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「撥草瞻風」と「佇思停機」=「碧巌録」で四字熟語

 本日の「碧巌録」からは、「撥草瞻風」(ハッソウセンプウ)と「佇思停機」(チョシテイキ)。

 まずは「第一七則 香林の西来意」の「評唱」に次の一節が見えます。

 〔評唱〕 香林道く、「坐久成労」と。還(は)た会すや。若し会得せば、百草頭上に干戈を罷却(やめ)ん。若也会せずんば、伏して処分(めいれい)に聴(したが)え。古人の行脚、交(まじわり)を結び友を択んで、同行道伴(どうあんどうはん)と為り、撥草瞻風す。是の時、雲門化(きょうか)を広南に旺にす。香林得得と蜀を出づ。鵝湖・鏡清と同時なり。先に湖南の報慈に参じ、後方めて雲門の会下(えか)に至って、侍者と作ること十八年。雲門の処に在って、親しく得、親しく聞く。他悟る時晩しと雖も、不妨に是れ大根器なり。雲門の左右に居ること十八年、雲門常に只だ「遠侍者」と喚ぶ。…


 「坐久成労」(ザキュウセイロウ)は「ずっと座禅してきてつらかったがやっと解放されるよ、つまり、悟りを開くことが出来た安堵感を表した言葉」。

 「干戈」(カンカ)は通常、戦争を云う言葉ですが、ここでは「議論」。

 「同行」は「ドウアン」と読み、一緒に行くこと。上の「行脚」と同じ。「道伴」は「ドウハン」で御伴つかまつること。

 「撥草瞻風」は漢検四字熟語辞典には掲載は無い。意味は「草をはらい、風向きを見ること、修行の旅に出て名師を訪うこと」。「撥」は「撥乱反正」(ハツランハンセイ)で用いる。「瞻」は「瞻望咨嗟」(センボウシサ)で用いる。「撥ねる」(はねる)、「瞻る」(みる)と訓む。

 「鵝湖」(ガコ)は「鵝湖智孚」、「鏡清」(キョウセイ)は「鏡清道怤」、「報慈」(ホウズ)は「報慈蔵嶼」。いずれも僧侶の名前のようですが??

 「方めて」は「はじめて」。

 次に「第二〇則 龍牙の西来意」の冒頭に次の一節が見えます。

 垂示に云く、堆山積嶽、撞墻磕壁、佇思停機するは、一場の苦屈なり。或は箇(ひとり)の漢有って出て来たり、大海を掀翻(ひるがえ)し、須弥を踢(け)倒し、白雲を喝散し、虚空を打破して、直下(ただち)に一機一境に向(お)いて、天下の人の舌頭を坐断せば、你(なんじ)が近傍(ちかよ)る処無からん。且く道え、従上来(これまで)是れ什麼人か曾て恁麼なる。試みに挙し看ん。


 「堆山積嶽」はまず読みましょう。「タイザンセキガク」。山のような疑問をかかえこむこと。「嶽」は「岳」の旧字で「山のこと」。

 「撞墻磕壁」は「トウショウコウヘキ」。やみくもに問題にぶち当たること。「墻」は「牆」の異体字で「かきね」。「磕」は配当外で呉音で「コウ」。こつんと当たること。

 「佇思停機」(チョシテイキ)は「しばらくの間その場に立ち止まって、あれこれ思い悩み、心の働きをやめてしまうこと」と漢検四字熟語辞典に在る。この場合の「機」は心の働き・作用。「佇みて思い、機を停(とど)む」と訓読する。

 本日のmixi日記転載四字熟語に参りましょう。

★「縞衣綦巾」(コウイキキン)、「荊釵布裙」(ケイサイフクン)

 白い衣服(縞衣)と蓬色(もえぎいろ)のスカーフ(巾)。中国、周代の身分の低い女性の質素な服装。転じて、自分の妻の謙称。「豚妻」「荊妻」よりはおしゃれな表現でしょうか。出典は「詩経」とありますが、持っていなのでサイトで調べました。

「出其東門」から。

其の東門を出づれば、女有り雲の如し、則ち雲の如しと雖も、我が思ひの存するところに匪(あら)ず、縞衣巾、聊か我を樂しましむ


其の闉闍(いんと)を出づれば、女有り荼の如し、則ち荼の如しと雖も、我が思ひの且(い)くところに匪ず、縞衣茹藘、聊か與に娛しむべし


同じような意味を対句的に列べて強調しています。自分の妻と歓楽街の女たちとを比べている。配当外の漢字が3つ。「闉闍」は「城内の二重になっている門。転じて城の門、外ぐるわの門」。「茹藘」(じょりょ)は、「アカネ。白い花をつけ、根から染料をとる」。

