(立春から五番目の戊=つちのえの日)に来て、秋の社日(立秋から五番目の戊の日に飛び去る燕。「鴻」は秋に来て春に去る白鳥。燕と白鳥が同じ時期に過ごすことはほぼないことから、お互いに出会うことの難しさをいったもの。季節季節の暦日の一種に「雑節」(ザッ切)というのがあって、節分、彼岸、社日、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日。社日というのは、「生まれた土地の神様(産土神)を祀る日。春と秋の2回行われ、春のものを春社〔シュンシャ/はるしゃ〕、秋のものを秋社〔シュウシャ/あきしゃ〕といい、春分(3月20日頃)と秋分(9月23日頃)のそれぞれに最も近い戊〔つちのえ/いぬ〕の日を指す」とある。「社」=土地の神様、「稷」(きび)は五穀の神様。合わせて有名な「社稷」(国の守り神、転じて国家)となり、「社稷の臣」は、「それらの神に仕えるもの、国家の重臣」となるわけである。


★「馬牛襟裾」(バギュウキンキョ)



 見識がなく無教養な者のこと。また、無礼者。「襟裾」はえりとすそだが、転じて衣服を着ることを表わす。つまり、衣服を着た牛や馬のような奴。結構きつい侮蔑の辞ですな。ネット検索で漸く見つけたら、「符讀書城南」という詩であの有名な成句「灯火親しむべし」の出典と同じでした。自分の息子、符に対して、親心で学問しなさいと説いている句。一部だけ引用すると、「人不通古今、馬牛而襟裾。行身陷不義、況望多名譽。時秋積雨霽、新涼入郊墟。燈火稍可親、簡編可卷舒。豈不旦夕念、為爾惜居諸。恩義有相奪、作詩勸躊躇。」。五言古詩と言う奴でしょうか。見事に偶数番目の句の終わりを「yo」で韻を踏んでいるのが分かります。
 ちなみですが、自分を謙る「牛溲馬勃」(ギュウシュウバボツ)、「牛糞馬涎」(ギュウフンバセン)という言い方もありますが、牛や馬が可哀相。有益な家畜なのに。。。。いずれも韓愈の詩が出典となっている。一体、韓愈は牛や馬に恨みがあるのかぁ?

★「杯水車薪」(ハイスイシャシン)


 何の役にも立たないこと。「杯水」はほんの僅かな水のこと、「車薪」は車一台分の薪のこと。杯一杯の水で車一台分の薪についた火事を消そうとしても無力だということ。出典は「孟子・告子・上」で「仁の不仁に勝つは、猶水の火に勝つがごとし。今の仁を為す者は、猶一杯の水を以て、一車薪の火を救うがごとし、熄えざれば則ちこれを水は火に勝たずと謂う。此れ又不仁に与するの甚だしき者なり。亦終に必ず亡わんのみ」。「仁」のお話です。少しばかりの「仁」しかないくせに、甚だしい「不仁」に勝とうとしている輩が多い。水が火に勝つのは消し去ることができて初めてのことだ。もっと大きな水になろうとするのが先。火を消せるだけの力を蓄えよう。焦ってはいけない。少ししかないが折角の「仁」すらなくしてしまうぞ。精進精進あるのみ。焦らず、じっくり力を蓄えましょう。「杯水車薪」で臨んでも意味のないことは世の中に沢山ありますよねぇ。。。。


★「破戒無慙」(ハカイムザン)


 戒律を破っても少しも恥じないこと。仏教語で「破戒を破壊と書くな、無慙を無残、無惨と書くな」との注意書きがあります。取り上げたのも、意味というより書き誤りに対する注意喚起です。


★「翦草除根」(センソウジョコン)


 災いを根刮ぎ除き去ること。問題を根本から解決すること。「草を翦り根を除く」と訓読する。類義語は「釜底抽薪」(フテイチュウシン)、「抜本塞源」(バッポンソクゲン)。「翦」がやや難しい。「きる」と読み、「剪」と書き換えが可能。「翦定」(センテイ)、「翦夷」(センイ)、「翦裁」(センサイ)、「翦裁」(センサイ)、「翦断」(センダン)、「翦紙」(センシ)、「翦屠」(セント)、「翦刀」(セントウ)、「翦伐」(センバツ)、「翦滅」(センメツ)、「翦余」(センヨ)など熟語は多い。すべて「剪」もOK。「詩経・国風・召南」の「甘棠」という詩中に「勿翦勿伐…」が見えます。「ブッセン」と読みます。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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