城の外に出ればあでやかな女たちが沢山いる。譬えて言えば「雲」であり、「荼」(にがな)である。しかし私の心は惹かれない。なぜなら妻がいる。いつも質素な服装を身に纏っているが、倶に娯しませ、娯しみ合う妻がいるから。ほんとかぁ?と疑いたくもなりますが、これほどまでに言える人がいると言うのは羨ましい限り。貧乏でも堅い絆で結ばれている。。。。んでも、まぁ要は御惚気の歌でしょうね。


 「荊釵布裙」の方も、粗末な服装の譬え。女性の慎ましさを言うとあります。「荊釵」は「いばらのかんざし」、「布裙」は「麻布のもすそ=スカート」。後漢の梁鴻(リョウコウ)の妻孟光(モウコウ)が常に荊釵(ケイサイ)と布裙(フクン)を使った故事より。自分の妻の化粧が立派でないことの意味。「蒙求」に「孟光荊釵(孟光は荊釵挿して働いた)」がみえました。

 ところが、どれだけ質素な妻と思いきや。。。この孟光の話、結構おもろいですよ。笑えるわ。そのまま引用します。

後漢の梁鴻は字を伯鸞といった。扶風の人である。
同じ県の孟氏に娘がいた。
容姿は太って醜く色も黒かったが、力が強く石臼を持ち上げた。
相手を選んで結婚せず、年は三十になっていた。
父母はそのわけを尋ねた。
すると、「梁伯鸞のような賢い人を婿にしたいのです」と、いった。
梁鴻は聞いて、彼女を迎えることにした。
いよいよ嫁ぐことになった。
彼女は生まれて初めて化粧をし、大いに着飾って婿の門を入った。
七日が経った。
伯鸞は触ってもくれない、答えてもくれなかった。
妻は自分の悪い所を尋ねた。
夫はいった。
「別に悪い所があるわけではありません。わたしは毛皮や葛といった質素な着物を着てともに深山に隠れ住んでくれる人を望んでいたのです。それが綺麗な絹を着て墨やおしろいを塗っているではありませんか。願った人とは違っていたからです」
「それなら早く言ってくれればよかったのに。ほらこの通り隠居の服も持っております」
妻はいって、髪を槌型に結い直すと、荊釵を挿して布裙に着替え、糸繰り仕事に精を出した。
鴻は「これでこそ梁鴻の妻だ」と大いに喜び、彼女に字を付けて、徳曜とした。
名は孟光である。
このあと、鴻と共に霸陵の山中に入った。

笑えるでしょ?相手をえり好み行き遅れた、醜い30女が、やっとのことで嫁いだ相手から觝ってもくれなかった理由が「一緒に山に籠っても耐えられる質素な人だと思っていたのに。。。」ですよ。そして女は「なぁんだ、そうなんだ。だったら早く言ってよ。。。」と軽いタッチで、質素バージョンのスタイルも持ち合わせているという。これが「荊釵布裙」ですよ。要は、女が相手の好みに合わせるファッションじゃないですか、って言ったら、高潔の士、梁鴻に怒られるか?


★「黄衣廩食」(コウイリンショク)


 黄衣を身に着け俸禄を受け取る「宦官」のこと。去勢され玉のない宦官のスタイルを表す言葉です。「廩食」とは扶持米のこと。「 資治通鑑・唐期・玄宗開元元年」に、「話は遡るが、太宗が制を定めた時、内侍省には三品官を置かなかった。黄衣廩食し、門を守って命令を伝えるだけだった。天后は女主だったけれども、宦官は専横しなかった。中宗の時、へつらい者が増え七品以上の宦官は千余人に及んだが、緋色の衣を来ている者は、まだ少なかった。
 上が藩邸に居る頃、力士は心を傾けて奉仕した。上が太子になるに及んで、上奏して内給事にした。ここに至って、蕭、岑を誅した事で賞したのだ。
 この後、宦官は次第に増員して三千余人になり、三品将軍に叙任される者も増えてきた。緋、紫の衣も千余人に及ぶ。宦官の隆盛はここから始まった。」とあります。

 宦官の歴史ですな。この四字熟語は出ないかもしれないが、「廩食」は必須。「廩」は「くら」のほか、「倉廩充満ちて云々」など熟語が多い。
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Author:char
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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